9-7
彼は、さっきまで広報担当者と話していたはずなのに、いつの間にかこちらへ来ていた。私の隣に座り直して、微笑んだ。
「少し、よろしいですか?」
「はい?」
私は自然と姿勢を正す。すると、伊神さんは周囲を一度だけ確認してから、静かな声で言った。
「紫乙さん。あなたは、“エネルギー体”なんですか?」
「……え?」
一瞬、意味が分からなかった。私はぽかんとしてしまう。エネルギー体?何のことだろう。すると、伊神さんが少し苦笑した。
「すみません。急に言われても困りますよね」
そして、さらに声を落とした。
「ルーク君がいるんでしょう?」
私は反射的に息を止めた。
「……」
「今、ウォークイン中ですか?」
その言葉で、ようやく理解する。ああ、この人は本当に知っているのだと。私は数秒だけ迷った。でも、ここで誤魔化す必要はない気がした。伊神さんは兄から事情を聞いている。久弥さんの件にも関わっている。だから私は、小さく頷いた。
「……はい」
答えた瞬間、伊神さんがわずかに安堵したような顔になる。
「よかった。気のせいじゃなかったので」
私は少しだけ肩の力を抜いた。隠さなくていい相手と話すのは、思っていた以上に楽だった。最近は、普通の人の前で何も知らないふりをすることの方が多い。だから、“分かっている人”がいるだけで、妙に安心する。その時だった。
(紫乙)
頭の奥でルークが話しかけてくる。
(なに?)
(ちゃんと見えてるね)
(ほんとに?)
(うん。かなり感覚強い)
私は内心で息を吐く。
(……ところで、“エネルギー体”って何?)
すると、ルークがあっさり答えた。
(僕の身体みたいなやつ)
(もっと分かりやすく言って)
(物質じゃない身体)
(余計分かんない)
私は思わず眉を寄せそうになる。すると、その時だった。
「お母様は、地球の方なんですよね?」
伊神さんが静かに聞いてきた。
「……え?」
私は一瞬、意味が分からなかった。なぜ、そんなことを聞くのだろう。すると、伊神さんは少し言いづらそうに続けた。
「すみません。僕、最初……、紫乙さん自身が、アルタイル側から来た存在なのかと思ったんです」
「私が?」
「ええ」
伊神さんは静かに頷いた。
「エネルギー体として存在していて、ヨークやウーリのように、ここでは地球人のような身体を作っている状態なのかと」
私は思わず瞬きを繰り返した。そんなふうに見えるのか。すると、ルークが頭の奥で小さく笑う。
(半分合ってる)
(やめて怖い)
(でも、あの人の感覚はかなり正確だよ)
私は小さく息を吐いてから、伊神さんへ答えた。
「母は普通の地球人です。ちゃんと地球で生まれています」
「……やっぱり」
伊神さんは少し安心したような顔になった。
「でも、不思議な感覚があって」
「感覚?」
「紫乙さん、“完全に地球側だけの人”には見えないんです」
私は黙って聞く。
「輪郭が二重にあるというか……、別の層が重なっている感じがする」
その表現に、私は少し鳥肌が立った。兄も似たようなことを言っていたからだ。だから、いろんなものを拾いやすいらしい。
「大変でしょう?」
伊神さんが静かに言った。その声は、同情ではなかった。ちゃんと理解しようとしてくれている人の声だった。
「……慣れました」
私は少し笑った。
「前は怖かったですけど」
本当に、怖かった。兄の話を聞くだけで眠れなくなっていたし、暗い場所へ行くのも苦手だった。なのに今では、夜中に心霊スポット配信をしている。人生って分からない。
すると、その時だった。
(紫乙)
またルークの声が聞こえる。
(なに?)
(彼、久弥さんのことすごく好きだね)
(今、それが分かるの?)
(分かるよ)
私は少し笑いそうになる。その瞬間だった。
「ちなみに」
伊神さんが少しだけ口元を緩めた。
「今、ルーク君は何か言っていますか?」
「えっ」
私は思わず固まる。伊神さんの目は真面目だった。好奇心半分、確認半分という感じだ。私は小さく咳払いをした。
「……伊神さんが、久弥さんのことをすごく好きだって言っています」
数秒、沈黙。そして、伊神さんが、少しだけ困った顔をした。
「……本人に言われるより恥ずかしいですね。僕は今、その声が聞こえたんです。紫乙さんだけじゃなくて、街を歩いていると、ウォークイン中の人とすれ違うことが増えましてね。マクドナルドに行こうと、地球人に話しかけているエネルギー体がいるのが分かって、きょろきょろしてしまうんです」
「そうなんですか」
私は思わず吹き出してしまった。その瞬間、室内の空気が少し柔らかくなる。でも、同時に、私は思っていた。この人は、ただ事情を知っているだけじゃない。もっと深いところまで、もう片足を踏み入れているのかもしれないと。




