9-15
辺りは重たい緊張感が漂っていた。ガラス越しの冬空は白く濁っている。その前に並ぶ記者たちの姿が、妙に黒く見えた。カメラ。マイク。スマートフォン。鋭い視線。そのいくつもの視線が、今は私へ向いていた。さっき、記者へ声をかけたからだろう。完全に顔を覚えられている。
カメラのレンズが、こちらを追っていた。怖い。正直、足は震えそうだった。でも、私は、ゆっくり背筋を伸ばした。こういう時、数も大事だ。ふと、そんなことを思った。こちらが少人数で怯えて見えたら、大人数で押しかけてきている側は、きっと強気になる。下に見られる。だからせめて、姿勢だけは崩したくなかった。
私は小さく息を吸い、まっすぐ前を見る。その瞬間だった。隣で、ルークがにやりと笑った。ぞくり、とした。嫌な予感がする笑い方だった。
「……なに」
小声で聞く。すると、ルークが何かを呟いた。聞き取れないくらい、小さな声だった。次の瞬間。
「え?」
記者の一人が、焦った声を上げた。私は反射的にそちらを見る。カメラを構えていた男性の腕が、ゆっくり下がっていく。
「ちょ、なんだ……?」
本人も驚いた顔をしていた。腕を上げ直そうとしている。でも、上がらない。まるで重りでもついているみたいに、途中で止まる。
「え、待って、なんで……」
その隣では、マイクを持っていた女性記者が焦り始めていた。
「うそ、ちょっと……!」
マイクを持つ手が下がっていく。こちらも、途中から持ち上がらない。
「え?」
「なんだこれ」
「腕が……」
ざわめきが広がる。私は目を見開いた。何が起きているのか分からない。その時、ルークが、すぐ隣でぼそっと言った。
「アユールと言ったら、アユールと言っちゃいけない」
「……は?」
私は思わず振り向く。またそれだ。でも、その瞬間だった。違和感が走る。私は、はっとした。――誰も、ルークを見ていない。ルークは、こんなに目立つ場所に立っているのに。記者は誰一人、視線を向けない。まるで“そこにいない”みたいに。
「……え?」
私は息を止める。さっきまで普通に会話していた。なのに、今は違う。空気がおかしい。ルークだけが、世界から半歩ずれているみたいだった。記者たちの動きが、急にゆっくり見えた。カメラを持ち上げようとする動作。誰かが口を開く瞬間。全部が、水の中みたいに遅い。私はぞくっとする。でも、次の瞬間には元へ戻っていた。世界が急に速度を取り戻す。
「え!?」
「なんだこれ!」
「ちょっと、録音できてない!」
記者たちの焦った声が次々と上がった。私は反射的に周囲を見る。
「電源落ちた!?」
「いや、さっきまで動いてただろ!」
「データ飛んでる!」
「なんで!?」
機材トラブルだった。カメラのモニターが消えている。音声機器が反応しない。スマートフォンの画面が固まっている人までいる。ロビーの空気が、一気に混乱へ変わった。記者たちが慌てて機材を確認している。
「バッテリー!?」
「いや、満タンだった!」
「なんで起動しないんだ!」
私は呆然と立ち尽くした。そして、ゆっくり、ルークを見る。ルークは、楽しそうに笑っていた。悪戯が成功した子供みたいな顔だった。
「……ルーク」
「なに?」
「今、なにしたの」
「別に?」
「絶対したでしょうが!」
小声で睨む。でも、ルークは肩を竦めるだけだった。
「機械って繊細だから」
「そういう問題!?」
その時だった。霧島さんが、こちらをちらりと見た。一瞬だけ。鋭い視線だった。まるで、“何か起きた”ことだけは察しているみたいだった。私はどきっとする。けれど、霧島さんは何も言わなかった。その代わり、すぐに前へ出る。
「皆さん」
低く落ち着いた声が響いた。
「機材トラブルのようですので、本日は一度お引き取りください」
記者たちが混乱したまま顔を上げる。
「いや、でも……」
「この状態では取材継続は困難でしょう」
霧島さんは冷静だった。
「ワタベ電機様の業務にも支障が出ています」
その間にも、記者たちは焦っている。
「なんで起動しないんだ……!」
「SDカード認識しない!」
「録音全部消えてる!」
私は鳥肌が立っていた。偶然とは思えない。でも、誰もルークを見ていない。まるで、原因そのものが認識から外されているみたいだった。その時、ルークが、私の耳元へ顔を寄せた。
「紫乙」
「……なによ」
「背筋、ちゃんと伸ばしてた」
小さな声だった。
「偉かったね」
その言葉に、なぜだか、胸の奥が熱くなった。怖かった。本当は、今すぐ逃げたかった。でも、ルークはちゃんと見ていたのだ。私が逃げなかったことを。




