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18/21

18 5日目──岡山県倉敷市、倉敷美観地区

  Side 飛鳥


 巴と別れた後、飛鳥は数駅戻って倉敷駅で降りた。

 実家へは岡山駅から在来線で一時間半ほどあればつく。最後の観光と思い、駅でキャリーケースを預けて美観地区に足を向ける。

 駅前の大通り沿いに歩いていくと、景色はふいに変わった。雰囲気の違う建物が続く横道が現れ、こちらが目的地だと分かる。

 道を曲がって、飛鳥は感嘆した。

 灰青の瓦に、白い漆喰の壁。風雨があたる部分に施されたなまこ壁──風雨対策の加工が、意匠としても洒落れている。趣のある日本建築の建物が道の両脇を占めていた。雰囲気を壊す、表通りのような現代的な背の高いビルは見えないよう工夫されている。

 美観地区。名が体を表す美しい街並みだ。

 飛鳥はそれを、今日は心落ち着けて楽しめる。

 昨日の雨の名残りのある道を、飛鳥はゆっくりと歩いた。



 店巡り、美術館、川舟体験。そう大きな地区ではないが、倉敷の観光は多様さもあって時間がすぐに過ぎる。

 しっかりと食べた朝食も消化され、空腹を感じたところで、飛鳥は下調べしておいた店に向かった。同じように思って行動している人が多いのか、店頭にはすでに人が多い。発券して順番を待つ間、一階のおみやげをのんびりと眺める。色とりどりのフルーツ菓子が並んでいる。パッケージも鮮やかで、見ているだけで心が浮き立つ。

 岡山は西日本屈指の果物の一大生産県だ。キャッチコピーの一つである『晴れの国』に表されるように日照時間が長く、フルーツの生育に良いと言われている。

 飛鳥のお目当ては、そんな場所だからこその一品だ。

 二階の喫茶スペースで、待望の品を前にした飛鳥は、ほぉっと堪らず吐息を洩らした。

 濃い紫、赤みのある紫、緑。三色のブドウが細長いグラス型の容器の上で輝いている。

 飛鳥が昼食よりも優先した、ぶどう三種──ニューピオーネ、シャインマスカットともう一種が乗ったフルーツパフェである。最後の一つは、店員が忙しそうで飛鳥は確認し損ねた。

 その美しくも勇壮な佇まいに、スマホで写真を撮る飛鳥の手も止まらない。自分の感動をそのまま残す写真を撮ろうとすると、撮影時間は延びるものである。

 とはいえ、アイスも入っているようなので、さっそく食べていく。

 放り込んだピオーネがみずみずしく口の中で弾け、酸味と甘味がバランスよく広がる。

 おいしい。

 飛鳥は目を細め、黙々とスプーンを運んだ。



  ※ ※ ※



 この上もない満足感を感じて、飛鳥は電車に揺られていた。平日昼ということもあって、並ぶクロスシート──二人掛けの椅子に乗客の姿はまばらだ。太陽の傾きが浅く、誰も座っていない日向寄りの座席が明るく照らされている。

 倉敷から飛鳥の住む地域の最寄り駅である上郡までは、山陽本線に乗っていれば着く。その景色は山沿いであまり代り映えしない。同じ区間の海沿いを行く赤穂線もあったが、時間帯でちょうど良かったこの便に飛鳥は乗った。

 東岡山を越える辺りで、住宅が多かった景色も終わる。山や畑、田んぼの緑が増え、飛鳥は窓から視線を外した。キャリーケースのポケット部分から、一冊の本を取り出す。

 『老人と海』。

 夏休み前、飛鳥が読み終わった本だ。飛鳥は実家に帰る度、おもしろかった読了後の本を持って行くようにしていた。一人暮らしのマンションは、後半年も経たずに引き払う。その片付けを念頭に置いた、整理の一環だ。何冊かある場合もあるが、今回はこの一冊だけだった。

 ぺらぺらと、何とはなしにめくっていく。一度読んだ物語は、一瞬の視認でも文章から場面を思い出せる。


 『老人と海』は、老人が海水浴に出かける話──ではない。巴の推測はてんで当たっていない。

 『老人と海』は、ある年老いた漁師の話である。アメリカの作家、アーネスト・ヘミングウェイによって一九五二年に出版された。舞台設定もその頃と思われ、キューバのハバナに住む主人公が乗るのは手漕ぎの漁船だ。若い漁師には儲けた金でモーターボートを買うものもいる中、年老いた主人公は長い不漁に見舞われていた。『運が尽きたのだ』と周りに扱われながらも、諦めずに漁へと出る主人公の前にある日、巨大な魚が現れる。疲労、眠気、老い、傷。すべてをかけた三日間の激闘の末、主人公はクロカジキを仕留める。そうしておおよそ船に乗り切らないその巨体を、主人公は船でえい航して港へと帰ろうとする。だがその帰路、サメの襲撃にあってしまうのだ。抵抗虚しく、港に帰る頃にはクロカジキは骨だけの姿になってしまう。

