8-5
22時。
横浜三ツ丘公園へ到着した頃には、空気がかなり冷え込んでいた。車の窓がうっすら白く曇っている。玲司さんが途中のコンビニで買ってくれた温かいコーヒーを車内で飲みながら、私たちは簡単な打ち合わせをしていた。
恵介君は、配信画面へ映らないよう、私やねえさんの少し後ろを歩くことになった。小牧君は玲司さんと一緒に配信へ出る。配信内では何度か恵介君の名前を出しているけれど、“玲司さんの親戚の子”という説明だけで、本名までは明かしていない。本当なら、一緒に画面へ映ってほしかった。でも、それはまた今度だ。
(その“今度”は、きっと来る)
私はなんとなく、そう思っていた。
「寒っ……」
ねえさんがコートの前を閉じながら言った。玲司さんが、公園近くの駐車スペースへ静かに車を停める。エンジン音が消えた瞬間、外の静けさが一気に近づいてきた。夜の公園は、不思議なくらい暗かった。街灯はある。でも、ところどころ光が届いていない場所があり、その向こうは黒く沈んで見える。
「ここ、昼間は普通の公園なんですよね?」
恵介君が窓の外を見ながら小声で言った。
「そうみたい」
「夜になると別物だな……」
彼がぽつりと呟く。私はスマートフォンを取り出した。通知が大量に来ている。すでに、ねえさんと小牧君の配信予告を見た視聴者たちが集まり始めているのだろう。小牧君は、車を降りる前からテンションが高かった。
「よし!今日、絶対なんか映る!」
「やめてよ、その言い方」
ねえさんが呆れながら笑う。
「ほんとに何か映ったら困るのよ」
「それが配信者魂じゃん!」
「魂いらないのよ、そういう時だけ」
車内が笑いに包まれる。その時だった。
「紫乙」
ルークが、ふと静かな声を出した。
「なに?」
「今日は、あんまり奥まで行かない方がいいかも」
「え?」
私は一瞬だけルークを見る。でも、彼はそれ以上何も言わなかった。ただ窓の外を見ている。
(……また変な勘?)
少し気になった。でも、今ここで聞き返す空気でもない。
「よし、行こう!」
小牧君が勢いよくドアを開けた。冷たい空気が、一気に車内へ流れ込む。
「寒い!」
「だから言ったじゃない」
ねえさんが笑いながら降りていく。私たちも続いて外へ出た。吐く息が白い。遠くで、木々が風に揺れる音が聞こえていた。恵介君は帽子をさらに深く被り直している。
「大丈夫?」
「はい。ちょっと緊張してきました」
「今さら?」
「現地来ると違いますね……」
たしかに分かる。動画で見るのと、実際に来るのでは空気が全然違う。静かで。暗くて。妙に音が響く。玲司さんが、周囲を確認するように視線を巡らせた。
「さすがに人はいないな」
「平日ですしね」
私が答えた。その時、小牧君がすでに配信準備へ入っていた。
「オッケー!」
「音入ってる?」
「入ってる!」
「寒くて手が死ぬ!」
ねえさんが笑いながらスマホを固定する。そして。
「じゃ、始めますか」
その声と同時に、配信がスタートした。
「こんばんはー!」
ねえさんが、いつもの明るい声を出す。
「今日は横浜三ツ丘公園からお届けしてまーす!」
「うぇーい!」
小牧君が横から乱入する。コメント欄が、一気に流れ始めた。
『きたー!』
『待ってた!』
『寒そう!』
『ほんとに行ったんだ!』
「行きましたよー!」
ねえさんが笑いながらカメラを回す。映るのは、暗い公園の入口。奥へ続く遊歩道。そして、その先の木々。
「今日はですね、噂のトンネルを見に行きます」
「やばいらしいです!」
小牧君がすぐ煽る。
「最近、“人影が立ってる”とか、“変な音がする”とか噂になってる場所です!」
「煽るな煽るな」
私は横からツッコミを入れた。コメント欄が笑いで流れる。
『紫乙ちゃんきた!』
『今日メンバー豪華』
『ルークさんいる!?』
その瞬間。ルークが、すっとカメラ横へ入ってきた。
「こんばんは」
低く穏やかな声。コメント欄が、一気に爆発する。
『うわ、出た』
『ビジュ良い』
『声いい』
『今日も顔が強い』
「顔が強いって何よ」
私は思わず笑う。すると、ルークが小さく肩をすくめた。
「事実なんじゃない?」
「うわあ」
「自分で言った」
ねえさんと小牧君が同時に笑う。その後ろでは、恵介君が少し離れた場所に立っていた。帽子とマスクで顔を隠している。でも、どこか楽しそうだった。玲司さんは、そのさらに後ろにいる。まるで保護者みたいだと思ってしまい、私は少し笑いそうになる。
その時。風が吹いた。木々がざわりと揺れる。公園の奥。暗い道の向こう。そこだけ、妙に黒く見えた。
「……なんか、雰囲気あるわね」
ねえさんが少し声を落とす。コメント欄もざわつき始めていた。
『怖』
『ガチで暗い』
『奥やばそう』
私はマフラーを握り直した。冷たい。でも、それだけじゃない。空気が少し重い気がする。
その時だった。隣でルークが、静かに呟いた。
「……来てるね」
「え?」
私は反射的に振り返る。でも、ルークはもう何も言わなかった。ただ、暗い遊歩道の先を見つめていた。




