11-2
少なくとも、最初に出会った頃に比べれば、今はずいぶん平和になった。喧嘩になることもほとんどない。それは私が大人になったからというわけではなく、単純にルークの扱い方が分かってきたからだった。何か言い出した時に無理に抵抗しても、あまり意味がない。
食事ひとつとってもそうだ。今日は何を食べるか、自分で決めているつもりでも、気が付けばルークの希望が採用されていることが多い。最初は不思議だった。どうしてそうなるのだろうと思っていた。けれど今なら分かる。ルークは強引に命令したりはしない。ただ、ものすごく粘り強いのだ。静かに。自然に。当たり前のように。自分の希望を言い続ける。そして最終的に、こちらが折れる。その方が早いと思ってしまうのである。考えてみれば、少々危険な気もする。本人に悪気がないからなおさらだ。私はトーストをかじりながら、そんなことを考えていた。
そして、ふと先日のことを思い出す。玲司さんと恵介君のことだ。結局、あの後どうなったのだろう。私の目には、二人とも特に変わったようには見えなかった。もちろん、どこか雰囲気は柔らかくなっていた気もする。けれど、それだけだった。
「結局どうなったの?」
私が聞くと、ルークが顔を上げる。
「なにが?」
「玲司さんたちよ」
すると、ルークが少しだけ笑った。なんとも意地の悪い顔だった。
「知りたい?」
「知りたい」
「内緒」
私はパンを置いた。
「教えなさい」
「嫌」
「なんでよ」
「本人たちの話だから」
あまりにも正論だった。ぐうの音も出ない。私は悔しそうに顔をしかめる。すると、ルークはコーンスープを一口飲んでから言った。
「でも」
「でも?」
「大丈夫だった」
その声は穏やかだった。
「二人とも笑ってた」
私は少しだけ肩の力を抜いた。詳しいことは分からない。きっと本人たちが話したい時になったら話してくれるだろう。けれど、少なくとも悪い結果ではなかったらしい。窓の外では、冬の陽射しが街を照らしている。穏やかな土曜日の朝だった。私は残っていた味噌汁を飲みながら、ふと思う。今日は静かな一日になりそうだと。仕事の予定も特にない。買い物でもして、のんびり過ごすのも悪くない。そう思った瞬間だった。ルークが真顔で言った。
「昼はカレーがいい」
私は思わず吹き出しそうになった。
「朝食を食べながら昼の話をしないで」
「大事」
「まだ8時よ?」
「準備が必要」
「どれだけ本気なのよ」
私が呆れると、ルークは真剣な顔で頷いた。本気だった。どうやら昨夜のうちから決めていたらしい。
「レトルトじゃ駄目?」
「駄目」
「なんで?」
「今日はカレーの日だから」
「そんな記念日は知らないわよ」
「今、決めた」
あまりにも堂々としている。私は思わず笑ってしまった。ルークは満足そうにコーンスープを飲んでいる。その姿を見ていると、なんだか怒る気も失せてしまう。結局、昼食はカレーになるのだろう。たぶん材料を買いに行くことになる。そうやって、今日もルークのペースに巻き込まれていくのだ。私は苦笑しながらトーストをかじった。静かな朝は、どうやら思っていたより長くは続かなさそうだった。
静かな朝は長く続かなかった。私が朝食を食べ終え、空になった味噌汁のお椀を流しに運ぼうとした時だった。テーブルの上に置いていたスマートフォンが震える。
「あら」
画面を見ると、兄からのラインだった。私は思わず笑う。ルークがコーンスープを飲みながら聞く。
「誰から?」
「お兄ちゃんから」
土産は何がいいのか、ずっと聞かれている。私はトーク画面を開いた。案の定だった。
『土産、まだ決まらないか?』
その下には困った顔のスタンプまでついている。
「昨日から聞かれてるのに」
私は苦笑した。兄らしい。気を遣っているのだろう。しかし、いざ聞かれると難しい。チョコレートもいい。お菓子もいい。でも、荷物になるし、消えてしまう。せっかくなら長く残るものがいい。私は少し考えた。そして、昨日からぼんやり思っていたものを思い出す。
「そうだ」
私はスマートフォンを操作した。
『ポルトガルの小皿が欲しい』
送信する。マカオは長くポルトガルの影響を受けてきた土地だ。青や黄色の鮮やかな模様が描かれた陶器も多い。小さな飾り皿なら軽いし、棚に置いても綺麗だろう。実用的でもある。我ながら良い案だと思った。数秒後、既読がつく。そして、すぐに返事が返ってきた。
『了解』
さらに続く。
『ルークは?』
私は思わず笑った。
「聞かれているわよ」
ルークが顔を上げる。
「なにを?」
「お土産」
「僕?」
「そう」
「じゃあ、考える」
そう言うと、ルークは真面目な顔になった。本当に考えているらしい。私は少し待った。その間、ルークは黙っていた。そして、突然言った。
「決まった」
「早いわね」
「うん」
「何?」
するとルークは当然のような顔で答えた。
「ユリウス君と同じもの」
私は吹き出しそうになった。
「は?」
「同じのでいい」
「何それ」
「同じがいい」
理由になっていない。私は思わず笑った。
「そう送るの?」
「送る」
「絶対困るわよ」
「大丈夫」
「何が?」
「凰李が選ぶから」
私は理解した。ルークらしいと言えば、ルークらしい。
『ルークはユリウスさんのお土産と同じものでいいそうよ』
送信した。数秒後、既読がついた。そして――。
『なんだそれ(笑)』
すぐに返事が来た。私は思わず声を上げて笑った。兄がスマートフォンを見ながら笑っている姿が容易に想像できた。絶対に面白がっている。そして、ユリウスさんが聞いたら、さらに笑う気がする。そんな光景まで想像できた。ルークは満足そうだった。私は苦笑しながらスマートフォンを置いた。すると、向かい側で、ルークが真顔で言った。
「カレーの具は大きめがいい」
私は思わず額を押さえた。どうやらこの人の頭の中は、もう完全に昼食のことでいっぱいらしかった。




