9-13
廊下へ出ると、瀬名さんはすぐにスマートフォンを耳へ当てた。
「はい、瀬名です。そちらの状況は――」
低く落ち着いた声だった。でも、足取りは速い。私は玲司さんと顔を見合わせながら、その後を追う。ワタベ電機の社員も横についていた。
「……え?」
瀬名さんが少し目を細める。
「もう把握してたんですか」
私は思わず耳を澄ませた。
『はい。こちらでも記者の動きを確認しています』
電話越しの声が微かに聞こえる。
『霧島が向かっています。あと十分ほどで到着予定です』
「助かります」
瀬名さんが短く息を吐いた。どうやら、事務所側もすでに記者の動きを掴んでいたらしい。私は少しだけ安心する。ちゃんと動いている人たちがいる。恵介君は一人じゃない。
「それまで、こちらで対応します」
瀬名さんが言った。
『無理はしないでください。刺激しないように』
「分かっています」
通話が終わる。瀬名さんは一瞬だけ目を閉じ、それから私たちを振り返った。
「一階へ行きます」
「記者対応か?」
玲司さんが聞く。瀬名さんが頷いた。
「帰ってもらえるよう、まず話をしてきます」
その時だった。
「私も行きます」
気づけば、そう口にしていた。瀬名さんが少し驚いた顔になる。
「紫乙さん?」
「何かできるかもしれません」
本当は、自信なんてなかった。でも、じっと待っているだけなんて無理だった。恵介君は、今も何も知らずに対談を続けている。少しでも守りたかった。瀬名さんは一瞬迷うような顔をした。けれど。
「……分かりました。ただし、無理はしないでください」
「はい」
その瞬間、後ろから、のんびりした声がした。
「僕も行く」
振り向く。ルークだった。壁へ寄りかかっていたはずなのに、いつの間にかすぐ後ろまで来ている。
「ルーク」
「紫乙だけ行かせるわけないだろう」
軽い口調だった。でも、その目は静かだった。私は小さく頷く。そのまま全員でエレベーターへ向かった。下降ランプが、一つずつ数字を減らしていく。妙に耳が静かだった。誰も無駄なことを話さない。私は自分の手をぎゅっと握る。鼓動が速い。やがて、 エレベーターが1階へ到着した。扉が開く。
その瞬間だった。ざわっ、と空気が揺れた。ロビーの向こう側。ガラス張りのエントランス周辺に、人影が集まっている。10人以上いる。カメラ。スマートフォン。マイク。スーツ姿の男女。週刊誌記者たちだった。私は思わず息を止める。こんな空気、初めてだった。鋭い。落ち着かない。誰かを“捕まえる”ために待っている目だ。
「来た」
誰かが呟く。その瞬間、一斉にこちらへ視線が向いた。ぞっとした。瀬名さんが一歩前へ出る。
「お疲れ様です」
声は落ち着いていた。
「本日は関係者へのご配慮をお願いいたします」
すぐに記者の一人が前へ出る。
「少しだけお話を」
「取材は受けません」
即答だった。しかし、記者たちは黙っていなかった。瀬名さんに次々と質問をしてきた。
「恵介さんは例の件をご存知なんですか?」
「コメントは差し控えます」
「交際は事実だったんですよね?」
「お答えできません」
質問が飛ぶ。空気が一気に張り詰める。私は喉が乾くのを感じた。その時だった。
「……あ」
若い女性記者が、私を見た。
「この人、前にファーストコンタクトの番組に出てた……」
一瞬で視線が集まる。私は肩が強張った。
「関係者ですか?」
「恵介さんの知人?」
「今回の件についてどう思われますか?」
矢継ぎ早に声が飛んでくる。怖い。でも、逃げたくなかった。私はゆっくり息を吸う。
「……今、対談中なんです」
自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。記者たちが少し静かになる。
「ワタベ電機さんが準備してくださった、大切な仕事なんです」
「ですが、こちらも……」
「分かっています」
私は相手の言葉を遮らないよう、静かに続ける。
「皆さんも仕事で来ているんですよね」
数人が目を瞬かせた。
「だからこそ、お願いしたいんです」
私は頭を下げた。
「今は、そっとしておいてもらえませんか」
ロビーが静まる。ほんの数秒。でも、長く感じた。その時だった。後ろで、ルークが小さく動く気配がした。私は振り返らない。でも、分かった。ルークが、空気を見ている。何かを警戒している。すると、若い男性記者が口を開いた。
「あなたは、恵介さんが今回の件で傷ついていると思いますか?」
私はゆっくり顔を上げる。胸が少し痛かった。恵介君の、さっきの笑顔が浮かぶ。“誰かに救われたって思ってもらえた時”。あの言葉が、胸に残っていた。
「……傷ついてない人なんて、いないと思います」
静かな声で答える。
「でも、だからこそ、前を向こうとしてる人まで壊さないでほしいです」
また静寂が落ちた。誰もすぐには喋らなかった。その空気の中で、不意に、ルークが低く呟く。男性記者が私の方に触れて、逃がさないようにし始めたからだ。数人が私のことを取り囲んだ。マイクを向けられた。その瞬間、ルークが男性記者の前に割り込んできた。そして、笑うようにして口を開いた。
「アユールと言ったら、アユールと言っちゃいけない」
その言葉の意味は分からなかった。何を言ったのだろう。そんなことを思っていると、空間がゆがんだように一瞬見えた後、男性記者が手を離した。マイクも下がった。みんな、力をなくしたみたいになった。
「え?」
次の瞬間だった。エントランスの外へ、一台の黒い車が滑り込んできた。そして、一人の男性が下り来て、瀬名さんが名前を呼んだ。霧島さんだった。




