9-14
ロビーには、張り詰めた空気が漂っていた。ガラス張りのエントランスの向こうでは、冬の曇った空が広がっている。その前に、週刊誌記者たちが固まっていた。カメラを構える者。スマートフォンを片手に誰かと連絡を取っている者。こちらをじっと観察している者。その視線が、妙に鋭い。霧島さんは記者の中で知られた人物らしく、一歩下がって遠巻きにし始めた人がいた。
その少し前方に、霧島さんが立っていた。ダークネイビーのスーツ姿。長身の身体がまっすぐ伸びている。普段は柔らかい雰囲気だと聞いてあったが、まるで別人みたいだった。目が冷たい。感情を削ぎ落としたような、仕事の顔だった。
「現在、対談中です」
霧島さんが落ち着いた声で言う。
「ワタベ電機様の業務にも関わりますので、これ以上の待機はご遠慮ください」
記者の一人が前へ出た。
「霧島さん、少しだけお話を」
「取材対応はいたしません」
「恵介さんは元恋人の逮捕について把握されているんですか?」
「お答えできません」
即答だった。声を荒げるわけではない。でも、一歩も引かない強さがある。私はその横顔を見ながら、少しだけ圧倒されていた。瀬名さんが、その隣でスマートフォンを耳へ当てている。
「はい、瀬名です。……ありがとうございます」
どうやら事務所との連絡らしい。数秒後、瀬名さんが顔を上げた。
「霧島さん。事務所側も追加の記者の動きを把握したそうです」
「そうか」
「応援スタッフも、もうすぐ到着します」
霧島さんが短く頷く。
「助かる」
そのやり取りを聞きながら、私は少しだけ安心した。ちゃんと動いている人たちがいる。
「それまでに、できる限り人を散らします」
瀬名さんが低く言った。ワタベ電機の社員も緊張した顔で頷く。
「裏口側にも数名いるそうです」
「……やっぱり」
瀬名さんが眉を寄せる。その時だった。隣で、ルークが静かに口を開いた。
「搬入口側に3人いる」
私はびくっとする。
「え?」
「カメラを持ってる」
ルークは淡々と言った。その視線は、エントランスの外ではなく、もっと別の方向を見ているみたいだった。霧島さんが目を細める。
「確認をお願いします」
ワタベ電機の社員が、すぐにインカムへ手を伸ばした。
『搬入口側、確認します』
数秒後。
『……いました。3名です』
私は背筋が寒くなる。本当に当たっていた。瀬名さんが低く息を吐く。
「完全に囲う気ですね」
霧島さんは冷静だった。
「正面は目立たせるためだろう」
「どうします?」
「時間差で車を動かす。裏口側の警備も増やしてくれ」
判断が速い。迷いがない。私は、その横顔を見つめる。マネージャーとして、ずっとこういう場面をくぐってきたのだろう。
「霧島さん!」
若い男性記者が、少し強い口調で声を上げた。
「逃がすつもりですか?」
空気がぴんと張る。霧島さんがゆっくり振り返る。その目が冷たかった。
「“逃がす”とは?」
「裏口を使うんでしょう」
「タレントの安全確保は当然の対応です」
静かな声だった。けれど、記者が少したじろぐ。
「ですが、説明責任が――」
「ありません」
ぴしゃりと言い切った。ロビーが静まり返る。
「本件は、恵介本人が起こした問題ではない」
霧島さんの声は低かった。
「現在、本人は仕事へ誠実に向き合っています。現場への押しかけ行為は、関係各所への迷惑にもなりますので、お控えください」
その言葉に、記者たちもすぐには返せなかった。私は胸の奥が少し熱くなる。怖い人だ。でも、すごく頼もしい。その時だった。ルークが隣で、小さく笑った。
「霧島さん、怒ってる」
瀬名さんが苦笑する。
「かなりね」
私は思わず霧島さんを見る。たしかに、怒っている。表にはほとんど出していない。でも、恵介君を守ろうとしているのが分かった。その時。霧島さんが、ふっとこちらを見た。
「先ほどはありがとうございました」
「え?」
「記者へ声をかけてくれたでしょう」
私は少し戸惑う。
「……勝手に動いてしまって、すみません」
「いいえ」
霧島さんは静かに首を横へ振った。
「あれで空気が変わりました」
そう言われて、私は少しだけ胸が熱くなる。その隣で、ルークが、ぼそっと呟いた。
「紫乙、昔からそういう役だった」
「え?」
振り向く。でも、ルークはもう何も言わなかった。ただ静かに、エントランスの外を見つめている。私は胸の奥がざわつく。――昔から。その言葉が、妙に引っかかった。




