発情期
エレノアは目の前にある書記官の顔をじっと見つめた。
どうして獣人だとわかったのだろう?
人型をしていない獣人と普通の獣の区別は難しい。そもそも幼い時に転変するので、獣人が人間の前で獣の姿を晒す事の方が珍しいのだ。視線の意図がわかったように書記官が言葉を続ける。
「微かだが匂いがする」
ん??
「獣人に発情期があるのは知っているな?その時期に異性を誘惑する匂いを発する。大概薬を飲んで抑えるんだが…」
え?私今発情期なの?
発情期の事はエルが言っていたので知っていたが詳しくは聞いていない。そんな面倒な作用があるならさっさと教えておいて欲しかった。けれどここまで自覚がないものなのだろうか?
熱があるなとは思ったけど…私が中身は獣人じゃないから?
「獣の姿に戻るのは防御反応とも言える。身体に耐えられない負荷がかかった結果だろう」
うーん?ちゃんと人の姿にも成れない弊害かな?そういえば、猫の姿になってからちょっと楽になったのよね
ふんふんと自分の身体を嗅いてでもやはり匂いなんてわからない。異性にしかわからないものなのだろうか?フォロモンみたいな?
「三日ほど続くがピークは二日目くらいだろうな。その頃が一番匂いが強いから薬は飲んでいた方がいい」
そういえば……書記官はなぜわかったんだろうか?エルにもまだ気づかれなかったのに
もしかして獣人だったりする?
書記官の姿をまじまじと見つめるがそれといった特徴はない。
人間…よね?耳はないし…
その前に人の姿に戻りたい。このままでは意思疎通もなかなか出来ない。前足でばしばしと伝えるように枕を踏みつけると、書記官は不思議そうな顔をした。
「…食べ物はないぞ」
ちがーう
あんたもエルと同じかいと突っ込めないのが残念だ。近くにあったくたびれた薬草を持ってきて意思表示をする。
「かろうじて薬草というのはわかるが…私には薬の調合の知識はないんだ」
まあ、普通はそうだよね
しゅんと耳が垂れたエレノアを見て、優しく頭を撫でてくれる。書記官は少し考える素振りをした後にぱっと顔を上げた。
「ただ知識を持った相手に心当たりがないわけではない。引き受けてくれるかはわからないが」
知識を持った知り合いがいて掛け合ってくれると言っているのだろうか。すごく淡々としてるので人付き合い少なそうとか思ってごめんなさい。
最初からいい人だって見抜いていたわ
きらきらした目で書記官を見つめると、面会の先触れらしきものを紙に書いて衛兵に預けた。
あれ?そんなに身分の高い方なのかな
書記官の知り合いなので貴族なのかなとはちょっと思ったが、気軽に尋ねる事も憚られるくらいの相手って誰だろう?召使いの自分からしたら書記官なんてかなり高い位置にいると思うだが。
それに…
じっと見つめている猫の視線に気づいたのか、書記官はまだどんな意思表示をするのか観察している。しばし猫と人とのにらめっこが続いた。
この人はなんで私を助けてくれるの?
召使いはそれなりに代わりはいるので、人型も不完全な獣人なんて置いておく必要はない。解雇して切り捨てるのが普通だろう。長い付き合いでもない新人の獣人を気にする必要はないはずだ。
なら獣人という種族に何か思い入れがあるのかな?
そして返事がきたのか、書記官は小さな布で猫を隠して手に持った。王宮の中を動物を連れて歩くことは出来ないのでこれは必須だ。
連れてってくれるの?
質問の代わりににゃーと言った声が漏れたが、しばらく静かにするようにと指で口を押えた。廊下に出るとすでに行先は決まっているのか無言で歩いていく。
どこに行くんだろ?医務室かな
薬が大量にあって調合の知識がある人間なんて限られるので、エレノアも最初はそこに行こうとした。けれど何故か本城から遠ざかっているような気がする。
え?まって、こっちは
城の中に詳しいわけでもないエレノアでも見覚えのある風景が見える。ここは第三王宮に繋がる渡り廊下だった。
なんで!?
第三王宮には使用人らしき人も殆どいない。テオが出入りするのも目立つくらいなのに、誰に会いにいこうとするのか。せめてアレンには会いたくないなと思った。
けれどその願いも虚しく、目的地は第三王子の自室だった。
ええええ?
リハルが扉をあけて中に招き入れる。途中で猫のエレノアと目があうと口元が笑っているのが見えた。
そして寝台で身体を起こしているアレンがこちらを見ている。
「ミハエルから連絡が来るのは珍しいな。ディザリアの件以来か」
アレンと書記官知り合いなの?それにディザリアって…
意外な関りを知って驚きながら二人を見る。猫の姿なので表情はわからないがここ最近で一番驚いている。そして書記官がミハエルという名前なのだと知った。
「王子は調合に関する知識をお持ちですよね」
「ああ、あれが師匠だと嫌でも出来るようになる」
そういえばアレンの師匠ってあの人だったね
ならばあの東の魔術師の破天荒な生活を同じように経験したのだろうか。自給自足の精神が身につくよね、王子なのにね…。
そんな事を思っているとひょいっと身体が持ち上げられる。
「何か調合をしたいらしく、これらの薬草を持ってきまして」
アレンに見えるようにさらにボロボロになった薬草をひと通り見せるように置く。
それをじっと見ながら、書記官の手の中のエレノアと目があった。
「獣人、か?」
アレンにまで当てられて身体がびくっとなる。なんでわかるの?
「何種類か足りないが、これは獣人用の薬だろう」
おお、アレンすごい!
まさかすぐにわかってくれるとは思わなかった。私が犬ならしっぽを振っていただろう。希望に満ちた目でアレンを見つめる。
「作れますか?」
「作った事はないが…。それにしてもその獣人を助ける理由はなんだ?わざわざ王子を尋ねてまで」
それはエレノアも気になっていた。頭上のミハエルの顔を見上げると手が降って来て表情は見えなかった。
「……生きようと努力してる者が好きなんですよ。放って置けないじゃないですか」
「さて?自分の知るミハエルはそこまで見知らぬ他人に感情的な人間ではなかったが、まあいい。ミハエルには借りがあるからね」
それを了承と受け取ったのだろう、ミハエルは猫をそっと近くの台の上に乗せた。
そしてこっそりと、発情期の薬は持っているので取ってくると囁きそのまま部屋から出て行った。
えっちょっと?アレンと二人きりにしないで?
正確にはリハルをいれて三人だが。姿が違うからわからないだろうけれど、テオと変なやり取りをして出て行ったのを思い出して気まずい。
「今度は君の番だな」
え?
なぜかアレンが猫に話しかけてきた。
「助けたら君は何をしてくれる?」




