9-10
12時。
応接室の空気は、少しずつ本番前の緊張感を帯び始めていた。照明スタッフがライトの角度を調整し、カメラマンが機材を確認している。モニターには、テスト映像の恵介君と伊神さんの姿が映し出されていた。私はモニター席の後ろで、その様子をぼんやり眺めていた。その隣には、ルークがいる。当然みたいな顔で。
「……結局、いるのね」
私は小声で言った。ルークはソファーへゆったり腰掛けたまま、こちらを見もしない。
「紫乙を守るため」
「聞いてないんだけど」
「サプライズ」
「心臓に悪いのよ、そのサプライズ!」
さっき、この部屋へ入ってきた瞬間、本気で変な声が出そうになった。ルークはここへ来る前に、すでに玲司さんへ連絡を取っていたらしい。仕事の打ち合わせが予定より早く終わったから、少し顔を出したい、と。玲司さんも了承済み。恵介君も知っていた。つまり、知らなかったのは私だけだったのである。
「だって、紫乙、絶対面白い反応するし」
ルークが楽しそうに笑う。
「まったくもう……」
私が睨むと、ルークは平然としていた。その視線が、ふっと撮影エリアへ向く。伊神さんと恵介君が、カメラ前で立ち位置の確認をしていた。二人ともスーツ姿だ。並ぶと空気感がまるで違うのに、不思議と絵になる。伊神さんは落ち着いた大人の雰囲気で、恵介君は透明感がある。カメラマンが、いいですねと、何度も頷いていた。
その様子を見ながら、私はふと気づく。ルークが、さっきからずっと二人を見ている。正確には、“観察している”。ぼんやり眺めている感じではない。空気の流れごと確認しているみたいな視線だった。
「……守っているの?」
私が小さく聞くと、ルークがこちらを見た。
「うん」
あっさりした返事だった。
「伊神さんも?」
「今日は特に」
ルークは静かに言う。
「人、多いから」
私は少しだけ黙った。スタッフの数が多い。スポンサー関係者も出入りしていて、賑やかだった。そういう場所では、“気”が乱れることがある。以前、ルークがそんなことを言っていたのを思い出す。その時だった。
「皆さん、お昼へ入りまーす!」
スタッフの声が響いた。空気が一気に緩む。撮影スタッフたちが笑いながら移動し始めた。大きなテーブルへ、次々と箱が並べられていく。
「わ、美味しそう」
私は思わず声を漏らした。サンドイッチだった。ワタベ電機側が用意した出前だ。彩りの綺麗な断面が並んでいて、ローストビーフ、卵、海老アボカド、フルーツサンドまである。しかも、ちょっと高級そうだった。
「紫乙さん、それ好きそう」
恵介君が笑いながら言う。
「え、なんで分かるの」
「顔です」
「顔!?」
みんなが笑う。さっきまでの緊張感が嘘みたいだった。スタッフ同士の雑談も聞こえてくる。
「これ、美味しい」
「その店、有名ですよね」
「伊神さん、コーヒーどうぞ」
和やかな空気だった。私は海老アボカドのサンドイッチを取って席へ戻る。その時、ふと気づいた。
ルークが何も取っていない。紙コップの飲み物に口をつけているだけだ。ルークは食べられないわけではない。その場の状況に応じて食事を取ることができる。家ではめったに食べないが、今日の場では食べるだろうと思っていたのに。
「……食べないの?」
「見てるだけで満足」
「嘘」
「半分本当」
私は眉をひそめた。何かあるのだと思った。地球の食べ物を食べるときは、宇宙連合軍に申請して、許可が必要だそうだ。それが面倒で、ルークは食べないということがある。でも、バカンスに来ている宇宙人と違って、ルークは仕事で来ている。私といるから、比較的、申請方法が簡単だし、許可も下りやすいと言っていた。でも、今日は面倒なのだろうか。その様子に、玲司さんも気づいたようだった。首をかしげている。玲司さんの場合は、ルークのことを普通のに人間だと思っているから、お腹が空いていないのか?という反応である。
「ルーク君。食べるといいのに」
穏やかな言い方だった。ルークは紙コップを持ったまま、少し笑う。
「昼は、食べない習慣になってるんだ」
「へえ?」
玲司さんが少し驚く。
「美容とか?」
「違うよ。昼に食べると眠くなるからだよ」
「ああ、分かるかも」
恵介君が笑う。
「眠くなりますよね」
「恵介君は食べなくても寝そう」
「失礼だなあ」
また笑い声が広がった。でも私は、少しだけ気になった。ルークは笑っている。けれど、その横顔はどこか静かだった。まるで意識の一部だけ、別の場所へ向いているみたいに。