 エピソードをまとめると、そんな話だ。

 飛鳥は、これを悲しい物語だと思った。主人公は怪我をし、獲物も銛もナイフも失い、ただ身一つで帰り着いて、倒れるようにベッドで眠る。老人に死の気配を感じさせて、物語は終わる。

 飛鳥の胸に、読み終わった時のどうしようもなくやるせない感情がよみがえる。最後の数ページを、丁寧にめくる。

 ──少年が、泣いている。

 手を、飛鳥は止める。

 本の中で、少年が泣いている。

 作中で少年が、傷ついた老人の手を見て泣く。別の漁師から自分の力量を褒められた後にもまた泣き出す。老人が住む小屋を離れながらも、まだ泣く。

 飛鳥はそれを、可哀想だと、憐れだと、そういう感情だと思っていた。

 けれど少年は、戦い抜いた老人の手を見て泣く。自分はまだまだだと泣く。一緒に漁に行くと言い張り、泣く。

 そこにあるのは、何か。老人の生存を喜ぶだけならもっと前に泣いている。手のひらを見て、戦いの証を見て、戦果に関わらず少年は泣いている。

 ただ一人、孤独に戦いきった老人の姿に。

 それは、畏怖ではないか。感動と言ってもいい。だから自分の実力に泣く。至らないことは自分が一番分かっている。だから老人の小屋を離れながら泣く。偉大なる人の喪失の予感に。

 ボロボロになってまで何も得ることができなかった老人への、憐れみなどそこにはない。


 憐れみを抱いたのは、──飛鳥自身だ。


 飛鳥はもう一度読み返して気づいた。

 それはこの物語の大半を、三日間の激闘を、老人の生涯を、収穫がなかっただけで否定する行いだ。一方的に自分の価値観を押し付ける行為だ。

 それは、傲慢に他ならない。

 老人と少年。そこにあるのは、確かな継承なのに、飛鳥は終わりにばかり目を取られていた。


 『認められるだけが幸福ではないかもしれない』。

 『けれどこんな終わりはあんまりではないか』。


 思い出すのは自分の感想だ。そうして拍子抜けする。

 これ以上ないほど、少年に認められているではないか。

 それだけで物語から受ける印象が百八十度変わる。死の影は否定できない。でも少年が側にいる。少年が老人を孤独にしない。少年が老人の誇りを認めている。

 老人が戦いきった姿を見せたからこそ、少年は親の言いつけに逆らっても、老人の側にいることを選択した。成功だけに、意味があるのではない。失敗ですら、無意味ではない。何かを為そうとすること、その意思だけで世界は共鳴していく。

 これは、終わりの物語ではない。

 終わりと、始まりの狭間を描く物語だ。


 あぁと、腑に落ちて、飛鳥は目を伏せた。


 飛鳥は、橋を渡りたいという感情がいつもある。

 その感情の源泉は、幼少期の思い出だ。

 母方の祖父母を大阪へ訪問する時に見る、明石海峡大橋。海沿いを車で走っていると否応なく目に入るその勇壮な姿に惹かれた。

 そうして「渡りたい」と言っては、「また今度ね」と返されるのがいつもの流れだった。

 母の意地悪ではない。予定、計画、時間制限。小学生高学年にもなれば、飛鳥にも突発的な予定変更の難しさは分かってきた。

 だからやがて、飛鳥は「渡りたい」と言わなくなった。

 でもその感情そのものがなくなったわけではない。

 完璧に計画を立て、やるべきことをこなし、目的を達成する。

 そんな中でも、「渡りたい」気持ちはずっと残り続けた。

 でも渡る理由は見つけられなかった。だって飛鳥の行く先に、その寄り道は必要ない。

 けれど。


 空色のTシャツ、メタリックな青い自転車。


 どれだけ言い訳を連ねて逃げようとしても、最後には走り出した姿。

 完璧な準備も納得も、明確な目的も理由も、きっと巴にはなかった。それでも飛鳥の強引な説得を、自分のためだと信じて、巴は動き出した。

 巴は、挑戦することができる。

 飛鳥はようやく、気づいた。

 あの日、お尻が痛くなるほど乗っていた在来線。帰省の予定を急遽変えて渡った、尾道の橋。この旅の間中ずっと、浮き立っていた心。

 その理由。

 『老人と海』が悲しい小説だと、思わなくなった理由。


 本を閉じた。膝の上に置き、視線を車窓へと向ける。電車の進行に合わせて、景色は流れていく。

 まだ夏の気配が残る木々が、強い日差しに眩く緑に輝いていた。


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