8-11
公園の空気は、いつの間にか少し変わっていた。さっきまで感じていた重さが、薄くなっている。風は冷たい。吐く息も白い。でも、不思議と嫌な感じがしないのだ。私の肩の辺りを漂っている光――“玉姫”と呼ばれた存在は、ふわふわと楽しそうに揺れている。まるで、初めて来た場所ではしゃいでいる子供みたいだった。
「ねえ、これ本当に見えてるの?」
私は半信半疑で聞いた。すると、小牧君がスマホ画面をこちらへ向ける。
「コメント欄、やばいよ」
画面には、ものすごい勢いで文字が流れていた。
『光、いる』
『左肩!左肩!』
『めっちゃ動いてる』
『白狐っぽく見える』
『丸い光にしか見えない』
『いや、小さい女の子みたいなの見えた』
「見え方バラバラなのよね……」
ねえさんが苦笑する。その時だった。恵介君の頭上にいた光が、ふわっと前へ飛んだ。
「あっ」
恵介君が思わず声を上げる。白い光は、遊歩道の奥へ向かって進んでいく。そして、少し先で止まった。
「……待ってる?」
私は小さく呟いた。ルークが静かに頷く。
「案内したいみたいだね」
「案内?」
「うん」
ルークは暗い道の先を見ながら続けた。
「この先、“溜まり”がある」
その言葉に、私は眉を寄せる。
「溜まりって?」
「人の感情が沈殿する場所」
さらっと怖いことを言う。コメント欄が一気にざわついた。
『やば』
『急にガチ』
『怖くなってきた』
でも、不思議なことに、私はそこまで怖くなかった。たぶん、玉姫たちがいるからだ。恵介君も、少し緊張しながら前を見ている。
「……行くんですか?」
「どうする?」
玲司さんが静かに聞いた。その声は落ち着いていた。無理に進もうとはしていない。恵介君の様子を気にしているのが分かる。すると。
「行きたいです」
恵介君が、小さく言った。帽子の影から見える目は、ちゃんと前を向いていた。
「せっかく来たので」
玲司さんが、その言葉を聞いて少し目を細める。
「分かった。ただし、無理はしない」
「はい」
その返事に、私は少し安心した。小牧君は完全にテンションが上がっていた。
「うわー!探索パートだ!」
「ゲーム実況みたいに言わないで」
ねえさんが呆れる。でも、コメント欄も盛り上がっていた。
『行けー!』
『でも、気をつけて』
『玲司さん、頼もしすぎる』
玲司さんは苦笑している。
「配信で頼られるのは初めてだな」
「もう完全に保護者ポジションですよ」
私が言うと、恵介君が小さく笑った。その空気が、少しだけ緊張を和らげる。そして、私たちはゆっくり遊歩道の奥へ歩き始めた。落ち葉を踏む音。風の音。遠くの車の走行音。その全部が、妙にはっきり聞こえる。ルークのウォークインは続いていた。身体の奥に、静かな熱がある。意識が重なっている感覚。
でも、不快じゃない。むしろ、守られている感じがした。
(紫乙)
頭の奥で、ルークの声が響く。
(なに)
(怖い?)
私は少し考える。
(……少し)
(でも進ける?)
(うん)
すると、ルークが小さく笑った気配がした。
(強くなったね)
その言葉に、私は少しだけ苦笑する。強くなったわけじゃない。ただ、一人じゃないから歩けるのだ。
その時だった。遊歩道の先で、ふっと空気が変わった。急に静かになる。風の音が止んだ。
「……っ」
ねえさんも気づいたらしい。
「今、なんか……」
小牧君がカメラを強く握り直す。コメント欄もざわめいていた。
『音、消えた?』
『急に静か』
『鳥肌やばい』
そして。街灯の下。そこに、ぼんやりと黒い影が立っていた。
「……え」
私は息を止める。人影だった。背の高い、細い影。顔は見えない。でも、確かに“いる”。
「うわっ……」
小牧君の声が震える。ねえさんも、珍しく真顔だった。その瞬間、私の肩にいた光――玉姫が、すっと前へ飛び出した。白い光が、黒い影の方へ向かう。すると、影が、揺れた。まるで煙みたいに。そして、ふっと薄くなる。
「え……?」
恵介君が呆然と呟く。その隣で、ルークが静かに言った。
「迷ってるだけだよ」
「迷ってる……?」
「帰れなくなっている感情の残りみたいなものだ」
ルークの声は穏やかだった。
「怖がらせたいわけじゃない」
玉姫の光が、ふわりと影の周囲を回る。すると、黒い影は、ゆっくり夜の空気へ溶けていった。まるで、最初から何もいなかったみたいに。その場へ静寂が落ちる。コメント欄だけが爆速で流れていた。
『消えた!?』
『今の何!?』
『ガチで映ってた』
『やばいやばいやばい』
私は、しばらく息ができなかった。でも、怖いというより、どこか切なかった。ルークが、私の身体を通して小さく息を吐く。
(だから、神様たちは掃除に来るんだよ)
その声は、驚くくらい優しかった。夜の公園の奥、冷たい風の中で、私たちは、ただ静かに立ち尽くしていた。




