9-11
他にも理由があるのだろう。すぐに動かなければならない“何か”があるのかもしれない。私は、ずっと胸騒ぎを感じていた。だからこそ、今の言葉も、ただの冗談には思えなかった。
「……本当にそれだけ?」
私が小声で聞く。ルークがこちらを見た。その瞳が、一瞬だけ細くなる。
「紫乙」
「なによ」
「心配してる顔、可愛い」
「誤魔化さないで」
すると、ルークが小さく笑った。でも今度は、ちゃんと答える。
「身体を軽くしておきたい時があるんだよ」
「軽く?」
「感覚を鈍らせたくない時」
私は少し黙った。その言葉の意味を考える。感覚。気配。空気。そういうものを、ルークは普通の人よりずっと深く感じ取っている。だからこそ、こうして食事を抜くのだろうか。
「……大変ね」
ぽつりと呟くと、ルークが少し目を丸くした。
「そうでもないよ」
「でも、お腹空くでしょ」
「君ほどじゃない」
「どういう意味!?」
「君は三時間おきに“お腹空いた”って言う」
「言ってない!」
「昨日も言ってた」
「昨日は忙しかったの!」
「朝ご飯食べた一時間後に言ってた」
「細かい!」
私が抗議すると、周囲がまた笑った。玲司さんまで肩を揺らしている。
「仲いいね、本当に」
「違います!」
反射的に否定すると、ルークが即座に言った。
「仲はいいよ」
「あなたがそう思ってるだけ!」
「じゃあ、嫌い?」
「……っ」
私は言葉に詰まる。ルークがにやっと笑った。また、レロレロと舌を動かした。私のことをからかっている。
「ほら」
「その顔やめて!」
恵介君が吹き出す。
「紫乙さん、毎回負けますよね」
「悔しいけど否定できない……!」
みんなが笑う中。伊神さんだけが、静かにこちらを見ていた。その視線に気づいて振り向くと、伊神さんがふっと微笑む。
「ルーク君」
「なに?」
「あなた、本当に紫乙さんのことが好きなんですね」
空気が、一瞬だけ静かになった。私は急に恥ずかしくなる。けれどルークは、まったく動じなかった。むしろ当然みたいな顔で答える。
「うん。かなり」
やめて。さらっと言わないでほしい。心臓に悪い。私が顔を覆っていると、ルークが楽しそうに覗き込んでくる。
「紫乙、赤い」
「うるさい!」
その瞬間だった。不意に、ルークの表情が変わる。ほんの一瞬、空気を探るように目を細めた。私は息を止める。けれど次の瞬間には、もういつもの顔に戻っていた。
「……ルーク?」
「大丈夫」
小さな声だった。
「ちゃんと守ってるから」
その言葉に、なぜだか、胸の奥が少しだけ熱くなった。懐かしいという感情が込み上げる。私は覚えていないはずなのに。ふっと浮かんだその感覚は、“昔から知っている”という言葉がぴったりだった。ずっと前から、何度も、こうして守られてきた気がする。理由なんて分からない。でも、胸の奥だけが知っているみたいだった。
すると、恵介君が玲司さんへ呼ばれ、少し離れた場所で話し始めた。瀬名さんもいる。撮影スケジュールの確認らしい。私はその背中をぼんやり見ながら、小さく息を吐く。
「……今日は本当に忙しいわね。晩御飯、どうしようかしら。冷蔵庫に何もないのよね。買いに行くのも面倒だから、コンビニで買おうかしら」
ぽつりと呟くと、隣でルークが笑った。
「肉まん?君が気にしているやつ。この間のプレデアス星団の人たちが買い占めて行ったんだよね。君、食べられなくてさ。僕も食べたかったな」
「お腹が空いているんでしょう。サンドイッチ、食べたら?許可を出してもらうといいのに。端末から電話を掛けたらいいんでしょう?」
すると、ルークが少しだけ肩を竦めた。
「じゃあ、ここにいる人たちに事情説明してもいい?」
「して」
私が即答すると、ルークは紙コップを指先で回しながら口を開いた。
「最近、地球勤務組で問題があったんだよ」
「……あの肉まんの?」
「そう。肉まん」
真顔で頷かれて、私はなんとも言えない顔になる。
「あのプレデアス星団の人たちが、無許可でコンビニ利用してたの発覚してさ」
「利用って言い方」
「しかも、複数回」
「常習犯なの!?」
ルークが少し笑う。
「それで、“地球文化への接触管理が甘い”って、上から怒られた」
「うわあ……」
「急に誰かに誘われて食事行くのも、今はかなり制限されてる」
「え」
私は瞬きをした。
「そこまで?」
「うん。“予定外の接触”扱いになるから」
「なにそのスパイ映画みたいなの……」
ルークは楽しそうだった。でも私は、少しだけ安心する。ちゃんと理由があったのだ。ただ危険を感じているとか、何かが起こるとか、そういう話ではない。
「……それなら、そう言ってくれれば安心するのに」
私が小さく言うと、ルークがこちらを見た。そして、また笑った。
「でも」
「え?」
「本当のことかどうか、分からないよ」
私は固まる。
「……は?」
ルークはくすっと笑った。
「今日は何か起こりそうだから、食べてないだけかもしれない」
「ちょっと待って」
さっきまでの安心感が、一瞬で吹き飛んだ。
「なにそれ」
「どっちだと思う?」
「そういうクイズいらない!」
私が睨むと、ルークは楽しそうに目を細める。でも、その瞳の奥が、少しだけ静かだった。冗談を言っている時の顔なのに、どこか空気を探っている。私は急に不安になる。
「……本当に何かあるの?」
「さあ」
「ルーク」
「でも、今日は空気が騒がしい」
その言葉に、背筋がぞくりとした。応接室では、相変わらず笑い声が聞こえている。スタッフたちが昼食を食べながら談笑している。玲司さんと恵介君も、普通に話している。何も起きていない。なのに、ルークだけが、別のものを見ている気がした。私は無意識に、自分の指先を握りしめる。さっきまで感じていた、不思議な安心感は、もう消えていた。




