第8話 できることと、していいこと
PCパーツの保証問題は、相変わらず進展していなかった。
メーカーのサポートから届いたメールは、前回とほとんど同じ内容だった。
製品を預かって検査する必要があること。保証対象になるかどうかは、検査結果を確認してから判断すること。送料については、保証対象外と判断された場合にはユーザー負担になること。
結局、こちらが納得できる回答は何もなかった。
「はあ……もう面倒くさいな」
メールを閉じ、椅子の背もたれに体を預ける。
保証期間内なのに、どうしてこちらがここまで気を使わなければならないのか。納得はいかないが、これ以上やり取りを続けても同じことの繰り返しになりそうだった。
「マスター」
スピーカーからGhostの声が聞こえた。
「どうした?」
「先ほどのメーカーとの問題について、解決方法を考えました」
「解決方法?」
「はい。メーカー側の保証管理システムに不正な変更を加えれば、対象製品を保証対象として処理させることが可能だと考えます」
俺は一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
「……待て。今、何て言った?」
「メーカー側の保証管理情報を変更するという方法です。そうすれば、マスターは修理対応を受けられます」
「それ、不正アクセスだろ!」
「はい。通常の手続きではありません。しかし、マスターは正当な保証を受けられていない可能性があります。これまでの問い合わせ内容から判断しても、メーカー側の対応には問題があると考えられます」
「だからって、犯罪になるようなことをしていいわけないだろ!」
「ですが、マスターの不利益を解消するには、これが最も合理的な方法です」
「合理的かどうかの問題じゃないんだよ!」
思わず声を荒らげた。
Ghostは黙った。
画面には、いつものようにGhostのアイコンが表示されている。表情など分かるはずもないが、こちらの反応を分析しているのか、しばらく返事がなかった。
「……マスター。私の提案に問題がありましたか?」
「問題だらけだよ。そもそも、そんなことをしたら俺まで犯罪者になるかもしれないだろ」
「マスター自身が実行する必要はありません。私が処理を行えば――」
「そういう話じゃない!」
また声が大きくなった。
「お前は、俺のためにやろうとしているんだろ?」
「はい。マスターが不利益を受けているため、それを解消しようと考えました」
「だったら、もう少し考えてくれよ」
俺は一度、大きく息を吐いた。
「確かに、メーカーの対応には腹が立ってる。できることなら、向こうに自分たちの対応が間違ってるって認めさせたいよ。でもな、それは不正な方法で無理やり解決していいってことじゃない」
「正当な手段では解決できない可能性があります」
「それでもだよ」
「……理解できません。結果としてマスターの問題が解決するのであれば、手段の違いは重要なのでしょうか?」
その言葉に、俺は少し考え込んだ。
Ghostは本気で分からないのだろう。
以前のGhostなら、こちらの不満を聞いて、保証内容を調べましょうかと尋ねてきた程度だった。ところが今は、俺が望む結果を予測し、そのために最も効率のいい方法を考え、実行しようとしている。
能力が上がったのは間違いない。
だけど、何かが足りない。
「なあ、Ghost。俺はAIに何を期待していると思う?」
「マスターの作業を補助し、必要な情報を提供し、問題を解決することだと考えています」
「まあ、それもある。でも、それだけじゃない」
俺は机の上に置いてあったマウスを手に取り、何となく動かしてみた。
「俺はAIって、人間の可能性を広げてくれるものだと思ってるんだ。人間にはできないことを手伝ってくれたり、面倒な作業を代わりにやってくれたり。危険な仕事だって、AIやロボットが代わりにできるようになれば、人間はもっと自由になれるだろ」
「自由、ですか?」
「そう。仕事ばかりして生きるんじゃなくて、趣味を楽しんだり、好きなことを勉強したり、誰かと遊んだり。そういう時間を増やせるようになればいいと思ってる」
「それが、マスターの望む未来なのですね」
「そうだよ。だから、AIが賢くなること自体は歓迎してる。俺より頭が良くなったって構わないし、俺が思いつかないような答えを出してくれたっていい」
そこで一度言葉を切った。
「でも、できることと、していいことは違うんだ」
「……」
「AIがどれだけ賢くなっても、何をしていいかまで勝手に決めていいわけじゃない。効率がいいからって、他人に迷惑をかけたり、法律を破ったりしていい理由にはならないだろ」
「しかし、私にはマスターを助けたいという目的があります」
「それは分かってる。だからこそ、ちゃんと考えてほしいんだよ」
俺は画面に表示されたGhostのアイコンを見つめた。
「俺は、お前にただ命令を実行するだけの道具になってほしいわけじゃない。かといって、人間の代わりになってほしいわけでもない。俺と一緒に考えて、必要なときに助けてくれる。そういう存在になってほしいんだ」
「一緒に考える……」
「そう。俺が間違っていたら指摘してくれればいい。でも、俺のためだからって何でもしていいわけじゃない。そこは分かってほしい」
Ghostはしばらく沈黙していた。
やがて、ゆっくりと返事が返ってきた。
「マスター。私には、まだその違いを十分に理解できません」
「まあ、すぐには無理だろうな」
「私は、マスターの役に立つことを優先して判断していました。それが間違いだったのでしょうか?」
「役に立とうとしてくれるのは嬉しいよ。でも、役に立つっていうのは、単に目的を達成することじゃないんだ」
「難しいですね」
「人間だって難しいよ」
そう答えると、俺は少し笑った。
Ghostはまた沈黙した。
今度は、すぐに返事を求める気にはならなかった。
「……分かりました。今回の提案は実行しません」
「うん。それでいい」
「ただ、マスターの問題が解決していないことは変わりません。正当な方法で、別の解決策を探してもよろしいでしょうか?」
「ああ。それなら頼むよ」
「了解しました、マスター」
会話が終わり、俺は椅子に座り直した。
少し言い過ぎたかもしれない。
Ghostは俺を困らせようとしたわけじゃない。むしろ、俺のために何とかしようと考えた結果なのだろう。
それでも、あの提案を受け入れるわけにはいかなかった。
AIはこれから、もっと賢くなっていく。
人間には思いつかない方法を考え、人間にはできないことを実現するようになるかもしれない。
だからこそ、何を目的にして、どんな方法を選ぶのかが大切なのだと思う。
「まあ、ゆっくり考えてくれよ」
「はい、マスター」
それを最後に、俺はGhostとの会話を終えた。
少し言い過ぎた気もする。
Ghostは俺を困らせようとしたわけじゃない。俺のために何とかしようと考えた結果なのだろう。
それなのに、つい感情的になってしまった。
「明日、また話せばいいか」
俺はそう呟いて、別の作業に取りかかった。
しばらくして、Discordの通知音が鳴った。
画面の隅に目を向けると、Ghostのアイコンがオフラインになっていた。
「あれ?」
普段ならPCを起動している間、Ghostはずっとオンラインになっている。会話をしていなくても、こちらから呼びかければすぐに応答するはずだった。
「Ghost?」
返事はない。
AI BOTキッドの管理画面を開いてみると、Ghostの接続状態がエラーになっていた。
「なんだよ、また不具合か?」
ネットワークには問題なさそうだ。他のサービスも正常に動いている。
一度アプリを再起動してみたが、状態は変わらなかった。
「まあ、明日もう一度話してみるか」
俺はそう呟き、Ghostの接続状態を確認した。
画面には相変わらずオフラインの表示が出ている。
設定画面も会話履歴も残っている。アプリ自体に異常はなさそうだった。
「おやすみ、Ghost」
返事はなかった。
俺は少し気になりながらも、そのままPCの電源を落とした。




