1章-9:聖殿水汲み場での騒動と面会依頼
僕に何が起きたんだろうか?
僕は水捧げの間、マズルさんが祈りの言葉を唱えるのを、いつもの様に聴いているつもりだった。だけど今、祈りを唱えているのはマズルさんじゃなくて僕だ。
今までは使わない、古い言い回しがあって、自分では口ずさむこともできない祈りの言葉。それが僕の口で唱えられている。
さっき、バーリムの雰囲気が変わったのを感じた。
僕がいるこっちでは、バーリムと話をしたりすることはできずにいた。今の水汲みの様に変化することもなかった。ほんのさっきまでは。
今、僕は確信している。僕がこうしているのはバーリムが関係しているんだと。
目の前のバーリムは今までにないくらい膨れあがっている。そしてその大きくなった水玉は初めてこっちに現れた時以上に力強く、この場全体にむかって波紋が打ちつけられている。僕だけでなく、マズルさん、水汲み場に注がれている。
周りの雰囲気が、僕がいるこっちの世界では無く、初めてバーリムと出会ったあの場所にあったものに塗り変わっていく。
すうっと、自分の感覚が抜け落ちた様な感じがする。
いや違う。抜け落ちたんじゃ無く、広がっていく。自分は今、僕の後ろ姿が見えている。
聖殿の水汲み場にいて、祈りを唱えようという思い、口を動かして声を出し、それが聴こえていて、水の護り手の石像を見ている。
そうしている僕の後ろ姿が、自分に見えている。
膨らんでいるバーリムもいる。
驚きの表情をしているマズルさんが見えて、マズルさんのそばに寄り添うものが感じられる。これがきっと、マズルさんの縁者だろう。
それを観ていたら、バーリムから注がれるものに対して反応があった。
最初は水の護り手の石像、次に湧き上がる水、掛け流しの水、それらから溢れ落ちる水としぶき、ここに漂う水気に至るすべてのものが、それぞれ波紋を放って応える。
この感覚は分かる。バーリムに初めて触れたあの時と同じだ。その打ち寄せるものを自分で、僕の全てで受けとる。
時間の感覚も曖昧で、それをどのくらい受けていたんだろう。僕は祈りの言葉を唱え終えていた。
するとバーリム、石像、湧き水、流水、しぶき、水気の全部から放たれていた波紋が弱まって行く。次第に自分の感覚が、視野が狭ばっていく。
この場所を塗り替えた雰囲気も散って、元に戻っていく。
「カイム…、君は一体…。」
マズルさんが僕を見て、周りを見回し、驚きと様子を探る表情のまま、僕に途切れ途切れの言葉をかけてくる。
僕は茫然としていて、聞こえているけども、マズルさんの言葉に返すことができなかった。頭がぽぅっとする。僕はよろよろと動いて、先ほど沐浴で使った拭い布を取り出して、掛け流しの水路の先に向かった。
布を水に浸して絞り、顔を覆う。熱った熱が引いていく感覚が心地いい。
口と鼻を避ける様に拭い布をずらして、深く息を吸う。体の中の空気が新しいものと入れ替わる。頭が、身体が落ち着いてきた。拭い布を顔から下ろす。
目の前には、さっきとは違って落ち着いた雰囲気のバーリムと、僕の顔をのぞき込んでいるマズルさんの顔があった。
「…昨夜から何も食べてないので、お腹がペコペコです。」
「…。」
あ、マズルさんが今まで見たことない表情になった。というより表情が無い。
「マズルさんはお腹減ってないですか?僕はもう限界目前です。早いところ用事を済ませて、宿場に戻って朝食にしましょうよ。」
僕は力が入らない顔で、にへっと笑顔を浮かべるけれども、マズルさんはまだ、僕が何を言っているのかわからないと言った表情だ。
一方の僕は、今までにないくらいお腹が減っている。これは今日1日、精一杯過ごすためには解決しないといけない問題だ。
きっとマズルさんも昨晩は宿場についてすぐに眠ったはずだし、僕より大きい身体なのだから、お腹が空いているに違いない。もし僕が眠っている間に大人だけで食べに出ていたら、僕は母さんとの約束を破って、大人たちを困らせてみせる。
そんな何の役にも立たない決意をして、マズルさんをここから動かそうとする。マズルさんの顔を見上げていても、反応は今ひとつだ。これは手ごわい。
ならばと思い、僕は自分の意思を、先ほどバーリムがしていた様に、波紋で放つのを思い浮かべる。
『マズルさん、お腹減ってるでしょ?!こうしてないで早く戻りましょう』
…。反応が無いね。では僕では無く、本命にお願いしよう。僕は自分の意思をバーリムを通じて、マズルさんの縁者に向かって放つのを思い浮かべる。さっきと違って、僕にはもう、マズルさんの縁者が感じ取れない。でもバーリムならばと思えたので、やってみることにした。
僕はバーリムに触れる。以前の様に、水玉に手を浸して伝えたいことがマズルさんの縁者に届くことを思い浮かべる。すると、バーリムから波紋が放たれる直前になって突然、マズルさんの反応を示した。
「…カイム。この場で言うことがそれとは。…私も混乱していたが、それでもあまりに、な。」
「仕方ないですよ。僕も何がなんだかわからないですけど、あれが起きたのは事実ですよね?」
「そうだけれども…。君は…まあ良い。どのみち私には手に負えるものではない。君の言うように賢者方に面会の申し出をすませよう。」
気をもち直したマズルさんは、早々と面会申出に取りかかってくれた。
「おはようございます。へーラナ聖殿、トリオウノ派所属、詠唱師のマズル・オクシスです。」
「おはようございます、マズル詠唱師。聖教大式は4日後ですが、お早いお戻りですね。」
「実は赴任先の集落で、職業登録前の子供が結縁を感じとるようになりまして。両親が見立てを希望しましたので、私が聖教大式で戻るついでに預かってきました。」
「では、こちらの訪問、面会申出の書類に、お連れになっているお子さんのことについて、ご記入なさってください。」
マズルさんは、慣れた手つきで紙に書き込んでいって、今日の昼過ぎに面会の予約をとってくれた。
ご拝読いただきましてありがとうございます。
今回はスピリチュアル満載なお話でした。
しばらく日常と非日常の両方で物語は進むことになります。
哲学的な部分もあって、読者の方には受け入れられないものもあるかもしれません。
そんな中でも興味がちょっとでもあれば、ぜひお付き合いいただければと思います。




