10-1 遠藤家
1月7日、水曜日。午前10時。
対談の日の翌日を迎えた。私は今日は都内のある場所に来ている。IKUエンターテイメントの遠藤社長宅だ。恵介君が当分の間身を寄せることになったためだ。昨日、ワタベ電機から帰宅した後、記者がマンションの前に待機して帰る様子を見せず、住人や近隣に迷惑が掛かってしまうことから、恵介君は昨夜はホテルに移動して、今後のことを事務所が話し合った。そこで、恵介君がナレーションの仕事を担当した繋がりから、遠藤さんが預かると声を上げて、恵介君は今朝早くからここにいる。
遠藤家には、61歳の健吾社長と、59歳の奥さんの佳代子さんが住んでいる。子供はいない。大型犬のリクと、猫のフリージアとリリーとの2人と3匹という家族構成だ。家は広くて、トラブルが起きた時にIKU所属のミュージシャンを預かるための部屋が用意されており、いつでも泊まれるような態勢が整えられている家だった。過去には、久弥さんが所属していたバンドのディアドロップのメンバーが薬物関連で逮捕されたことで取材が殺到し、一時的に身を寄せていたことがあったという。記者対応に慣れた家であり、ここには記者も来ないかもしれないと、玲司さんが言っていた。遠藤社長が、IKUのミュージシャンをテレビに出さないぞと言えば、記者たちは大人しくなるそうだ。ましてや、向かいの家には、黒崎の家がある。
黒崎家は、黒崎製菓の創業者一族だ。元社長の黒崎隆さんが住む家で、同じ敷地内には副社長である圭一さんの家がある。そして、その家には夏樹君が暮らしている。黒崎家も記者対応に慣れているというし、乱暴な記者はこないとされている。きちんとアポイントを取った人しか近づけないそうだ。それでも、強引な人は来ないわけではないそうだ。それでも、今までに比べると、ずっと静かになるだろうと、セランエージェンシー側が言っていた。
私は今日、恵介君の荷物を運ぶ手伝いをしている。玲司さんの秘書として、玲司さんに付き添い、恵介君の身の回りを整える仕事だ。今、玲司さんが、恵介君が暮らす部屋に入った。佳代子さんが掃除をしてくれていて、ベッドも整えられて、快適そうだと言っていた。申し訳ないとも言い、少し肩を落としていた。守ってやれなかったと言いながら。
私のそばにはルークがいて、荷物運びを手伝っている。瀬名さんと話しながら、次々と家の中に運び入れた。そして、IKUからも応援が来ていた。多々良君だった。久しぶりに会った。今年、また恵介君はナレーションの仕事を担当するそうで、その広報を担当する多々良君が挨拶がてら、来てくれたのだった。そして、なんと、夏樹君もいる。恵介君とは、黒崎家の庭のクリスマスツリーの前で行われた撮影で知り合い、打ち解けたそうで、差し入れのアップルパイを持ってきてくれた。岩野洋菓子店のものだ。そして、修輔君も来てくれた。そして、一貴さんが黒崎家に住んでいるから、いつでも遊びに来れると言って、恵介君のことを励ましていた。
段ボールの整理がひと段落した頃だった。大きな影が、私の足元へ飛び込んでくる。
「わっ」
思わず声が出た。次の瞬間、ふさふさした毛並みが膝へ擦り寄ってくる。
「リク」
私が名前を呼ぶと、リクが嬉しそうに尻尾を振った。ぶんぶんと音が聞こえそうな勢いだ。
「こんにちは」
しゃがみ込んで頭を撫でる。すると、リクはさらに身体を押し付けてきた。健吾さんと散歩から帰ってきたところだ。今度は鼻先で腕をつつかれる。遊んでほしいらしい。
「元気ね」
耳の後ろを掻いてやると、リクは気持ち良さそうに目を細めた。
「覚えてるんだな」
近くで見ていた健吾さんが笑う。
「紫乙ちゃんのこと好きなんだよ」
「そうなんですか?」
「前に来た時も、ずっと後ろをついて回っていた」
私は苦笑した。そういえば、そんなこともあった気がする。遠藤家へ来るのは初めてではない。黒崎家との付き合いから、お茶へ招かれたことが何度かあった。だから、この家は不思議と落ち着く。健吾さんは温厚だし、佳代子さんも優しい。大きな家なのに、どこか家庭的な空気があるのだ。
「リク、邪魔しないの」
佳代子さんが笑いながら声を掛ける。でも、リクは聞いていない。今度は私の肩へ顎を乗せてきた。
「重い」
私が言うと、近くで見ていたルークが吹き出した。
「同じこと思った」
「失礼ね」
「リクも紫乙に甘えてる」
「あなたと一緒にしないで」
「一緒だよ」
そう言ってルークまで肩へ寄りかかろうとする。
「やめなさい」
「差別だ」
「犬と張り合わないで」
そのやり取りに、周囲から笑い声が上がった。少し前まで重かった空気が、嘘みたいだった。恵介君も笑っている。その表情を見るだけで、私は少し安心する。すると、佳代子さんが手を叩いた。
「そうだわ」
みんなの視線が集まる。
「お昼ご飯は手巻き寿司にするわよ」
その言葉に、恵介君が顔を上げた。
「手巻き寿司ですか?」
「好きだって聞いたの」
佳代子さんが微笑む。
「だから準備してるのよ」
恵介君が少し驚いた顔になる。
「ありがとうございます」
「遠慮しないでたくさん食べてね」
その優しい言葉に、恵介君は照れたように笑った。健吾さんも頷く。
「昼は黒崎家に集まることになる」
「黒崎家?」
私は聞き返す。
「うん」
健吾さんが笑う。
「大人数集まる時は、だいたい向こうなんだ」
確かに、黒崎家の大広間は広い。二十人、三十人集まっても余裕がある。私は納得する。黒崎家と遠藤家は昔から交流がある。だから、自然な流れなのだろう。




