8-4
車は新宿のホテル街近くへ入っていった。年末ということもあって、人通りはかなり多い。タクシーが並び、飲み帰りらしい人たちの笑い声が夜道へ流れていた。ホテルのエントランス前へ車が近づいた、その時だった。
「あ、いた」
私は思わず笑ってしまう。入口付近で、大きく手を振っている人影が見えた。ねえさんだ。長いコートを羽織り、派手めのマフラーを巻いている。横には、小牧君が立っていた。すでにスマートフォンを片手に配信中だった。
「はいはいはい!迎えが来ましたー!!」
小牧君の声が、閉まった窓越しでも聞こえてきた。
「うるさいわねえ……」
私は笑いながら呟く。玲司さんが、ホテル前の車寄せへ静かに車を停めた。すると、ねえさんがすぐに近づいてくる。
「こんばんはー!」
「こんばんは」
玲司さんは穏やかに会釈した。その横で、小牧君がカメラをこちらへ向けている。
「見てこれ!社長の車!高級車!」
「やめて。バレるから」
私が後ろで慌てた声を出す。すると、小牧君が「あっ」と声を上げた。
「恵介君いる!?」
「いるけど静かにしてください」
「ほんとだ!変装してる!」
配信向きの反応が早い。ねえさんが呆れたように笑った。
「小牧君、もうちょっと声を抑えて。ホテル前だから」
「ごめん、ごめん!」
全然反省していない声だった。私は後部座席のドアを開ける。
「乗る?」
「乗るー!」
ねえさんが勢いよく車へ乗り込んできた。外気の冷たさが一緒に入ってくる。
「こんばんは、紫乙ちゃん」
「こんばんは」
「今日、顔色いいじゃん」
「昨日よりはね」
私が笑うと、ねえさんが「よかった」と頷いた。その後ろから、小牧君も乗り込んでくる。
「失礼しまーす!」
「配信切った?」
「ミュートにしてる!」
絶対危ないやつだ。私は疑いの目を向ける。
「ほんとに?」
「たぶん!」
たぶんで配信をするな。車内がどっと笑いに包まれる。狭くなった後部座席で、小牧君が「すみませんすみません」と言いながら身体を縮めた。腰が低い。しかし、声は大きい。
「人数多いですね!」
「だから言ったじゃない」
ねえさんが笑う。
「配信者、増える時は急に増えるのよ」
「修学旅行みたいだね」
ルークが嬉しそうに言った。その瞬間、小牧君がルークを見る。
「あ、ルークさん今日ビジュいい!」
「いつもいいよ」
「うわ、言う!」
ねえさんが吹き出した。玲司さんまで前で肩を震わせている。完全に笑っていた。
「玲司さん、運転大丈夫ですか?」
「賑やかなだけで、問題ない」
穏やかな返事だった。でも、その声は少し楽しそうでもあった。そして。
「じゃあ、横浜へ向かおうか」
玲司さんが静かに言う。車がゆっくり発進する。ホテルの灯りが後ろへ流れていった。今夜は、長い夜になりそうだった。
車が首都高速へ入ると、窓の外の景色が一気に変わった。高層ビルの灯りが遠ざかり、道路脇へ流れるイルミネーションが線みたいに伸びていく。小牧君の配信は切ってある。恵介君のことが知られてしまうからだ。それに、車内でうるさくするものどうかと思うと、小牧君がかなり気を遣っていた。こういうところはちゃんとした大人だと思う。
「うわー、年末って感じ」
小牧君が窓へ顔を寄せながら言った。
「やっぱり配信つけたい」
「やめなさい。絶対うるさくなるから」
ねえさんが即座に止める。すると、小牧君は「えー」と不満そうな声を出した。
「今日、絶対数字出るのに」
「トンネル着いてからで十分よ」
「ベイブリッジでもう盛り上がるじゃん!」
その言葉に、ルークが嬉しそうに頷く。
「分かる」
「ルークさんもそっち側なんですね」
「イベント前の空気って楽しいよね」
完全に修学旅行モードだった。私は呆れながら窓の外を見る。遠くに、海沿いの灯りが見え始めていた。すると、その時だった。
「……あ」
恵介君が小さく声を漏らす。
「どうしたの?」
「いや……」
彼は窓の外を見つめたまま、少しだけ笑った。
「いえ、久しぶりだなって」
その声は静かだった。
「こうやって、夜に外へ出るの」
車内が少しだけ静かになる。私はそっと恵介君を見る。その目は少しだけ嬉しそうだった。
「楽しい?」
「……はい」
素直な返事だった。玲司さんが、バックミラー越しにその様子を見ている。何も言わない。でも、その目は穏やかだった。安心しているのだと思う。
すると、小牧君が急に明るい声を出した。
「じゃあ今日は、恵介君の復活祭ですね!」
「勝手に祭りにしないでください」
恵介君が吹き出す。ねえさんも笑った。
「でも、いい顔してるわよ」
「そう?」
「うん。外出て正解だった感じ」
その言葉に、恵介君が少し照れくさそうに目を伏せる。私はそんなやり取りを見ながら、小さく息を吐いた。今日、連れ出してよかったのかもしれない。怖い場所に行くはずなのに、車内は不思議なくらい明るかった。その時だった。
「見えてきたぞ」
玲司さんが静かに言う。前方。夜の海の向こうへ、大きな光の橋が浮かび上がっていた。
「ベイブリッジ……!」
小牧君が身を乗り出す。白い光が、夜空の中へ伸びている。海面にも灯りが反射していて、幻想的だった。
「きれい……」
思わず、私も呟いていた。すると、隣でルークが小さく笑う。
「ほら。玲司君のルート、よかっただろう?僕が最初に提案したんだよ」
「……それは認める」
私が素直に言うと、ルークは満足そうに頷いた。車はそのまま、光の橋へ向かって進んでいく。これから始まる夜を歓迎するみたいに、横浜の景色が静かに輝いていた。




