エレノアの事
自分の目の前にいるもう一人のエレノアの笑顔がなぜか慈愛に満ちたもののように見えた。
同時にもう一人自分がいる事に何故か不思議に思わない。だってこれは夢だから。
水の底に足がつくと、目の前には見慣れた光景が広がっていた。幼い時に暮らしていた家、父がいなくなってからそこで母と二人きりで暮らしていた。母が寂しくないように、母にいらないと思われないように、子供ながらにとても気を使って生きていたと思う。
「あなたは母親が好きだったの?」
「好き…だったのかな?でも好かれようとはしてた、気がする」
もうひとりの自分の問いに淡々と答える。なぜならよく覚えていないから。
ただ、自分ならこう思うだろうと言う考えはある。今の自分は昔の自分が積み重なって出来た結果だから、人は学ぶ事で変化はするけれど本質的なものはそう変わる事はないのではないだろうか?
私はずっと愛を求めていたけれど、それはとても難しい物だった
虐待されていたわけでも育児放棄されていたわけでもない。ただ、母親は女でいたい人だった。
「子供よりも?親なのに?」
「母の人生は母のものだもの」
そして母親はいなくなった。テオを引き取ったのは、せめて一人ぼっちにはならないようにとエレノアに向けた最後の罪悪感だったのか。
テオが来てからは寂しくなかった。寂しいと思う暇もなく毎日忙しかった。けれどそんな合間にふと思う。
テオはいつまで一緒にいてくれるんだろう?
「ずっと不安だったのよね」
「私にとって家族の絆なんて簡単に壊れてしまうものだったからね」
私は知ってたの。テオがいつも良い家族でいようと装っている事に。だって、私は長い間人の顔色を見て生きてきたんだもの。
「いつかテオも私を置いてどこかに行ってしまう気がしていたの」
「だから今度こそ捨てられないようにと、テオを愛したの?」
びくりと真横にある自分の顔を見つめる。違う、違うと思っているがそれを言葉に出して否定できなかった。
私はテオが好きだったから、ずっと一緒にいたかったから告白した。
けれどそれは、どこかで母と同じような依存した愛を求めるような気持ちがなかったとは言えない。彼の唯一になれれば私を必要としてくれるような気がしたから。
「愛の形は様々よ。純愛である必要なんてないわ」
それでもテオに受け入れてもらえなかった時、どうしても彼と顔を合わせる事が出来なかった。断られたのが辛かったわけじゃない。自分本位のような浅ましさを感じて恥ずかしかったからだ。
愛を語る家族を羨ましく思えたし、愛を囁く恋人たちは輝いて見えた。そういう人たちに自分もなりたかっただけなんじゃないだろうか。好きになる理由を必死で探して縋りつこうとしている自分が嫌だった。私はそういう気持ちでしか人を求められないのだろうか。
「あなたは自分の為にテオが欲しかったのよね」
「こんな自分をテオに知られたくないわ…」
「きっと嫌われてしまうものね、可哀想に」
そう言って、もう一人のエレノアに抱きしめられた。暖かい水の中にいるみたいにふわふわする。
目を閉じると不安も悲しみも全てなくなるような感覚に陥る。
このまま何も考えなければ幸せだろうな
ふっと目を閉じかけた瞬間、上から何かが降ってきた。
「ぎゃっ」
背中に何か重いものがのしかかって、エレノアは耐えられずにそのまま倒れた。
「な、なに?あ、痛っ!」
確認しようと後ろを振り向く間もなく、何故か髪の毛を思いっきり引っぱられる。
夢なのに痛い!?
「待って!痛い痛い」
「もー!バカみたいに騙されてるから!いい加減にしなさいっ」
声は思ったよりも子供っぽい。それに聞き覚えがある声だった。
今度こそ振り返ると、そこには獣人の姿のエレノアがいた。短いながらも毎日見ていた姿だ、見間違うはずがない。けれど、どこか違う。何故だか自分ではないと言い切れる。
「あなた、誰?」
「私の身体を使ってたのに酷い言い分ね」
私の身体?じゃあ、この子は…
獣人の少女が出てきたと同時に、同じ姿のエレノアはいつの間にか距離を取っていた。そしてこちらを憎らし気に睨みながら言った。
「獣臭い」
「だったら早く出て行きなさいよ、おばさん」
ええ?
いきなり獣人の少女におばさん呼ばわりされたエレノアは微妙な気持ちなった。それは私の姿なんですけど?
「そう言えば、さっき道案内してくれたのは貴方だったのね」
「そうよ。結局捕まっちゃってバカじゃないの」
うーん、口が悪い
年相応と言えばこのくらい生意気なのも可愛いと言えるのかもしれない。けれど今はそれどころじゃない。ここは単なる夢の中じゃないのだ。
「今は身体の主人格がここに三人いるの。アイツに負けたら身体を乗っ取られるわよ」
のっ…
獣人の少女は睨んでいるエレノアの姿をしたものをびしっと指さす。
「えっ!?なにそれ!大変じゃない!?」
と言う事は、あのエレノアを姿をしたものの正体は…
「あなた…夢の精霊なのね」
ふっとエレノアの姿が霞んだと思ったら、口元が笑っているように見えた。
「ノア!」
「エレノア!」
エレノアの名を呼ぶ声が部屋に響いていた。倒れた彼女の名を叫ぶのはテオとアレンだ。
第一王子たちはまだ目を覚ましていないが、精霊の加護の強い二人は薬の類は効きづらい為短時間で目覚めたらしい。
精霊の姿がどこにもない事を不穏に思いつつも、倒れていたエレノアをまず抱きかかえていた。
身体が温かいのに安堵しながらも目を覚まさない事にテオは不安を感じていた。
しばらく呼んでいると、ふっとエレノアが目を開けた。身体を起こして二人を見つめるエレノアにアレンがほっと笑いかけると、テオが身体を離して距離を取った。
「テオ?」
アレンが不思議そうに呼びかけると、テオはアレンを庇うように背を向けた。
「あれはエレノアじゃない。誰だお前」
「私はエレノアよ。身体だけね」
そう花が咲いたように笑う姿は、テオの知っているエレノアではなかった。




