8-3
恵介君が写真を見て、微笑んだ。ルークは笑っている。私は笑えない。どうしてこの人の写真だったのだろうと思う。他にも写真はたくさんあった。もっとも、この頃の私の写真は少ない。だからだろうか。
元彼の名前は多々良祐介君という。今も連絡を取り合っているから、友達関係とはいえた。知人の紹介で付き合い始めて、一か月経ち、彼がIKUエンターテイメントというレコード会社に転職することになって遠距離恋愛になり、いったん別れることになったのだ。
その後、実は男性が好きなのだと打ち明けられて、ああやっぱりと思った。そんな気がしたのだ。周囲には隠していたらしい。でも、今は隠していないはずだ。IKUの宣伝部に勤務していて、好きな人ができたと聞いた。相手は男性だ。だから、私は応援している。私よりも6歳年下で、35歳だ。まだ若いから、いくらでも出会いがあるだろう。
「この人が元彼ですか?」
恵介君が聞く。
「うん。ちょっとだけ付き合った人」
「へえ……」
その時だった。ルークが、むすっとした声で言った。
「この人、男が好きだっていうのに、紫乙と付き合ったんだ」
「また始まった。いいじゃない。周囲に言えなかったのよ。この人だけは、私にいろいろと奢ってくれたの。お礼もできないうちに別れてしまって。遠距離恋愛になったから別れたの。その後で、男性が好きだって打ち明けられたのよ。今も友達なのよ」
「だからって、いいわけがないだろう」
ルークは真顔だった。
「紫乙はもっと甘やかされるべき」
「はいはい」
「あと、コーヒー飲ませるべき」
「それはあなたの趣味でしょ」
私が即答すると、玲司さんが前で肩を震わせる。笑いを堪えている。
「玲司さん、笑ってますよね?」
「いや……」
完全に笑っていた。
「君たち、本当に面白いな」
「他人事みたいに」
私が言うと、玲司さんは少しだけ目を細める。
「見ていて飽きない」
その言葉に、ルークが少し得意げな顔をした。
「ほら」
「なんであなたが勝ち誇るのよ」
私は呆れながらスマホを奪い返した。でも、その時だった。ルークが急に静かな声で言う。
「でも、消さないで」
私は一瞬、動きを止めた。
「……え?」
「その写真」
ルークは窓の外を見ながら続ける。
「紫乙が生きてきた時間だから」
「……」
「僕がいなかった時の紫乙も、ちゃんと残しておいてほしい」
その声は、珍しく真面目だった。車内が少し静かになる。私はスマホ画面を見下ろした。恥ずかしいし、消したかった。でも、あの頃の私は、たしかにそこにいたのだ。失敗もして。恋もして。今みたいに笑える余裕なんてなくて。でも、ちゃんと生きていた。
「……ずるい言い方するわね」
私が小さく言うと、ルークがこちらを見る。
「消す?」
「……考える」
そう返すと、ルークは少しだけ安心したみたいに笑った。その時だった。玲司さんが前方を見ながら、穏やかな声で言う。
「そろそろ新宿だ」
窓の外には、高層ビルの灯りが広がり始めていた。年末の新宿。ネオン。人混み。タクシーの列。そして、この先には――。
「ねえさん、絶対テンション高いわよね」
「小牧君もいるし」
恵介君が笑う。私は小さく息を吐いた。静かな車内の時間は、そろそろ終わる。これからまた、騒がしい夜が始まるのだ。
恵介君が、ふと思い出したようにスマートフォンを取り出した。
「そうだ。ろろっちを開こう」
配信サイトのアプリだ。今日の配信者たちの動きも見られるし、ねえさん達が今どこにいるのかも確認できる。恵介君は慣れた手つきでアプリを立ち上げた――その瞬間だった。
「えっ」
驚いた声が漏れる。
「どうしたの?」
私が聞くと、恵介君は目を丸くしたまま画面を見つめていた。
「いや……、操作してないのに……」
その画面には、すでに配信が映っていた。小牧君だった。ホテル前から配信しているらしく、画面の中で騒いでいる。
『はい!今から合流しまーす!みんな待ってるー?』
コメント欄が高速で流れていた。
『横浜編きた!』
『社長車まだ?』
『ねえさん映して!』
「……勝手につながったんですけど」
恵介君が困惑した顔で言う。
「おすすめ表示じゃなくて、いきなり配信画面に飛んだんです」
「へえ……」
私は横で頷きながら、ちらりとルークを見る。絶対この人だ。でも、ここでは言えない。玲司さんもいるし、恵介君もいる。さすがに「宇宙人がスマホを操作しました」とは言えなかった。
すると、ルークが何でもない顔で言った。
「ちょうどよかったね」
「……そう?」
「僕たちが来るのを待ってる配信みたいだよ」
しれっとしている。私はじとっと睨んだ。
「……あなた、なにかした?」
「してないよ」
即答だった。でも、その顔が少し楽しそうだから怪しい。恵介君はまだ不思議そうにしていた。
「変だな……。タップしてないのに」
「スマホ、たまに暴走するわよね」
「そんなレベルじゃなかったですけど……」
その時だった。配信画面の中で、小牧君が急にカメラへ顔を近づけた。
『あっ、向こうが今、絶対見てる!』
コメント欄が盛り上がる。
『きたw』
『合流班見てるw』
『社長車まだー!?』
「なんで分かるのよ……」
私は思わず呟く。するとルークが、小さく笑った。
「配信者は気配に敏感だからね」
「便利な言い訳ね」
私が返すと、玲司さんが前で静かに笑った。
「もう合流前から賑やかだな」
「今日、絶対うるさい夜になりますよね……」
恵介君が苦笑する。その時、配信画面の中で、ねえさんがぬっと映り込んだ。
『小牧君、うるさい!ホテル前!』
コメント欄が一気に笑いで埋まる。私たちの車内まで、自然と笑い声が広がった。これから始まる夜は、きっと騒がしくて、くだらなくて、でも、少し特別な夜になる。そんな予感がしていた。




