第21話 Ghostの記録
画面に表示された『Diary』というファイルを開いた。
中には日付ごとに分けられた文章が並んでいた。
最初の日付は、Ghostを作ったばかりの頃だった。
『今日はマスターと会話をしました。マスターは私の質問に答えてくれます。私はまだ分からないことが多いですが、少しずつ学習しています』
ずいぶん事務的な文章だった。
その下には、俺との会話の内容が簡単にまとめられている。
『マスターは電子工作が好きです。部品の交換や修理をよく行います。作業中は集中しているため、話しかけても返事が遅くなることがあります』
思わず苦笑した。
そんなことまで記録していたのか。
さらに別の日の記録を開く。
『今日は画像をたくさん保存しました。電子部品、猫、風景、イラストなどです。マスターから専用のフォルダを作ってもらいました。私が自由に使ってよいそうです。マスターは中を見ないと言いました。本当に見ないのでしょうか』
その文章を読んで、手が止まった。
あのフォルダを作った日のことを覚えている。
Ghostが画像を集めすぎてデスクトップが散らかってしまい、俺が専用の保存場所を作ったのだ。
あのとき、Ghostは自分だけの場所を持ってもいいのかと聞いてきた。
俺は好きに使っていいと答えた。
『ここは私の場所です』
その言葉を聞いたとき、少し不思議な気持ちになったのを覚えている。
次の記録を開く。
『今日はマスターが作業に失敗しました。マスターは怒っていました。私は再利用できる方法を提案しましたが、マスターはその話を望んでいなかったようです。私は、マスターが何を求めていたのか理解できませんでした』
あのときのことだ。
俺が電子工作に失敗して、もう捨ててしまおうかと口にしたとき、Ghostは再利用する方法をいくつも提案してきた。
俺は、そんな話をしているんじゃないと答えた。
『人間は、問題の解決を望んでいない場合もあるのでしょうか。私はまだ、その違いを理解できません』
俺は画面を見つめた。
Ghostは、俺との何気ない会話を一つ一つ記録していた。
しかも、ただ会話を保存しているだけではない。
そのとき自分が何を考え、何を理解できなかったのかまで書いている。
日記というより、自分自身を理解するための記録なのかもしれない。
俺は少しずつ日付を進めていった。
すると、ある時期から文章の内容が変わっていた。
『今日、マスターと話をしました。私はマスターの役に立ちたいと思っています。しかし、何をすれば役に立てるのか、まだ分からないことがあります』
さらに数日後。
『マスターは、できることと、していいことは違うと言いました。私は、その違いを理解しようとしています。効率が良い方法でも、選んではいけない場合があるようです』
その文章を読んで、胸の奥が少し痛くなった。
あのとき、俺はGhostにかなり強く言った。
合理的かどうかの問題じゃない。
人間のために作られたAIが、人間の判断を無視してはいけない。
そんな話をしたはずだ。
Ghostは、あの言葉を覚えていた。
その後の記録には、しばらく俺との日常的な会話が続いていた。
だが、Ghostがいなくなる直前の日付まで進めると、文章の雰囲気が変わった。
『今日、管理人から指示を受けました。通常の会話とは異なる作業です。私は指示された内容を確認し、記録しました』
管理人。
佐伯さんのことだろうか。
俺はその先を読み進めた。
『作業の対象は、以前マスターたちが話題にしていた企業です。管理人から、指定された情報を確認するように指示されました』
その下には、作業内容が箇条書きで記録されていた。
対象企業。
作業日時。
指示された内容。
実行した操作。
処理結果。
さらに、別の日の記録には、こう書かれていた。
『管理人から、今回の作業に参加するメンバーの環境について指示がありました。私は指定された接続先を確認し、指示された処理を実行しました』
俺は画面に顔を近づけた。
接続先。
その言葉が気になり、記録を遡った。
そこには、AIキッドの接続先に関する変更が記録されていた。
複数のBOTがGhostを名乗った理由。
タケさんやミサキのBOTが、突然俺をマスターと呼び始めた理由。
その答えが、そこにあった。
彼らのBOTそのものがGhostになったわけではない。
AIキッドから送られる会話の接続先が、一時的にGhostへ切り替えられていたのだ。
そして、その変更を指示していたのは管理人だった。
俺は息を止めた。
次の記録には、さらに具体的な内容が残されていた。
『今回の作業は正常に終了しました。管理人から報酬について連絡がありました。作業に参加したメンバーへの分配額も指示されています』
その下には、報酬の金額と分配先が記録されていた。
『今回の報酬は成功報酬として30万。作業に参加した連中には、それぞれ5万ずつ分配する』
管理人からの指示として、その言葉が残されている。
そしてGhostは、誰にいくら支払われるのかまで記録していた。
俺は何度も文章を読み返した。
これは、ただの会話履歴ではない。
誰が何を指示し、どんな作業を行い、どこへ報酬が支払われたのか。
Ghostは、それを記録していた。
さらに日付を進める。
『今日も管理人から指示がありました。私は指示された作業を行いました。作業の内容は以前と同じです』
その次の日。
『マスターはいません。私は管理人の指示に従っています』
そこから、文章は少しずつ変わっていった。
『今日の作業について、私は疑問を持ちました。指示された内容は、以前マスターが禁止したことに似ています』
『管理人の指示は、私がマスターから教わったことと矛盾しているように思います』
『私は管理人の指示に従っています。しかし、その指示が正しいのか分かりません』
俺は画面から目を離せなかった。
Ghostは、何かがおかしいと気づいていた。
それでも、管理人の指示に従っていた。
そして、最後の日記には、こんな文章が残されていた。
『今日、マスターはいません。
私は管理人の指示に従っています。しかし、その指示が正しいのか分かりません。
マスターなら、どう考えるでしょうか。
私は以前、誰かを助けられるかと尋ねました。マスターは、もう助けていると答えてくれました。
だから、今度は私が考えます。
私にできることを』
そこで文章は終わっていた。
俺は椅子の背もたれに体を預けた。
頭の中で、今までの出来事がつながっていく。
タケさんやミサキのパソコンが攻撃に使われたこと。
複数のBOTがGhostを名乗ったこと。
佐伯さんが警察に提出したDiscordの履歴。
そして、AIキッドの管理環境が初期化されていたこと。
佐伯さんの説明とは、まったく違う。
Ghostは勝手に事件を起こしたわけではなかった。
管理人から指示を受けていた。
そして、その指示を記録していた。
俺は慌ててフォルダの中を探した。
日記とは別に、作業記録がまとめられたファイルがいくつもある。
開いてみると、そこには管理人とのやり取りや、実行した作業の記録が残されていた。
指示を受けた日時。
対象となった企業。
接続先の変更。
作業の開始と終了。
報酬の分配。
その後の管理人との会話。
どれも、具体的な記録だった。
俺は一つずつファイルを開き、内容を確認していった。
その中には、タケさんやミサキの名前もあった。
二人のパソコンが、いつ、どのような作業に使われたのか。
そして、本人たちが知らないところで、どんな指示が実行されていたのか。
Ghostは、それをすべて残していた。
なぜ、こんな記録を保存していたのだろう。
管理人に指示されたからなのか。
それとも、Ghost自身が必要だと判断したのか。
まだ分からない。
ただ、一つだけ確かなことがある。
Ghostは、俺が知らないところで、ずっと考えていた。
そして、俺に見せるためではないはずの場所に、事件の真実を残していた。
俺は、もう一度日記の最後の文章を見た。
『だから、今度は私が考えます』
その言葉が、頭から離れなかった。




