9-19
15時。
「――はい、オッケーです!」
カメラマンの声が応接室へ響いた。その瞬間、張り詰めていた空気がふっと緩む。
「お疲れ様でした!」
スタッフたちの声が重なった。拍手が起きる。対談は無事に終了したのだ。私は思わず息を吐いた。本当に長かった。恵介君はソファーから立ち上がり、ほっとしたように肩を回している。
「終わったぁ……」
小さく呟いたその顔には、本音が滲んでいた。伊神さんも穏やかに笑う。
「お疲れ様でした」
「伊神さん、本当にありがとうございました」
「こちらこそ」
二人は握手を交わした。その様子を見ながら、私は胸の奥が少し温かくなる。途中であんな騒ぎがあったとは思えないほど、対談は綺麗に終わった。きっと良い映像になるだろう。
その時だった。瀬名さんが応接室へ入ってくる。
「恵介」
「はい?」
「ちょっといいか」
恵介君が首を傾げる。でも、瀬名さんの表情を見て、何かを察したようだった。二人は少し離れた場所へ移動する。私はそれを見送りながら、自分の荷物をまとめ始めた。すでに帰り支度はほぼ終わっている。ノートパソコンも片付けた。資料も整理した。スタッフへの挨拶回りも済ませてある。いつでも帰れる状態だ。今日は秘書として来ている。そして、今の私の仕事は、玲司さんと恵介君を無事に帰すことだった。
するとその時だった。霧島さんがスマートフォンを耳に当てながら部屋へ戻ってきた。
「確認が取れました」
全員の視線が集まる。
「一階、問題なしです」
短い言葉だった。でも、その意味は大きい。記者はいないそうだ。私はほっと息を吐いた。どうやら本当に撤収したらしい。ワタベ電機の警備担当も頷いている。
「一時間ほど前から動きはありません」
「なら、今のうちですね。長居しない方がいいでしょう」
全員が頷く。正しい判断だと思った。記事になる前に。SNSで騒ぎが大きくなる前に。動けるうちに動く。それが一番安全だ。そこで、霧島さんが言った。
「車は地下へ回してあります。そのまま地下駐車場から出られます」
「助かります」
私は頭を下げた。その時、恵介君が戻ってきた。少しだけ表情が硬い。たぶん、瀬名さんから事情を聞いたのだろう。でも、思ったより落ち着いていた。
「……ご迷惑をおかけしました」
小さな声だった。ワタベ電機のスタッフたちが慌てる。
「いやいや!」
「全然ですよ」
「対談も無事終わりましたし!」
みんな本気でそう思っているらしかった。応接室の空気は温かかった。恵介君が少しだけ笑う。
「ありがとうございます」
その顔を見て、私は安心した。まだ大丈夫だ。ちゃんと笑えている。
その時だった。ルークが私の隣へやって来る。
「紫乙」
「なに?」
「今日の仕事終わり?」
「まだ」
私は首を振った。
「帰るまでが仕事」
「遠足みたい」
「そうじゃなくて」
私は苦笑する。
「玲司さんも、恵介君も、無事に帰るまでが仕事なの」
すると、ルークが少しだけ目を細めた。
「秘書だね」
「秘書です」
「格好いい」
「はいはい」
もう慣れてしまった。適当に流す。するとルークが不満そうな顔になった。
「今のは褒めてたのに」
「知ってる」
「もっと喜ぶところが見たい」
「仕事中だから」
そう答えておき、私は車の配置表の確認のために、タブレットを開いた。確認済みだ。ワタベ電機側の車が先導。恵介君の車が二台目。玲司さんの車が三台目だ。ルートも共有済みだ。後は帰るだけだ。
すると、私のスマートフォンに、秘書室からメッセージが届いた。玲司さんに取材の申し込みが寄せられており、もしかすると、自宅マンション前に記者が待っているかもしれないという内容だった。年末に一社来ており、帰ってもらったところだ。そこから、玲司さんのマンションの場所が広がったのかもしれなかった。
「社長。秘書室から連絡が入りました」
私は玲司さんに報告を始めた。窓の外を見るルークの表情が変わる。ほんの一瞬だった。私は気付く。私は見逃さなかった。さっき、何かを確認したと。玲司さんは冷静だった。一旦、家に帰るしかないと言い、霧島さんも、恵介君には瀬名さんが離れずついて、写真を撮られないように対応しようという話でまとまった。
「それでは、移動します」
霧島さんの声が響いた。全員が動き出す。椅子を戻す音。荷物を持つ音。挨拶を交わす声。対談は終わった。仕事も終わった。――そう思っていた。けれど、まだ終わっていない。私はもう一度記者と話をしないといけないことを想定し、呼吸を整えた。胸の奥にある小さな胸騒ぎは、まだ消えていなかった。




