8-12
午前0時。
横浜三ツ丘公園の空気は、さらに冷え込んでいた。吐く息が白い。木々の向こうから吹いてくる風が、頬へ刺さるみたいに冷たかった。私たちは、公園内の散策を終えて、入口近くの広場まで戻ってきていた。
「……終わったー……」
小牧君が、ベンチへ崩れ落ちるみたいに座り込む。
「今日、ガチで怖かった……」
「さっきまで“絶対なんか映る!”って言ってた人とは思えないわね」
ねえさんが笑った。でも、その声も少し掠れている。さすがに緊張していたのだろう。配信は、まだ続いていた。コメント欄は、今も流れている。
『今日、神回』
『最後の影なに!?』
『玉姫ちゃん、可愛い』
『玲司さん、頼もしすぎた』
「玲司さん、人気出てますよ」
私がスマホ画面を見せると、玲司さんは困ったように苦笑した。
「配信の文化は、まだ慣れないな」
そう言いながら、恵介君へ温かい缶ココアを渡している。
「熱いから気をつけろ」
「ありがとう」
恵介君が、両手で缶を包み込む。その姿を見て、私は少しだけ安心した。顔色も悪くない。むしろ、来た時より表情が明るかった。
「疲れてない?」
私が聞くと、恵介君は小さく笑った。
「疲れてますけど、来てよかったです」
その声は、ちゃんと弾んでいた。
「久しぶりに、こんなに外を歩きました」
「無理してない?」
「してないです」
そう言って、彼は夜の公園を見渡す。
「なんか……、生き返った感じがします」
その言葉に、玲司さんが静かに目を細めた。何も言わない。でも、嬉しそうだった。ルークは、その様子を見ながら、どこか満足そうにしている。
「だから言っただろう?」
「なにがよ」
「夜のドライブは大事なんだよ」
得意げな顔だった。
「ベイブリッジも綺麗だったし」
「それは認める」
私が素直に頷くと、ルークがぱっと嬉しそうな顔になる。単純だ。その瞬間、ねえさんが吹き出した。
「ルークさん、ほんと、紫乙ちゃんの一言で機嫌が変わるよね」
「分かりやすすぎる」
小牧君まで頷く。
「大型犬みたい」
「やめて」
私が即座に返すと、ルークが不服そうに頬を膨らませた。
「犬じゃないよ」
「宇宙人でしょ」
「それも違う」
「じゃあ、何なのよ」
すると、ルークが真顔で答える。
「紫乙の守護者」
一瞬、空気が静かになった。その声が、妙に真面目だったからだ。私は思わず視線を逸らす。
「……そういうこと、急に言うのやめて」
「本当だから」
「はいはい」
誤魔化すみたいに返すと、コメント欄が爆速で流れた。
『言い方が強い』
『守護者きた』
『これもう恋人だろ』
『夫婦配信じゃん』
「夫婦じゃないわよ!」
私は思わず叫ぶ。すると。
「夢では夫婦だったね」
ルークがさらっと爆弾を落とした。
「ちょっと!?」
私は真っ赤になる。ねえさんが腹を抱えて笑い出した。
「なにそれ!?」
小牧君も大爆笑している。
「え、なに!?夢設定!?」
「違う!違うのよ!」
「でも、結婚した」
「言うな!!」
もう最悪だった。ルークは完全に面白がっている。玲司さんまで、前で肩を震わせていた。
「玲司さんまで笑わないでください……」
「いや……、すまない」
全然すまなそうじゃなかった。恵介君も、帽子の下で笑っている。その空気が、妙に温かかった。ついさっきまで、暗い公園の奥で、得体の知れない気配に緊張していたのに。今はもう、みんなで笑っている。不思議だった。怖い場所へ来たはずなのに。どうしてこんなに、安心しているのだろう。
玲司さんが恵介君の帽子を直してあげて、世話を焼いている。恵介君のことが大切なのだと分かる。会社にいるときよりも、ずっと空気が柔らかい。私たちにお礼まで言って、微笑んでいる。また来たいなんて言いながら。
「……友情と愛情って感じね」
ねえさんが、ふっと呟いた。
「え?」
「今日の配信タイトル」
そう言って、スマホ画面を見せてくる。そこには。
『心霊スポットの友情と愛情』
というタイトルが表示されていた。
「途中で変えたの?」
「変えた」
ねえさんが笑う。
「なんか、そういう夜だったから」
私は、その言葉を聞いて少し黙った。友情。愛情。たしかに、そうかもしれない。恵介君は、久しぶりの夜の外出を楽しそうに歩いていた。玲司さんは、その様子をずっと静かに見守っていた。小牧君とねえさんは、騒がしく笑っていた。ルークは、私の隣にいた。怖い場所なのに、みんながいるから、歩けた。
その時だった。私の肩の辺りで、ふわりと白い光が揺れる。
「あ」
玉姫だった。小さな光が、私の周囲をくるりと回る。
『いる!』
『また光いた!』
コメント欄がざわめく。すると、ルークが静かに笑った。
「楽しかったみたいだね」
「神様も?」
「うん」
その声は穏やかだった。玉姫の光は、今度は恵介君の方へ飛んでいく。恵介君が目を丸くした。
「え、来た」
「気に入られたんじゃない?」
私が言うと、恵介君が少し困ったように笑う。
「どうしよう」
「掃除しに行くらしいよ」
ルークが平然と言う。
「悲しみの想念を片づけるんだって」
「便利な神様ね……」
ねえさんが呟く。でも、その時だった。玲司さんが、小さく笑った。
「それなら、うちには必要かもしれないな」
その声は、冗談みたいで。でも、少しだけ本音にも聞こえた。恵介君が、その言葉を聞いて静かに俯く。私は、その横顔を見る。たぶん、いろんなことがあったのだろう。外へ出られなくなって。昼夜逆転して。仕事も不安定になって。怖かったと思う。苦しかったと思う。でも、今、こうして笑っている。それだけで、来てよかったと思えた。
「また来ましょうよ」
私は自然に言っていた。
「今度はもっと暖かい日に」
すると。
「いいな」
玲司さんが、静かに頷いた。恵介君も嬉しそうに笑う。
「次は昼間でもいいですね」
「それ、ただの公園散歩じゃない?」
ねえさんが笑う。でも、その空気が心地よかった。心霊スポットなのに、なぜか、温かい夜だった。そして、私は思う。怖い場所へ行っても、隣に誰かがいてくれるだけで、人は歩けるのかもしれないと。
ルークの手が、そっと私の指先へ触れた。冷えた夜の中で、その温度だけは不思議なくらい温かかった。




