10-6
ひとしきり笑いが落ち着いた頃には、食卓には再び穏やかな空気が戻っていた。もっとも、私はまだ少し恥ずかしかった。隣ではルークが何事もなかったかのように手巻き寿司を作っている。原因は間違いなくこの人なのだが、本人はまったく気にしていないらしい。私はため息をつきながら、お茶を一口飲んだ。
すると、上座に座っていた隆さんが静かに口を開いた。
「さて」
自然と全員の視線が集まる。
「恵介君」
名前を呼ばれた恵介君が姿勢を正した。
「はい」
「今後の仕事はどうなっているんだ?」
その質問は、ごく自然なものだった。けれど、この場にいる全員が気にしていることでもあった。中田の件が起きてから、恵介君を取り巻く環境は大きく変わってしまった。本人には何の責任もない。それでも世間は簡単に切り離して考えてくれない。私は恵介君の横顔を見た。少しだけ緊張しているように見えた。すると瀬名さんが口を開く。
「現在の予定をご説明します」
さすがマネージャーだった。落ち着いた声で話し始める。
「まず昨日行われた対談ですが、週刊『ミルキーウェイ』の3月18日号に掲載予定です」
「ああ」
隆さんが頷く。玲司さんも興味深そうに聞いている。
「ワタベ電機の伊神課長との対談は大変良い時間でした」
「はい」
瀬名さんが微笑む。
「予定通り進んでおります。編集部からも問題なく掲載すると連絡をいただいています」
私は内心ほっとした。もし中田の件の影響で掲載延期などになっていたら、恵介君も落ち込んだだろう。
「対談内容も良かったですし、写真の仕上がりも期待できると思います」
「恵介、緊張してたんだろうね」
夏樹君が笑う。
「していないよ」
「していたんだろう?」
「していないってば」
「ううん。してたと思うよ」
子供のようなやり取りに周囲が笑った。恵介君は恥ずかしそうな顔をしていたが、どこか安心したようにも見えた。隆さんが再び話を戻す。
「他には?」
「テレビの仕事が一本、決まっています」
その言葉に空気が少し明るくなった。
「テレビか。どんな内容なんだ?」
「情報番組の特集コーナーです」
瀬名さんは資料を思い出すように答えた。
「春のファッション特集で、モデルとして出演予定です」
「それは良かったな」
隆さんが頷いた。
「テレビは露出が大きい」
「はい」
「今の時期だからこそ価値があるでしょう」
瀬名さんの声には確かな手応えがあった。恵介君も少しだけ表情を和らげる。しかし、そこで隆さんが尋ねた。
「それ以外は?」
一瞬だけ沈黙が落ちる。瀬名さんは正直に答えた。
「ありません」
大広間が静かになった。
「2か月先まで、ほぼ白紙です」
私は胸が少し痛くなった。モデルとして活動している以上、仕事が入らないというのは不安なはずだ。恵介君も表情を変えなかったが、きっと心の中では色々考えているだろう。しかし、瀬名さんは落ち着いていた。
「ただ、それは予定通りでもあります」
「予定通り?」
隆さんが聞き返す。
「はい」
瀬名さんははっきり頷いた。
「中田さんの件が発覚した直後、事務所側でスケジュールを調整しました」
「なるほど」
「無理に仕事を詰め込まず、様子を見る方針にしたんです」
私は納得した。今はどの現場も慎重になっている。そんな時期に無理をしても、恵介君自身が疲弊してしまうだけだ。
「2か月ほど経てば、状況は落ち着くと判断しています」
瀬名さんは続けた。
「警察の捜査も進みますし、報道の勢いも今ほどではなくなるでしょう」
「確かに」
玲司さんが頷く。
「世間は次の話題に移るからな」
「はい」
「ですので、その頃から一気に仕事を入れる予定です」
恵介君が顔を上げた。その言葉は本人も初めて聞く内容ではないはずだ。それでも少し安心したように見えた。
「具体的には?」
隆さんが尋ねる。
「雑誌の撮影、広告案件、イベント出演ですね」
瀬名さんが答える。
「すでに何社かには話を通しています」
「早いな」
「準備だけは進めていますから」
瀬名さんは笑った。
「今は動かないだけです」
その言葉に私は感心した。さすがプロだった。表面上は何もないように見えても、水面下ではしっかり動いている。
「恵介君の商品価値が下がったとは思っていません」
瀬名さんは真っ直ぐ言った。
「むしろ本人には何の問題もありませんから」
その言葉に恵介君が目を伏せる。きっと嬉しかったのだろう。
「ありがとうございます」
小さな声だった。すると、瀬名さんは肩をすくめた。
「事実を言っただけだよ」
「でも……」
「それに」
瀬名さんは少し笑った。
「君は真面目だからね」
「そうかな?」
「うん。頑固だけどね」
瀬名さんの言葉に、夏樹君が口を挟む。
「うん。頑固だよね」
「みんなして何なんですか」
恵介君が不満そうに言う。しかし、そのやり取りに再び笑いが起こった。重くなりかけていた空気が自然に和らぐ。そんな様子を見ながら、隆さんは静かに頷いた。
「なら、問題ないな」
その一言には不思議な重みがあった。黒崎家の主として、多くの人を見てきた人の言葉だった。
「焦る必要はない」
隆さんは恵介君を見た。
「今は休むといい。働ける時に働けばいい」
恵介君は少し驚いたような顔をした。それから静かに頭を下げる。
「はい」
「人生は長い」
隆さんはお茶を口にした。
「2か月など、あっという間だ」
その言葉に、私も自然と頷いていた。確かにそうかもしれない。今は嵐の中にいるような気分でも、季節は必ず変わる。その頃には、恵介君もまた撮影現場で笑っているのだろう。そして今度は、中田のことではなく、自分自身の仕事で注目されるはずだ。食卓には再び穏やかな会話が戻っていった。そんな中、隣のルークが新しい手巻き寿司を私の皿に置く。
「紫乙」
「なに?」
「元気を出して」
「別に落ち込んでないわよ」
「そう?」
「そうよ」
私が答えると、ルークは少し考えてから言った。
「じゃあ、結婚の話、続きする?」
「しない!」
即答した私に、大広間いっぱいの笑い声が響いたのだった。




