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真実の愛を見つけたとおっしゃるので、王家の家訓を読み上げて差し上げました  作者: ま
第2章「百日の審議」

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第14話 推挙する者




 閲覧室の奥の書庫は、昼でも薄暗い。


 鍵付きの扉の向こうに、古い写しが背の順に並んでいる。

 第三十一条の古い写しを探したのも、この棚だった。

 あれから、まだ半月しか経っていない。


 レオン様が、高い段から一冊を下ろす。

 三代目の王の時代の、典範の写し。

 表紙の革は、角が丸く擦り減っている。


 昨日の朝から、この人は誰が綴じたのかを口にしない。

 私も訊かない。

 訊かないと決めると、不思議なことに、隣にいるのが少しも苦しくなかった。


 ただ、本を受け取るときに指が触れそうになって、私のほうが先に手を引いてしまう。

 閉架の階段のことを、この人も覚えているのだろうか。

 顔を上げられないまま、私は表紙の埃をそっと払った。



「第三十条には、由来の書き込みがあったはずです。修繕のときに見た覚えがある」



 三番目の机に運んで、頁を開いた。

 南の窓からの光が、左の肩越しに落ちてくる。

 隣の机では、レオン様が拡大鏡を手に身を乗り出していた。


 第三十条の余白に、細かい字がびっしりと並んでいる。

 三代前の編纂官の手だ。

 第三十一条のときに見た『問答の書を見よ』と、同じ癖のある字だった。


 私は、古語を一語ずつ今の言葉に置き換えながら、声に出して読んだ。


 二百年ほど前。

 十一歳の王子が、叔父の推す娘と婚約させられた。

 叔父は王弟で、娘は叔父の妻の縁者だった。

 王子が十八で即位すると、叔父は妃の後ろ盾として宮廷を握り、十年のあいだ、王の名で好きに命を下した。


 若い王が叔父を退けたのは、二十八の年だという。

 その年、王は典範に一条を書き加えさせた。

 王族の婚約は、年長の王族の推挙を要する。


 推挙を要する、と聞けば、推す者の力が増す決まりに見える。

 けれど余白の書き込みは、逆のことを言っている。

 推す者に、責めを負わせるための条文なのだ。


 読みながら、指先が冷たくなっていく。

 二百年前の話なのに、名前を入れ替えれば、そのまま今の話になる。


 余白の最後に、短い一文があった。



「『推挙は、継承の列に在る者の務めなり。列を外れし者の推挙は、推挙にあらず』」



 レオン様が、拡大鏡を下ろした。



「推挙した者は、その婚約に自分の継承の重みを預ける。婚約が国を損ねれば、推挙した者が責めを負う。だから、責めを負えない者には推挙させない」


「継承権を止められた者は、列の外にいます」


「ええ。北の砦で三年のあいだ、アルベルト殿下の推挙は、推挙になりません」



 推挙状は、紙切れだ。

 今のところは。


 私は、窓の外に目をやった。

 中庭の木が、昨日と同じように風に揺れている。

 けれど、何もかもが昨日とは違って見えた。



「……今のところは、です」


「審議で第百条が無効になれば、殿下の撤回が生きる。継承権が戻れば、推挙も戻る」


「だから、発表は審議の翌日なのですね」



 閣下は、二つの縁を一本の糸で結んでいる。

 その結び目は、二十七日後の典礼院にある。

 審議は、もう私一人のことではなかった。




◇




 午後、ユリウス殿下がふたたび閲覧室に来た。


 今日も供の者は入口に残して、一人で三番目の机の前に立つ。

 私が由来を読むあいだ、殿下は一度も口を挟まなかった。

 読み終えると、長いこと黙っていた。



「では、審議で先生が負ければ、僕は婚約するのですね」


「推挙が整えば、そうなります」


「負けなければ」


「兄君の推挙状は、推挙になりません。ただ、閣下は別の年長の王族を探されるでしょう」



 殿下は、唇を引き結んだ。

 十三歳の顔に、大人の影が一瞬だけよぎる。



「先生。僕にできることは、ありますか」



 私は、少し考えた。


 典範には、王族が自分の婚約を断る条文はない。

 婚約は裁可で成り、裁可でしか解かれない。

 王族の婚約は、長いあいだ、本人の外で決まるものだった。


 けれど、王族の言葉は重い。

 六年前、私がそう書いた。



「殿下が、ご自分の言葉で、どうしたいかを書かれることです。陛下に宛てて」


「断る、と書けばいいのですか」


「翻さなくていい言葉だけを、選んでください。第百条は、殿下にも掛かります。一度書いたことは、あとで都合が悪くなっても、取り消せません」



 殿下は、はっとしたように私を見た。

 それから、深く頷いた。




◇




 殿下は、隣の空いた机で書き始めた。


 書いては消し、消しては書く。

 断る、と書いて線を引く。

 マルガレーテ殿が嫌なのではない、と書いて、それも消す。

 インクの染みが、紙の端に増えていく。


 私は、その背中から目を離せなかった。


 閉館間際の閲覧室。

 泣きながら、何度も書き直した十二歳の私。

 あの夜の私も、きっとこんな背中をしていたのだ。


 やがて殿下は、ペンを置いて顔を上げた。

 迷ったように辺りを見回し、それから、修繕の机のほうへ歩いていく。



「この字は、これで合っていますか」



 レオン様の手が、止まった。


 一瞬だけ、あの人は私のほうを見た。

 眼鏡の奥の目が、ほんの少し笑っていた。


 それから殿下の紙を受け取り、長いあいだ見つめて、余白に一文字ずつ正しい字を書き添えた。

 六年前と、同じように。


 何も訊かない。

 どうして書いているのかも、誰に宛てたものかも。

 ただ、字だけを直して、紙を返す。


 あの夜の私は、この人がどんな顔で字を直してくれたのか、見ていなかった。

 自分の紙ばかり見ていたから。

 今、横から見るその顔は、ひどく真剣で、少しだけ嬉しそうだ。


 殿下の手紙は、短かった。



『父上。僕の婚約は、僕が相手に自分で問い、相手が自分で答えてから、父上にお願いします。それまでは、誰の推挙も受けません。ユリウス』



 第三十一条だ、と私は思った。

 婚約の前に、問う。

 偽らずに、答える。

 この方は、昨日と今日で、その条文をちゃんと自分の言葉にした。



「これなら、マルガレーテ殿に失礼になりませんか」


「なりません。マルガレーテ様も、きっと、問われたことがないはずですから」



 殿下は、手紙を丁寧に畳んで、上着の内側にしまった。

 扉のほうへ歩きかけて、ふと足を止める。



「そうだ、先生。伯父上の屋敷で、聞いてしまったことがあります」



 殿下は、少し声を落とした。



「伯父上がいちばん気にしているのは、ギルベルトでも、館長でもないそうです。グラーツ公爵夫人だと。前の女官長は、何でも書き留める人だったから、と」

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