↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
真実の愛を見つけたとおっしゃるので、王家の家訓を読み上げて差し上げました  作者: ま
第三章 読み上げる声

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
25/26

第25話 誓いの言葉



 婚礼の朝、王都に初雪が降った。


 窓を開けると、屋根という屋根が薄く白くなっている。

 北の砦は、もうとっくに雪の中だろう。

 あの道は、春まで閉ざされる。


 地図の紙の色のドレスに袖を通すと、袖口で小さな本の列がこちらを向いた。

 一冊ずつ、ちゃんと頁が開いている。

 針を持ったまま顔を上げなかったあの方は、こんなに細かい仕事をする人だったのだ。


 父の馬車で図書館へ向かった。


 父は、向かいの席で腕を組んで、窓の外の雪を見ていた。

 十年、この人と馬車に乗るときは、いつも王宮へ向かっていた。

 王子妃教育の先生方に会いに行くか、殿下の来ない茶会に出るかの、どちらかだった。



「……セシリア」



 図書館の門が見えてきたころ、父が雪を見たまま言った。



「お前の声は、母親に似ている。読み上げるとき、よく通る」



 亡くなった母の話を、父の口から聞くのは何年ぶりだろう。

 私は、返事をする代わりに、膝の上で手を組んだ。

 袖口の小さな本の列が、指先に触れた。


 門の上の灯りが、雪の朝なのに、灯っていた。




◇




 閲覧室の机は、壁際に寄せられていた。

 南の窓際、三番目の机だけが、元の場所に残してある。

 机の端には、角の擦り切れた辞書が、いつものように置いてあった。


 客は、多くなかった。


 陛下は、閲覧室のいちばん後ろの、ふつうの椅子に座っていらした。

 その隣にユリウス殿下。

 殿下の二つ後ろの席に、マルガレーテ様が、膝の上で手を組んでいる。


 イレーネ様と、領地から戻られたグラーツ公爵。

 日焼けしたフランツ様は、なぜか蜂蜜のパンの包みを抱えていた。

 館長と、修繕室のヨハンとミア。

 エマ様は、新しい詩の載った雑誌を、こっそり私の父に渡そうとして断られていた。


 立会人の席には、ギルベルト様が杖を立てて座っている。


 レオンは、書見台の手前に立っていた。

 黒い外套ではなく、婚約の朝と同じ紺の上着だった。

 私を見て、眼鏡を押し上げようとして、また指が空を切った。


 私は、書見台の前に立った。


 典範の原本は、第六十四条の頁が開いてある。

 その脇に、封をした紙が二通。

 一通は私の字で、もう一通は、レオンの字で宛名が書いてある。


 息を吸った。

 夜会の夜、大広間で第九十九条を読み上げたときと、同じように。



「『婚姻は、両人の――』」



 そこで、声が止まった。


 稽古では、最後の夜に一度もつかえなかったのに。

 閲覧室が、しんと静まり返る。

 雪の音まで聞こえそうな静けさだった。


 顔を上げると、レオンがこちらを見ていた。

 何も言わない。

 急かさない。

 ただ、待っている。


 私は、もう一度、息を吸った。



「『婚姻は、両人の誓ひを、典範の編纂官これを読み上げ、立会人これを聞きて成る』」



 一度つかえた分だけ、声はかえって落ち着いていた。


 最初の封を切る。

 私の誓いだ。

 稽古を始める前の晩に、ランプの下で、一度も線を引かずに書いた。



「『私は、分からない字があったら、あなたに訊きます。この字は、これで合っていますか、と。一生、訊きます』」



 十二の秋、閉館後の閲覧室で、初めて自分から隣の机へ行って訊いた言葉だ。

 レオンの肩が、ほんの少しだけ動いた。



「『そして、あなたが分からない字を差し出したら、私も余白に、読み方を書きます。あなたが答えを探しているあいだは、私も急かしません』」



 読み終えて、紙を書見台に置いた。

 二通目に、指をかける。


 この封を切れば、レオンの誓いを、レオンより先に、皆の前で声に出すことになる。

 私は、まだ一行も知らない。

 封蝋を割る音が、思ったより大きく響いた。



「『私は、閉館後の閲覧室にランプを二つ灯しておくのが好きだと、あなたに言いました』」



 夏の初めの古書市で聞いた、三つのうちの一つだ。



「『本当は、二つ目のランプは、いつも南の窓際の、三番目の机のためのものでした。誰も座っていない夜も、あなたが来るかもしれない夜も』」



 声が、揺れた。

 揺れたまま、読んだ。



「『これからは、二つとも、二人のために灯します。門の灯りは、あなたの馬車を見送るためではなく、二人で帰るときに、二人で消します』」



 それで、終わりだった。

 この人らしい、余白の多い誓いだった。


 紙を持つ手が、震えている。


 十年、私は馬車の窓から、門の灯りを振り返ったことがなかった。

 初めて振り返ったのは、百日の四日目の夜だ。

 もっと早く振り返っていたら、もっと早く気づいたのかもしれない。


 ギルベルト様が、杖をついて立ち上がった。



「立会人、聞いた」



 しゃがれた声が、閲覧室に響く。



「わしの耳は、目ほど悪うない。一字も聞き違えとらん。……成った」



 いちばん後ろの席で、陛下が小さく頷くのが見えた。

 審議に口を出さなかったときと同じように、陛下は何もおっしゃらなかった。

 口を出さないことで、この婚姻を、私たちのものにしてくださったのだ。


 レオンが、書見台のこちら側へ回ってきた。

 眼鏡を外して、上着の胸にしまう。


 眼鏡のないこの人の顔を、私はもう何度か見ている。

 それでも、まだ慣れない。



「……先に読まれるのは、思っていたより恥ずかしいものですね」


「習わしですから」


「誰が決めたんでしょう」


「百五十年前の編纂官です。由来を、お読みしましょうか」


「今日は、遠慮しておきます」



 レオンが笑った。

 つられて、閲覧室のあちこちで小さな笑いが起きた。

 フランツ様が「なんだ、蜂蜜のパンの話は出ないのか」と言って、イレーネ様に袖を引かれていた。




◇




 その夜、客がみな帰ったあと、私とレオンは図書館の門の下に立った。


 雪は、まだ降り続いている。

 門の上の灯りが、白い粒を一つずつ照らしていた。


 十年、この灯りは、私の馬車が角を曲がるまで消えなかった。

 灯していた人は、いつも門の下に一人で立っていた。


 今夜は、二人で見上げている。


 レオンが、灯りの覆いに手を伸ばした。

 私も、その手に自分の手を重ねた。


 門の灯りを消したのは、二人だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。