9-16
ロビーには、混乱した声が飛び交っていた。
「なんでだよ……!」
「電源が入らない!」
「いや、さっきまで普通だったろ!?」
記者たちは、それぞれ機材を抱えながら焦っている。カメラを何度も叩いている人。スマートフォンを再起動している人。録音データを確認しながら顔を青くしている人。さっきまでの勢いは、完全に消えていた。誰かを追い詰める空気ではない。突然、足場を失った人たちの空気だった。
「……今日はもう無理だな」
年配の男性記者が低く呟く。
「機材が死んでる」
「編集部に戻ります」
「予備ある人いないのか?」
「こっちも駄目です!」
焦りと苛立ちが混ざった声が続く。その間に、ワタベ電機の警備員たちが静かに動き始めていた。入口付近を整理し、通路を確保する。霧島さんは、その少し前に立ったまま、冷静に状況を見ていた。背筋がまっすぐ伸びている。スーツの肩線すら乱れていない。でも、あの冷たい目だけは変わらなかった。
「皆様、本日はお引き取りをお願いいたします」
落ち着いた声だった。
「これ以上の滞留は、施設側へご迷惑になります」
記者たちは反論しきれなかった。機材が壊れている。撮れない。録れない。それが一番大きかったのだろう。
「……撤収するか」
「最悪だ……」
「何だったんだ、今の」
ぼやきながら、一人、また一人と外へ出ていく。自動ドアが開くたび、冷たい風がロビーへ流れ込んできた。私は、その様子を呆然と見つめる。ほんの10分前まで、あんなに張り詰めていたのに。今はもう、空気が抜けていくみたいだった。外には、路肩へ停まっていた車が何台も並んでいる。記者たちはそこへ戻っていった。重たい機材を抱えながら。電話をかけながら。納得できない顔をしながら。中には、何度もカメラを確認している人もいる。でも、結局は動かないのだろう。誰も、もう強く出てこなかった。
その中で、一人だけ、機材が無事だったらしい男性記者が、霧島さんの前へ残っていた。三十代くらいだろうか。比較的落ち着いた雰囲気の人だった。
「霧島さん」
男性が静かに声をかける。
「少しだけ、お話を聞かせてもらえませんか」
霧島さんが視線を向ける。
「内容によります」
「恵介さんの現在の状態についてです」
霧島さんは少しだけ間を置いた。そして、低い声で答える。
「本人は仕事へ真摯に向き合っています」
「精神的な影響は?」
「少なくないでしょう」
記者が頷く。メモを取る手だけが動いている。
「ですが、今回の件について、本人が関与している事実はありません」
「交際自体は?」
「プライベートについてはお答えできません」
やはり一切ぶれない。でも、さっきまでの冷たさとは少し違っていた。記者も、無理に踏み込まない。空気を読んでいるのだろう。
「……復帰直後ですからね」
男性記者がぽつりと言った。
「ええ」
「正直、追い込みたくはないんです」
その言葉に、私は少し驚いた。記者にも、こういう人がいるのだ。ただ煽るだけじゃない。仕事として来ている人だ。
「ただ、世間の関心が高いのも事実です」
「理解しています」
霧島さんが静かに答える。
「ですが、今は仕事をさせてやりたい」
その声だけ、少しだけ感情が滲んでいた。私は胸が熱くなる。霧島さんは、本当に恵介君を守ろうとしている。
その時だった。外で車のドアが閉まる音がした。最後の記者たちも、撤収を始めているらしい。エントランス前が、少しずつ空いていく。さっきまで人影で埋まっていたガラスの向こうが、ようやく見えるようになってきた。私は、ゆっくり息を吐いた。静かだ。さっきまでの圧迫感が、嘘みたいだった。ロビーには、空調の音だけが残っている。その時。
「終わったね」
隣で、ルークが小さく言った。私は振り向く。ルークは、いつもの顔に戻っていた。さっきの異様な空気が嘘みたいに、柔らかく笑っている。
「……ルーク」
「なに?」
「絶対、あなた何かしたでしょ」
「証拠ある?」
「ないけど!」
私が睨むと、ルークがくすっと笑う。その時だった。霧島さんがこちらへ歩いてきた。
「先ほどは助かりました」
私は慌てて首を振る。
「そんな、大したことは……」
「いいえ」
霧島さんは静かに言った。
「あなたがいたことで、空気が柔らかくなりました」
私は少し戸惑う。そんなこと、考えてもいなかった。
「普通、あの状況で前へ出られる人は少ないです」
「……怖かったです」
正直に言うと、霧島さんが少しだけ笑った。
「それでいいんです。怖くても前へ出る人の方が、強い」
その言葉が、胸へ残る。私は少しだけ俯いた。その時。隣で、ルークがまたぼそっと言った。
「紫乙、褒められてる」
「分かってるわよ」
「顔、嬉しそう」
「うるさい!」
私が小声で抗議すると、ルークが楽しそうに笑った。その笑い声を聞きながら、私はようやく、肩の力が抜けていくのを感じていた。




