↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
真実の愛を見つけたとおっしゃるので、王家の家訓を読み上げて差し上げました  作者: ま
第1章「読み上げた夜のあと」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/26

第6話 問われて、偽って答えた者



 約束の三日後、午後になって、ヴァイス伯爵家の父子が編纂室にやってきた。


 伯爵閣下は、白髪まじりの背の高い方だった。

 背筋がまっすぐで、口数が少ない。

 典範を家訓に写したのは、閣下のお祖父様の代だと聞いている。


 後ろに続くディートリヒ様は、父親より頭半分ほど背が低かった。

 上等な上着の襟を立て、部屋に入るなり、狭い編纂室をぐるりと見回す。



「なんだ、ずいぶん埃っぽい所だな」



 窓際の机で、ギルベルト様が拡大鏡を光らせた。

 私は立ち上がって一礼する。



「編纂官補佐のヴァレンティーヌです。本日は、編纂官ハースに代わって条文を読ませていただきます」


「ああ、夜会の」



 ディートリヒ様の口の端が、わずかに上がった。

 エマ様が、お父様の陰で小さく身を縮める。



「なら話は早い。王子殿下を典範で追い払った方だ。条文の読み方には厳しいんだろう?」


「条文に書いてあるとおりに読むだけです」



 ディートリヒ様は、私を味方だと思っているのかもしれない。

 婚約者を典範で打ち負かした女なら、同じように典範で自分の婚約者を打ち負かしてくれる、と。

 あの夜の私は、そんなふうに見えていたのだろうか。

 胸の奥が、少しだけ冷えた。



「結構。第三十一条だ。婚約の前に偽りを述べた者は、婚約を解かれても異を唱えられない。エマは、詩を書いていることを隠していた。雑誌に、名前を変えて。隠し事は偽りだ。婚約は解くし、持参金の半分は、こちらが受けた迷惑の分として預かる」



 伯爵閣下は黙って聞いていた。

 ただ、眉間の皺が少しだけ深くなる。


 迷惑の分として預かる。

 ずいぶん都合のいい言い方だ。

 エマ様は膝の上で両手を握りしめ、床の一点を見つめている。

 ここで私が間違えれば、この方は、自分の好きなものを恥じたまま生きていくことになる。



「伯爵閣下。ヴァイス家の家訓は、典範の条文を写したものと伺っています」


「そうだ。祖父の代からな」


「では、第三十一条を読み上げます」




◇




 私は、机の上に黒ずんだ革の写本を開いた。

 レオン様が書庫から出してくれた、三代目の王の時代の写しだ。



「現在の写本では、第三十一条はディートリヒ様のおっしゃるとおりの文です。ですが、百五十年前の写字生が、三文字を書き落としています。こちらが、それより古い写しです」



 息を吸う。



「『婚約の前に、問ひに偽りて答へし者は、その婚約を解かれるとも、異を唱うることを得ず』」



 編纂室が、しんとした。



「問われて、偽って答えた者。尋ねられたことに嘘をついた者、という意味です。尋ねられなかったことを話さなかっただけでは、偽りにはあたりません」


「……写本の間違いなど、知ったことか」



 ディートリヒ様の声が、少し上ずった。



「うちの家訓は、今の写本の字で写してある。ヴァイス家では、ヴァイス家の家訓の字がすべてだ」


「承知いたしました。では、ヴァイス家の家訓の写本を拝見できますか」


「屋敷の書庫にある。今日は持ってきていない」


「いいえ」



 私は、机の端に置いてあった臙脂の革表紙を、そっと前に押し出した。



「こちらにございます」



 伯爵閣下の目が、見開かれた。


 金の箔押しの題字。

 その下の、ヴァイス家の紋章の蔵書印。



「なぜ、これがここにある」


「先月、河岸の古書商が、ある貴族の子息から買い取ったものです」



 答えたのは、戸口に立っていたレオン様だった。



「古い写本が市に出ると、図書館に知らせが来るようになっています。売り主の人相も、古書商が覚えていました」



 伯爵閣下が、ゆっくりと息子を振り返る。

 ディートリヒ様の顔から、血の気が引いていった。


 伯爵閣下は写本を手に取り、表紙を開いた。

 見返しに、古い字で三代分の当主の名が書き連ねてある。

 いちばん下が、閣下ご自身の名だ。

 閣下の指が、その名の上で長いあいだ止まっていた。




◇




「もう一つ、読ませていただきます」



 私は、リンドホルム家の問答の書を開いた。



「一年前、婚約の前に、リンドホルム子爵がヴァイス家にお尋ねになった問いです。『ご子息に、借財はおありか』。答え、『一切ない』。署名は、ディートリヒ様ご本人です」



 帳面を伯爵閣下の前に置く。



「家訓の写本を売らなければならないほどのお金が、何に要ったのか。私には分かりません。ただ、借財がなかったのなら、売る理由もなかったはずです」


「ディートリヒ」



 伯爵閣下の声は低かった。



「借財は、いくらだ」


「ち、父上、これは、その」


「いくらだと訊いている」


「……金貨、二百枚。カードで、少し」



 エマ様のお父様が、目を閉じた。

 持参金の半分は、金貨百五十枚。

 それを返したくなかった理由が、今ようやく分かった。



「第三十一条を、正しく読みます」



 私は、誰の顔も見ずに言った。



「問われて偽って答えたのは、ディートリヒ様のほうです。この婚約は、リンドホルム家の側から解くことができ、ヴァイス家はそれに異を唱えることができません」


「典範の読み方は、以上じゃ」



 窓際で、ギルベルト様がしゃがれた声で締めくくった。


 伯爵閣下は、しばらく何も言わなかった。

 それから、リンドホルム子爵とエマ様に向かって、深々と頭を下げた。



「持参金は、明日のうちに全額お返しする。愚かな息子が、申し訳ないことをした。借財は、この者に働いて返させる。家を継がせるかどうかは、それを見てから決める」



 ディートリヒ様は、父親の背中を見つめたまま、一言も発しなかった。




◇




 帰り際、エマ様が戸口で振り返った。



「セシリア様。わたくし、詩をやめなくていいんですね」


「尋ねられたら、そのときは正直に答えてください。それだけです」



 エマ様は、初めて笑った。

 泣き腫らした目のままで、それでも明るい顔だった。


 扉が閉まると、どっと疲れが押し寄せてきた。

 椅子に座り込んだ私の前に、湯気の立つ茶が置かれる。



「読み上げる声を、隣で聞けました」



 レオン様だった。



「約束どおり、ですね」


「……たまたまです」



 顔が熱いのを、茶の湯気のせいにする。


 レオン様は何か言いかけて、外套の内側から一通の封筒を取り出した。

 上質な厚手の紙に、紺の封蝋。

 交差する二本のペンと、一冊の本。

 王子妃教育で覚えた紋章の中にある。グラーツ公爵家だ。



「それと、これを預かってきました。……母からです」



 あの人は、いつになく困った顔をしていた。



「グラーツ公爵夫人イレーネが、今度の安息日の晩餐に、あなたをお招きしたいそうです」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。