再び
テオはそのままエレノアの手を引いて宿舎のある棟まで送ってくれた。
けれどそのまま何も言わずに去って行った。
テオ…?
彼の感情的になった場面を見るのは久しぶりだった。テオの関わる人間はエレノアかアレンくらいなのでそれを見る人間も限られるのだが、もしかしたらアレンが一番多いかもしれない。
私の前だと少なからず冷静ぶるのよね
言い換えればアレンには甘えていると言えるのかもしれない。三人の中では一番年下なのに、身体の不自由さはあれど随分頼りがいのある青年に育った。
テオも私に話せない事をアレンには話せたらいいんだけど…
ただ、傍から見たら仲が良いか悪いのか当事者達以外にはわかりにくい。余計な事をしないように何も言わない方がいいだろうと思った。
そして次の日、エレノアは熱を出した。
「うー」
「まだ暖かいのに珍しいな。症状から流行風邪でもないし、その割に熱は高いな」
エルが熱を測りながら不思議そうな顔をした。起き上がるのも億劫なので今日は仕事に行ける気がしない。けれど休みなどとれるのだろうか?いきなりクビになっても困る。
「新人だから病欠手当はまだない。休めるが給料から引かれる感じだな、とりあえず連絡はしといてやるから寝とけ」
そして扉の閉まる音がしてしばらく眠っていたようだった。
しかし窓から日差しが強くなってきた午後に、息苦しさと共に目が覚めた。
本当にこれ、何か変な病気なんじゃ…
過呼吸のように自身の荒い息を聞きながら身体を起こす。
暑い
頭を枕に強く押し付けたと思ったら、暑さと息苦しさが少し軽減されたような気がする。
少し安心して息を吐いて顔をあげると、目の前に見覚えのある手足があった。
え?
小動物の足。既視感のある出来事に、エレノアは部屋の鏡を探した。そこに映っていたのは子猫から少し成長したであろう猫の姿だった。
ええええええ!?
何か話したくても人語すら出てこなくて焦る。獣人として完全に人の姿になれないので、薬で補っている状態だがまだ効果が切れるような期間じゃない。
耐性が出来ると効果が短くなるとは言われたけど、流石に早すぎるわ
急いで棚に置いてある自分の鞄の中から非常用の薬を取り出そうとする。材料は後から集めればいいと思って余分に作ってなかったのでかなり不味い状況だった。鞄をごそごそ漁っているうちに位置がずれたのだろう、エレノアはいきなり鞄ごと宙を舞った。
わわわっ
そして派手な不協和音を奏でて物が落ちる音が響いた。
投げ出された身体は軽く、自身には特に怪我などはなかったのだが問題は鞄だ。
やばい…なんか、色々割れた音がした
そろりと覗くと何かの液体に濡れた薬草や本、そして無残な状態になった瓶が見えた。流石に色々な液体の混ざった物は口には出来ない。つまり一から作らなければいけないと言う事だ。
……この姿で?
姿もさることながら言葉すら通じる人間はいないだろう。最初に東の魔術師に会えたのは幸運だったのだ。青ざめる間もなく、エレノアは残った薬草をかき集めて見るがやはり何種類か足りない。
材料集めが大変だったから後回しにしたのよね、どうしよう
そんな事を思っていると人の近づく足音がした。思わず寝台の下に隠れると、誰かが扉を開ける音がする。
「あれ?どこいった?うわっなんだこれ、ぐちゃぐちゃだが鞄か?」
この声はエルだわ
エレノアの様子を見に来てくれたのだろう。出ていくタイミングを失ってじっとしていると、何故かエルがベッドの下を覗き込んで目があった。思わず驚いて飛びのこうとした瞬間にすばやく捕まってしまう。
ぎゃっ
「猫?どこから入ったお前」
そうか、エルは獣人だから嗅覚が優れてるのね。気付いて、私よ。
「お前もしかして…」
じっと見つめ合い、首をかしげるエルにわずかな希望を抱いた。
「腹減ってるのか?忍び込む場所間違えてるだろ、さっさと逃げろ」
ちがーう
エルは獣人だが、まさか未だに完全に人の姿になれない獣人だとは気付かないのだろう。弱い個体は淘汰される世界にいて、身近に弱者が生き残ってるという発想はあまり浮かばないものだ。
獣人も動物の言葉がわかるわけじゃないのね。師匠は本当に規格外だわ
とりあえず薬を作らなければいけない。ここでじっとしていても仕方ないので、材料を口にくわえて部屋を飛び出した。エルが何か言ってるような気がしたが後ろを振り返らずに走り去る。
足りない材料は本当は市場で買いたかったけど、この姿じゃ無理だわ。城の医務室に行けば何かあるんじゃないかしら
代金は後で支払う事にしてとりあえず城内で薬の材料を集める事にする。てててっと廊下の隅を走っていると見ていた召使が叫び声をあげた。
「きゃあっネズミ!?」
「貴族の方に見つかったら大変だわ。はやく捕まえて」
げっ
窓が開いてなかったので廊下に出るしかなかったが、やはり見つかると大騒ぎになった。一度外に出るか考えていると、どこからか飛んできた箒で吹っ飛ばされた。
ぐっ…!
咥えていた薬草が周囲に飛び散り、エレノアはそのまま地面に叩き伏せられた。
「何の騒ぎ?」
この声…
「エレノア様、申し訳ありません。獣が侵入しましてすぐに対処します」
「まあ、そう…、可哀想だけど仕方ないわよね。入ったこの子が悪いんだもの」
そのまま掴まれて窓から放り出されるだけならいいなと思いながら、近づいてくる人の気配を感じていた。すると、思いのほか丁寧に身体を持たれた事に驚いて片目を開ける。
「あっ…これは」
「いくら獣でも城内で殺生はやめなさい。血でも飛び散れば面倒だろう」
この人会ったことある…確か書記官て言われてたっけ
「まあ、お優しいのね。お似合いです事」
それだけ言って、エレノアの姿をした者はどこかに行ったようだった。エレノアはそのまま意識を失った。
次に目が覚めた時、怪我の治療をされて見慣れない部屋にいた。
寝ぼけた様子で周囲を見渡すと、近くにぼろぼろになった薬草があった。
確か書記官に抱っこされて…薬草も拾ってくれたのね
よいしょっと起き上がると、すぐに近くに気配もなく書記官がいた。あまりに驚いて声も出ないで固まったエレノアを見て淡々と話す。
「起きたか」
この人、私を助けてくれたの?
会った時から獣人に忌避感はなさそうだなと思っていたが、動物に対しても優しいらしい。
あまり知らない人間だが好感度が爆上がりだ。そう思って見上げると書記官の口から驚くような言葉が降ってきた。
「お前、獣人なのか」




