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画面の向こうで、植村さんがゆっくりとジャンプ台へ向かって歩いていた。その姿を見ながら、私は思った。顔色が悪い。今にも帰りたいと言い出しそうな顔だった。二回目だなんて思えなかった。どうして飛びたいと思ったのだろうか。
『植村さん!』
山本君が元気よく声をかける。
『今のお気持ちは!?』
『帰りたいです』
即答だった。私は吹き出した。兄も横で肩を震わせている。
『まだ間に合いますよ!』
『本当に?』
『嘘です!』
『山本君!』
植村さんが本気で怒った。しかし、そのやり取りのおかげで少しだけ緊張がほぐれたらしい。周囲のスタッフまで笑っている。マカオタワーの展望台から見える景色は圧巻だった。青い海。長く伸びる橋。遠くに見える高層ビル群。空には薄い雲が流れている。そして、そのすべてが信じられないほど小さく見えた。なぜなら、高すぎるからだ。
「すごい高さね」
『世界的にも有名なバンジージャンプですよ!』
「私なら絶対無理」
『僕もです』
その返事にまた笑ってしまう。すると、植村さんがジャンプ台の先端へ案内された。足元を見た瞬間だった。
『あっ』
植村さんが固まった。一歩も動かない。
『植村さん?』
『高い』
『今さらですか』
『高い』
『知ってます』
『高い』
『語彙力が消えてますね』
山本君が楽しそうだった。兄は少し離れた場所で見ている。よく見ると笑っていた。完全に面白がっている。
「助けてあげないの?」
私が聞くと、兄が苦笑した。
『本人が飛ぶって言ったからな』
『社長は止めたんですよ』
山本君が補足する。
『3回くらい』
『5回だ』
『5回でした』
植村さんが振り返った。
『今からでも止められますか?』
『無理です』
『山本君!』
また笑い声が起きる。しかし、その時だった。スタッフが何か声をかける。植村さんが頷く。どうやら準備が終わったらしい。
『来ます』
山本君の声が少し真面目になる。
『いよいよです』
私も思わず息を呑んだ。隣のルークも真剣な顔になっている。スマートフォンの画面越しでも緊張感が伝わってきた。植村さんがジャンプ台の端に立つ。風が強い。その先には空しかない。いや、正確には空と地面だ。ただし地面は遥か下にある。スタッフがカウントを始める。
『スリー!』
植村さんが目を閉じる。
『ツー!』
顔色がさらに悪くなる。
『ワン!』
そして――。植村さんは飛ばなかった。
『無理です!』
後ろへ下がった。私は思わず笑い出す。ルークも吹き出していた。画面の向こうでは山本君が笑っている。
『やっぱり!』
『無理だろうと思ってました!』
『だったら先に言ってください!』
植村さんが叫ぶ。兄も完全に笑っていた。かなり楽しそうだ。植村さんは深呼吸を繰り返している。本気で怖いのだろう。無理もない。私だって絶対に飛びたくない。しかし、数分後。植村さんは再び先端へ向かった。今度は表情が違う。覚悟を決めた顔だった。
『頑張れー!』
山本君が叫ぶ。
『植村さん!』
『帰ったら昼ご飯おごります!』
『本当ですか!?』
『嘘です!』
『山本君!』
最後までそんな調子だった。そして、再びカウントが始まる。
『スリー!』
風が吹く。
『ツー!』
植村さんが前を見る。
『ワン!』
一瞬だった。植村さんが前へ飛び出した。
「わっ!」
私は思わず声を上げる。画面が大きく揺れた。
『飛んだー!!』
山本君の絶叫が響く。植村さんの身体が真っ逆さまに落ちていく。空。海。街並み。すべてが猛烈な速さで流れていく。
『うわあああああああああああ!!』
植村さんの叫び声が聞こえた。本当に叫んでいた。全力だった。その様子に私は笑いながらも手に汗を握る。すごい。本当に飛んだ。やがてロープが伸びきり、大きく反動が返る。植村さんの身体が空中で跳ね上がる。
『うわああああああ!!』
さらに叫ぶ。
『ああああああ!!』
また叫ぶ。
『帰りたいー!!』
意味不明だった。もう飛んでいる。帰る段階は過ぎている。しかし、その叫び声に全員が大笑いしていた。山本君はカメラを持ちながら涙を流して笑っていた。そして数分後。無事に回収された植村さんが戻ってくる。足元はふらふらだった。
『どうでした!?』
山本君がマイク代わりにスマートフォンを向ける。植村さんは数秒黙っていた。そして、真顔で言った。
『もう二度と飛びません』
その言葉に、展望台は大爆笑に包まれた。私もルークも笑いが止まらない。画面の向こうでは兄が植村さんの肩を叩いていた。労うように。そして、少しだけ誇らしそうに。どうやら植村さんは、無事に人生で一番高い場所からの挑戦を終えたらしかった。




