↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
真実の愛を見つけたとおっしゃるので、王家の家訓を読み上げて差し上げました  作者: ま
第三章 読み上げる声

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
24/26

第24話 婚姻の条文



 秋の半ばに、北から雪の前の最後の便が届いた。


 フローラ様の手紙は、今度も厚かった。

 子どもたちが石板で書いた名前を、一人ずつ紙に写して同封してくれている。

 トビの字は、右へ大きく傾いていて、最後の一画が紙からはみ出していた。


 殿下の手紙は、今度も薄かった。



『婚約していたなら、砦で言え。フローラに聞いた。フローラがうるさいので、祝ってやる。婚礼には行けない。三年は砦だ』



 それで、全部だった。

 言葉の綾、とは書いていなかった。


 ただ、「祝」の一字だけが、古語の形で書いてあった。

 それも、横棒が一本足りない。

 誰かの字を見て、見よう見まねで写したような形だった。


 フローラ様に教わったのだろうか。

 私は首を傾げながら、その手紙をレオンに見せた。

 レオンは一字を長いあいだ見て、黙って眼鏡を押し上げただけだった。




◇




 婚礼が冬の初めと決まってから、王宮では小さな騒ぎが起きていた。


 この国の婚礼では、典範の編纂官が婚姻の条文を読み上げる。

 第六十四条。



『婚姻は、両人の誓ひを、典範の編纂官これを読み上げ、立会人これを聞きて成る』



 誓いの言葉は、二人がそれぞれ書いて封をし、婚礼の場で編纂官が封を切って読み上げる。

 それまでは、相手の誓いを読んではならない。

 百五十年、そういう習わしになっている。


 編纂官は、二人いる。

 一人は目の弱ったギルベルト様で、もう一人は花嫁本人だ。

 花嫁が自分の婚姻の条文を読み上げるなど、建国以来、聞いたことがない。


 はしたない、と言う方がいた。

 前例がない、と言う方もいた。

 前の筆頭評議員の派の方々は、ここぞとばかりに眉をひそめた。


 ギルベルト様は、その話を聞くと拡大鏡を机に叩きつけた。



「典範のどこに、編纂官が花嫁であってはならんと書いてある。書いてないことを禁じるのは、典範を読まん者のすることじゃ」



 その一言が、どういう道を通ってか陛下のお耳に届いたらしい。

 翌週、陛下から短い私信が来た。



『読みなさい。それと、場所は図書館にしなさい。典範の原本を、わざわざ王宮へ運ぶのは手間だ』



 レオンは私信を読んで、珍しく声を立てて笑った。

 閲覧室で婚礼を挙げた者は、図書館の三百年の記録を引いても一人もいないそうだ。


 同じ私信の終わりに、もう一行あった。

 ギルベルト・ハースの引退の願いを、婚礼のあとに受ける、と。


 ギルベルト様は、その行を拡大鏡で三度読んだ。

 それから、何でもない顔で私信を畳んだ。



「二年と半年前に出した願いじゃ。やっと届いたか」


「……寂しくなります」


「たわけ。図書館の裏に部屋を借りる。館長の家の隣じゃ。お前さんが読み違えたら、杖で窓を叩きに来る」



 ギルベルト様はそう言って、窓のほうを向いた。

 あの方が窓を向くのは、顔を見られたくないときだと、私はもう知っている。




◇




 秋の終わりの安息日、イレーネ様に連れられて仕立て屋へ行った。


 十年、私のドレスは王子妃の色で選ばれてきた。

 淡い薔薇色、控えめな水色、王家の紋章に合う金の縁取り。

 どれも似合うと言われたけれど、一度も自分で選んだことはない。



「何色がいいの」



 イレーネ様は、生地の見本を卓に広げて、一言だけ訊いた。


 私は、見本の山を長いあいだ眺めた。

 それから、いちばん端の一枚を指した。

 古い羊皮紙のような、少し黄みがかった白だ。



「……地図の、紙の色です」



 イレーネ様は、ほんの少しだけ目を細めた。

 それが、あの方の笑い方だと、もう私は知っている。



「八つのあなたに礼法の最初の講義をしたとき、わたくしは、お辞儀の次に、王子妃の色の選び方を教えました」



 イレーネ様は、地図の紙の色の見本を、私の手の上に載せた。



「今日で、取り消します。……袖口には、刺繍を入れましょう。頼む人は、もう決めてあります」



 数日後、刺繍の図案が届いた。

 袖口をぐるりと巡る、小さな開いた本の列。

 添えられた紙には、細い字で『ローゼン家 マルガレーテ』とだけ書いてあった。


 ユリウス殿下にそれを伝えると、殿下は「そうですか」と言って、耳を赤くした。

 それ以上は、何も言わなかった。

 三年は、まだ始まったばかりだ。




◇




 婚礼の十日前から、閉館後の閲覧室で、読み上げの稽古をした。


 書見台は、閲覧室の正面に据えてある。

 その上に、典範の原本。

 ランプは二つ灯して、一つは書見台に、一つはレオンの修繕の机に置く。


 レオンは、自分の修繕の机で写本を直しながら聞いている。

 いちばん近い席で聞きます、と誓詞に書いた人だ。

 稽古のあいだ、紙を直す音は一度も止まらなかった。


 第六十四条は、短い。

 夜会の大広間で読み上げた第九十九条の、半分もない。

 それなのに、私は毎晩、同じところでつかえた。



「『婚姻は、両人の――』」



 両人。

 読み上げる私が、その両人の片方なのだ。


 六年前、この閲覧室で、私は泣きながら条文を書いた。

 あの夜の私は、誰かに守ってほしくて、言葉に重みを置く決まりを書いた。

 今、同じ部屋で読もうとしているのは、私が自分で選んだ人と、自分で結ぶための条文だ。


 声に出すたびに、条文が少しずつ、私のほうを向く。

 十年、典範は誰かに向けて読むものだった。

 殿下に、評議員に、相談に来た家の人たちに。


 自分に向けて読んだことは、一度もない。



「つかえても、いいと思います」



 十日目の夜、レオンが手を止めて言った。



「つかえたら、私が待ちます。あなたが答えを探しているあいだは、急かさないと書きましたので」


「誓詞に書いたことを、そのまま言うのはずるいです」


「書いたことしか言えないのが、私の取り柄です」



 私は、書見台に手をついて笑った。

 笑ったら、喉の奥のつかえが、少しだけほどけた。


 もう一度、頭から読む。

 今度は、一度もつかえなかった。

 読み終えると、修繕の机で、紙を直す音がほんの一瞬だけ止まった。


 閲覧室の窓の外は、もう真っ暗だった。

 硝子に、ランプが二つ映っている。


 書見台の脇には、封をした紙が二通置いてある。

 一通は、私が書いた誓い。

 もう一通は、まだ読んでいない、レオンの誓いだ。


 明日、私は自分の婚姻の条文を、自分の声で読み上げる。

 そして、あの人の誓いを、あの人より先に、皆の前で声に出すのだ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。