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伊神さんは、一瞬だけ目を丸くした。でも、その次の瞬間だった。
「ふっ……」
吹き出す。静かな笑い声だった。声を上げて笑うわけではない。ただ、肩を小さく震わせながら、上品に笑っている。大人の余裕みたいなものが、その仕草にはあった。
「すみません……。ちょっと、予想外で」
その言い方が穏やかで、私は逆に恥ずかしくなった。
「ご、ごめんなさい……!」
私は慌てて頭を下げる。
「この人、時々こういうこと言うんです!」
「紫乙」
ルークが不満そうな顔になる。
「“こういうこと”ってなに」
「全部よ!」
「愛情表現なのに」
「場所を選んで!」
私が小声で抗議すると、伊神さんがまた小さく笑った。
「気にしないでください」
穏やかな声だった。
「なんだか、安心しました」
「安心……?」
「もっとこう、神秘的な関係かと思っていたので」
伊神さんは苦笑する。
「普通に喧嘩するんですね」
私は思わず黙った。たしかに、そうだった。宇宙人だのウォークインだの過去世だの、話だけ聞けば壮大なのに、実際はこうして口喧嘩ばかりしている。
その時だった。ルークが、すっと伊神さんへ右手を差し出した。
「?」
「握手」
伊神さんが少しだけ驚く。でも、すぐに柔らかく笑った。
「はい」
静かに手を伸ばす。二人の手が重なった。その瞬間だった。空気が、わずかに揺れた気がした。私は反射的に息を止める。ルークの瞳が、淡く光ったように見えた。そして、伊神さんが、急に静かになった。
「……」
でも、表情は穏やかなままだった。むしろ、どこか優しく笑っている。そのまま数秒、静かな時間が流れる。私は不安になった。
「伊神さん?」
呼びかけると、伊神さんがゆっくり瞬きをした。
「ああ……」
そして、手が離れる。伊神さんは、今度はまっすぐ私を見た。その目が、さっきより少しだけ柔らかかった。
「なるほど」
「え?」
「今、分かりました」
私は戸惑う。
「何がですか?」
伊神さんは少し笑った。
「ルーク君から、情報が流れてきました」
「は!?」
私は思わず大きな声を出してしまった。
「なにそれ!?」
「紫乙さんの過去世のことです」
伊神さんは静かな口調で続ける。
「金星近傍の星のことも。ミケーネという少女のことも」
私は完全に固まった。
「えっ……、ちょ、待ってください」
私は反射的にルークを見る。ルークは、にこにこしていた。私にもこうしてストレートに教えてもらいたいのに、そうしてくれない。
「なんで!?」
「聞かれたから」
「私は!?」
「君は混乱するから」
「いや、今も混乱してるのよ!」
私は頭を抱えた。どうして他人にはそんなにスムーズなのだろう。私にはいつも夢だ。意味深な会話だ。突然見せられる映像だ。しかも時々、嘘か本当か分からない。
「羨ましいんだけど……!」
思わず本音が出る。
「そんなにストレートに教えてもらえるなら、私にもやってほしいんだけど!?」
すると、ルークが、ぺろっと舌を出した。
「……」
「えへへ」
「可愛く誤魔化さないで」
でも、ルークはやめなかった。今度は、レロレロとわざと舌を動かしてくる。
「ちょっと!やめなさい!」
「紫乙、面白い顔してる」
「あなたのせいでしょうが!」
私が怒ると、伊神さんがまた肩を震わせた。でも、やっぱり笑い方は上品だった。落ち着いていて、大人だった。その隣で、ルークは完全に子供みたいな顔をしている。ぷうっと頬を膨らませたり、舌を出したり。さっきまでスーツ姿で完璧に格好よかったのに、全部台無しである。
「……なんか」
私は思わず呟いた。
「夢の中ではもっと大人だったのに」
「夢の中でも嫉妬してたよ」
ルークが即答する。
「え」
「ミレイニーが軍の教官と話してるだけで不機嫌だった」
「知らないわよ、そんなの!」
私は顔が熱くなるのを感じた。すると、伊神さんがくすっと笑う。
「でも、安心しました」
「え?」
「ちゃんと、“今”を生きている人たちなんだなって」
その言葉に、私は少しだけ黙った。今。そうだ。過去世がどうとか。宇宙がどうとか。そんな話ばかりしているけれど、私たちはちゃんと今を生きている。こうして笑って。誰かに嫉妬して。困って。慌てて。そんな普通みたいな時間の中にいる。
その時だった。コンコンと、再びドアがノックされた。
「失礼します。そろそろ収録準備に入ります」
スタッフの声が聞こえる。伊神さんが、はいと、穏やかに返事をした。そして立ち上がる。
「では、そろそろ仕事モードに戻りましょうか」
その言い方が、妙に格好よかった。私は思わず見惚れる。その瞬間、隣でルークが、またむすっとした顔になった。
「紫乙」
「なによ」
「今、また“きゅん”とした」
「してない!」
「した」
完全にバレていた。いや、いいと思った。ルークへのお仕置きだ。私はなるべく平気な顔をしていることにした。




