8-13
午前1時。
横浜三ツ丘公園を出発した車の中は、行きよりずっと柔らかい空気になっていた。さっきまで感じていた緊張が、嘘みたいにほどけている。配信はまだ続いていて、ねえさんのスマートフォンはダッシュボードへ固定されていた。コメント欄は相変わらず流れ続けている。
『お疲れー!』
『神回だった』
『玉姫ちゃんまた来て』
「もうキャラクター化してるじゃない」
私は苦笑した。すると、小牧君が後ろから勢いよく身を乗り出す。
「絶対切り抜き伸びるってこれ!」
「あなた、怖がってたじゃない」
「怖かったけど、数字は数字だから!」
配信者らしい返事だった。車内が笑いに包まれる。玲司さんは、そんな騒がしさを気にする様子もなく、静かにハンドルを握っていた。横浜の夜景が、窓の外を流れていく。遠くにはベイブリッジの灯りも見えた。
「綺麗……」
ねえさんが、ぽつりと呟く。その声は、さっきまでより少し静かだった。
「年末の夜って感じがするね」
「分かる」
私も頷く。怖い場所から帰ってきた後だからだろうか。街の灯りが、妙に安心できるものに見えた。その時だった。
「ねえさん」
小牧君が、ふいに真面目な声を出した。
「なに?」
「言ってなかった。少し遅れたけど、誕生日おめでとう」
車内が、一瞬静かになる。
「今日、めっちゃ楽しかった」
その言葉に、ねえさんが少し目を丸くした。普段の小牧君は、騒がしくて、ふざけてばかりだ。でも、今は、ちゃんと真面目な顔をしていた。
「……ありがと」
ねえさんが、小さく笑う。
「なんか、いい誕生日になったわ」
コメント欄が一気に流れた。
『泣ける』
『青春じゃん』
『配信者仲間っていいな』
私はその画面を見ながら、少しだけ胸が温かくなる。友情。愛情。さっきの配信タイトルを思い出した。本当に、そんな夜だった。
「ねえさん、今日ずっと笑ってましたもんね」
私が言うと、ねえさんが吹き出す。
「そりゃ笑うでしょ。小さいおじさん出るし、神様飛ぶし、ルークさんは急にイケボで説明始めるし」
「説明係だったね」
小牧君が笑う。
「完全にRPGの案内人」
「僕、そういう役が向いてるから」
ルークが真顔で頷いた。
「いや、否定しないんだ」
私は呆れる。でも、その時だった。
「紫乙」
ルークが静かな声で呼んだ。
「なに?」
「今日、楽しかった?」
私は少しだけ考える。寒かった。怖かった。変なものも見た。でも。
「……うん」
私は素直に頷いた。
「すごく楽しかった」
その言葉に、ルークが静かに笑った。その横顔を見て、私は少しだけ胸が熱くなる。ルークは、本当に不思議な人だ。こうして隣にいてくれると、安心する。その時だった。
「ねえ、コメント見て」
恵介君がスマホを見ながら言った。
『恵介君元気そうで安心した』
『またみんなで配信してほしい』
私は少し驚く。
「気づいてる人、いるのね」
「たぶん雰囲気で分かるんでしょうね」
恵介君が苦笑した。でも、その顔は嬉しそうだった。玲司さんが、バックミラー越しにその様子を見る。
「疲れてないか?」
「大丈夫だよ」
「無理はするな」
「うん」
その会話が、すごく自然だった。親子みたいだと思う。でも、ちゃんと信頼している空気がある。その時、小牧君が急に身を乗り出した。
「あ!見て見て!」
「なに?」
「コメントで“玲司さん推しになった”って人いる!」
「やめてくれ」
玲司さんが本気で困った声を出す。車内が大爆笑になった。
「社長、配信デビュー成功ですね」
「成功したくないんだが……」
「でも、人気がありますよ」
ねえさんが笑う。
「落ち着いてる大人って、配信界隈だと希少だから」
「どういう世界なんだ……」
玲司さんが小さくため息をつく。その反応すらコメント欄では好評だった。
『玲司さん好き』
『保護者感ある』
『声が落ち着く』
「完全にファンついてるじゃない」
私は笑う。玲司さんは困ったように眉を下げた。でも、どこか楽しそうでもあった。車はそのまま高速を抜け、新宿方面へ戻っていく。深夜の道路は、少し空いていた。窓の外には、高層ビルの灯りが広がっている。午前1時を過ぎているのに、街はまだ眠っていなかった。
「東京って、夜でも明るいね」
恵介君が窓の外を見ながら呟く。
「年末だから余計よね」
「なんか、別世界みたい」
その声は静かだった。私は、その横顔を見る。今日、来てよかった。本当にそう思った。怖い場所へ行ったのに、帰る頃には、みんな少し笑顔になっている。それが不思議だった。そして、どこか嬉しかった。その時。ルークが、そっと私の肩へ頭を預けてきた。
「重い」
「愛情だよ」
彼が即答すると、車内がまた笑いに包まれた。その笑い声を聞きながら、私は窓の外を見つめる。夜の東京。流れていく光。友達の笑い声。隣にいるルークの温もり。怖い夜の帰り道なのに、どうしてこんなに、安心しているのだろうと思った。
私は目を閉じた。すると、あの夢の光景が思い出された。走馬灯のように場面が切り替わり、私はベッドの上で目を覚ます。その日が来たとき、私はどんな人になっているだろう。今日のことは思い出になり、懐かしむ日が来るのだろう。そして、思う。今日は楽しかったと。それだけで、十分だと思ったのだった。




