11-5
バンジージャンプを終えた植村さんは、まだ少し足元がおぼつかない様子だった。画面の向こうでは、山本君が楽しそうに笑っている。
『植村さん、感想をどうぞ』
『二度と飛びません』
『それ、さっきも聞きました』
『三度でも四度でも言います』
植村さんは真顔だった。どうやら本気らしい。兄も隣で笑っている。
『でも、飛べたじゃないか』
『飛ばされた気分です』
『自分で飛んだんだぞ』
『もう記憶から消したいです』
その言葉に、また周囲から笑い声が上がった。私は肩を震わせながら画面を見つめる。本当に楽しそうだ。出張なのか旅行なのか分からなくなってくる。
『それじゃあ、この辺で終わります』
山本君がカメラへ向かって手を振った。
『紫乙さんも見てくれてありがとうございました』
「こちらこそ楽しませてもらったわ」
『ルークさんも』
「面白かった」
ルークが真顔で答える。
『良かったです』
山本君は笑った。そして、最後に兄が画面へ近づいてきた。
『また連絡する』
「うん」
『小皿も探しておく』
「ありがとう」
『ルークの分もな』
その言葉に私は吹き出しそうになる。ルークは平然としていた。
『ユリウスさんと同じ土産ですね』
山本君まで笑っている。ルークが頷く。
『了解だ』
兄が苦笑した。そして、通話は終了した。画面が暗くなる。部屋の中に静けさが戻った。私はスマートフォンをテーブルへ置き、大きく息を吐く。
「面白かった」
「うん」
ルークも満足そうだった。
「植村さん、大丈夫かしら」
「たぶん」
「たぶんって」
「生きてる」
それは確かだった。私は笑いながら立ち上がる。気が付けば、もう昼が近い。そして、部屋の中にはカレーの香りが満ちていた。
「ああ」
ルークが鍋を見る。
「昼だね」
「そうね」
私はキッチンへ向かった。炊飯器を開ける。ふわりと湯気が立ち上る。白いご飯を皿によそう。その横へカレーをかける。じゃがいもも、にんじんも、牛肉も大きめだ。ルークの希望通りだった。
鍋から立ち上る香りを嗅いだ瞬間、私はふと昔のことを思い出した。知り合ったばかりの頃のことだ。あの頃は今とは違った。ルークは私にウォークインした状態で行動していた。地球での生活に慣れてはいたが、何をするにも慎重だった。そして、一緒にカレーを食べたことがある。確か、今と同じような休日だった。私はカレーを皿へよそいながら思い出す。あの時は食べづらかった。なぜなら、ルークが必要以上に気を遣っていたからだ。スプーンですくう。確認する。温度を確かめる。さらに確認する。そして、ようやく口へ運ぶ。その様子を見ているうちに、私の方が落ち着かなくなった。
後から聞けば、理由は単純だった。私にやけどをさせたくなかったらしい。熱い食べ物を食べ慣れていないと思っていたそうだ。当時の私は呆れたものだった。もちろん優しさなのは分かる。でも、あまりにも慎重すぎた。私は思わず笑う。
「なに?」
ルークが聞いてきた。
「前のことを思い出したの」
「前?」
「知り合った頃」
すると、ルークも少し考える。
「カレー?」
「そう」
どうやら本人も思い出したらしい。私はカレー皿をテーブルへ運びながら言った。
「あの時、食べるの大変だったわね」
「そう?」
「そうよ」
私は笑った。
「ずっと温度を確認してたじゃない」
「ああ」
ルークが頷く。
「やけどしたら困ると思った」
「私は子供じゃないのよ」
「分からなかった」
本気で言っている。私は呆れてしまう。しかし、その頃のルークなら確かにそうだった。心配すると、あそこまで極端になるのだ。私はスプーンを並べながら言った。
「今も熱いの苦手だと思ってる?」
「少し」
「少しなの?」
「少し」
以前よりは成長したらしい。私は笑いながら椅子へ座った。そして、ふと思いつく。
「少し冷まして食べる?」
皿を見ると、湯気が立っている。結構熱そうだった。するとルークは首を横に振った。
「熱いままでいい」
「大丈夫?」
「うん」
即答だった。
「今日は熱いまま食べる」
私は少し驚く。前なら絶対に言わなかった。慎重に慎重を重ねていた人とは思えない。
「成長したわね」
思わずそう言う。すると、ルークが不思議そうな顔をした。
「なんで?」
「前はもっと慎重だったでしょう」
「そう?」
「そうよ」
私が笑うと、ルークは少しだけ考え込んだ。それから静かに言う。
「紫乙が慣れたから」
「え?」
「熱いのも」
その言葉に私は一瞬黙った。
「それに」
ルークは続ける。
「今は分かる」
「何が?」
「やけどしたら、自分で言う」
私は思わず吹き出した。
「当たり前でしょう」
「うん」
ルークも少し笑った。たぶん、それが答えなのだろう。今は長い時間を一緒に過ごしてきた。言わなくても分かることが増えた。言葉にしなくても伝わることがある。私はそんなことを考えながらスプーンを手に取った。
「いただきます」
「いただきます」
二人同時に言う。そして、湯気の立つカレーへスプーンを入れた。窓の外では冬の陽射しが静かに輝いていた。穏やかな土曜日の昼が、ゆっくりと始まろうとしていた。




