9-18
14時。
対談が休憩に入ると、応接室の隣にある小会議室が臨時の作業スペースになった。長机の上にはノートパソコンが並び、スタッフたちが慌ただしく動いている。さっきまでの穏やかな空気はない。みんな静かに働いている。けれど、その動きは速かった。
「紫乙君」
玲司さんがノートパソコンを開きながら私を呼んだ。
「手、空いてるか?」
「はい」
「手伝ってくれ」
私はすぐに椅子を引いた。秘書として玲司さんの仕事を手伝う。本来の私はファーストコンタクトの秘書でもある。こういう時こそ動かなければならない。玲司さんがモニターを指差した。
「SNSの監視班から情報が上がってくる。内容を分類してくれ」
「分類?」
「危険度順だ」
私は画面を見る。次々と投稿が流れていた。
『恵介、ワタベ電機で目撃』
『記者が大量に集まってた』
『何か隠してる?ファーストコンタクトの社長って、親戚なんだよね?そこにいるの?』
『元恋人の件かな』
色々な投稿が並んでいる。その中には悪意のあるものもあった。憶測。デマ。決めつけ。見ているだけで嫌な気分になるもの。
「全部読む必要はない。重要なのだけ拾えばいい」
「承知しました」
私は深呼吸する。仕事だ。感情的になってはいけない。私は画面を見ながら、一つずつ整理していった。
危険度低。危険度中。危険度高。拡散数。発信元。メディア関係者かどうか。ファーストコンタクトで覚えたやり方だった。
「紫乙」
隣から声がする。ルークだった。私の椅子の背もたれに顎を乗せている。
「仕事をしている顔だね」
「当たり前でしょ」
「真面目だなあ」
「うるさい」
私が言い返すと、玲司さんが笑った。
「ルーク君、邪魔するな」
「していないよ」
「完全にしてるじゃない」
私は即答した。でも、そのやり取りで少しだけ肩の力が抜けた。霧島さんは事務所スタッフと話している。
「ワタベ電機の広報と連携しろ」
「はい」
「今日の対談内容は予定通り公開だ」
「了解です」
「記事が出たら時系列を整理してくれ」
次々と判断が下される。その時だった。
「霧島さん」
一人の社員が近付いてきた。
「週刊誌系のアカウントが新しい投稿を出しました」
霧島さんが顔を上げる。
「内容は?」
「“恵介が活動休止を検討中”というものです」
「嘘だな」
「完全な憶測ですね」
社員が頷く。霧島さんは少し考える。
「反応する必要はない」
「はい」
「事実だけ積み上げる」
その言葉を聞きながら、私は冷静だなと思った。感情で動かない。喧嘩もしない。でも、必要なことはする。その時だった。
「紫乙」
玲司さんがこちらを見た。
「まとめ終わったか?」
「はい」
私はメモを差し出した。玲司さんが目を通す。
「早いな」
「秘書ですから」
そう言うと、玲司さんが少し笑った。
「頼りになる」
その一言が嬉しかった。秘書として認められるのは、やっぱり嬉しい。ルークが横から覗き込む。
「紫乙、尻尾振ってる」
「振ってない!」
「振ってる」
「振ってない!」
私が睨むと、ルークが楽しそうに笑う。玲司さんまで肩を揺らしていた。その時だった。会議室の扉が開く。瀬名さんだった。
「対談、再開します。恵介の方は大丈夫です。本人はまだ何も知りません」
少し複雑そうな顔だった。でも、それが正しいのだろう。今は仕事を優先するしかない。
「終わるまで守り切ります」
瀬名さんが言う。玲司さんも頷いた。
「そうしよう」
その瞬間、私はふと窓の外を見る。冬の空は相変わらず曇っている。でも、さっきまで感じていた混乱は少し遠くなっていた。目の前には仕事がある。やるべきことがある。それは、不思議と人を落ち着かせるのだと思った。すると、隣でルークがぽつりと言う。
「紫乙」
「なに?」
「秘書してる時、好きだよ」
「は?」
「格好いいから」
私は思わず固まる。玲司さんが吹き出した。周囲の社員たちまで笑い始める。
「ちょっと!」
顔が熱くなる。ルークだけが満足そうだった。
「本当のこと言っただけ」
「今じゃなくていいでしょうが!」
笑い声が広がる。重かった空気が、少しだけ軽くなる。その様子を見ながら、玲司さんは穏やかに笑った。
「よし、対談終了まであと一時間。もうひと踏ん張りだ」
その言葉に、全員が頷いた。私はパソコンに向かい、作業を再開させたのだった。




