7-7
20時。
帰宅して二時間が経った。風呂上がりの身体へ、まだ少し熱が残っている。私は洗面所で髪を拭きながら、小さく息を吐いた。今日一日、ずっと動いていた気がする。五十里邸で料理を作って、買い物の整理をして、帰宅してからは洗濯機まで回した。年末というだけで、どうしてこうもやることが増えるのだろう。
「疲れた……」
ぼそっと呟きながら、私はパジャマを取り出した。ゆったりしたグレーのスウェット生地。冬はこれが一番楽だ。私は部屋へ戻り、髪を乾かしながら着替え始めた。その時だった。
「……」
視線を感じる。振り向く。ルークが、ベッドへ腰掛けたままこちらを見ていた。じっと。妙に真顔だ。
「……そんなに見ないで」
私は思わず眉を寄せた。
「いやらしい人ね」
「え?」
ルークが少し首を傾げる。
「君の裸を見ても、別に何も思わないよ」
「それはそれで失礼なんだけど」
即座に返す。すると、ルークは平然とした顔で続けた。
「今さらだからね」
「今さら?」
「君が危険だった時、24時間ウォークインしてたし」
私は、パジャマの袖を通しかけたまま止まった。
「……は?」
「僕が君の前へ姿を見せる前からだよ」
さらっと言う。私は思わず振り返った。
「ちょっと待って」
「なに?」
「それ、どういう意味?」
ルークは、まるで天気の話でもするみたいな顔で答える。
「地球へ来てる宇宙人の中には、人間の研究をしてるチームがあるんだ」
「……うん?」
「本人の同意なく身体検査しようとする連中もいる」
一瞬、沈黙する。
「怖っ」
「だから見張ってた」
「さらっと言わないで」
私は思わず額を押さえた。ルークは、本当に時々、とんでもないことを自然に言う。
「紫乙、霊感強いだろう?」
「……まあ」
「だから目をつけられやすい。凰李も同じだ」
ルークは静かに続ける。
「感受性が強い人間は、“アクセスしやすい”んだよ」
「その言い方やめて」
なんだか機械みたいで怖い。私はベッドへ座り込み、髪を拭くタオルを握りしめた。
「……で、その研究チームとやらが、夜中に来るの?」
「来ようとする」
ルークが訂正する。
「でも、僕が断ってた」
「断るって、どうやって」
「“今は駄目です”って」
まるで宅配業者みたいな言い方だった。
「いや、意味分かんないんだけど」
「大丈夫。ちゃんと話し合いで済んでる」
「話し合ってる時点で怖いのよ!」
私は思わず叫ぶ。ルークは楽しそうに笑った。
「最近は減ったんだけどね」
「最近は?」
「クリスマスイブの配信を見た存在がいたじゃないか」
「ああ、調べるって言ってたやつね」
「念のため、警戒は必要かな」
「そうね……。お兄ちゃん、大丈夫なの?」
「今のところ問題ない」
ルークは静かに答えた。
「ちゃんと見てるから」
「あなた、どこまでやってるの……」
本気で分からなくなる。ルークは、私の前ではふざけてばかりだ。今だって、どこか飄々としている。でも、時々こうして真面目な顔になる。その時のルークは、静かで、落ち着いていて、妙に安心するのだ。
「紫乙」
名前を呼ばれる。
「なに?」
「僕がいるから、大丈夫だよ」
その声は、驚くくらい穏やかだった。私は少しだけ黙る。本当は怖い。宇宙人がどうとか。研究がどうとか。普通なら笑い飛ばして終わる話なのに、ルークが言うと妙に現実味がある。でも。
「……ちゃんと守ってよね」
気づけば、そう言っていた。ルークが小さく笑う。
「もちろん」
その笑顔は、どこか優しかった。私は髪を乾かしながら、小さく息を吐く。ルークがいると、“なんとかなる気がする”のが悔しかった。
ドライヤーの温風が、静かな部屋へ響く。私は鏡を見ながら髪を乾かし始めた。少しずつ水気が飛び、肩へ落ちる髪が軽くなる。その後ろで、ルークがベッドへ寝転がったままこちらを見ている。
「まだ見てる」
「見てるよ」
悪びれもせず返ってくる。
「暇なの?」
「紫乙を見てると飽きない」
「変態みたいなこと言わないで」
私は半目になる。すると、ルークが小さく笑った。
「明日、楽しみ?」
「……まあね」
私はドライヤーを動かしながら答える。
「久しぶりに遠出っぽいし」
「恵介君、かなり嬉しそうだった」
「そうね」
本当に、顔が明るかった。帽子の話をしていた時なんて、完全に年相応の青年だった。
「玲司さんも優しいし」
今日から社長の呼び方が変わった。玲司さんが、そうしてくれと言うからだった。ルークの反応が心配だったけれど、何も言っていなかった。今も私が何気なく言うと、ルークがじっとこちらを見た。
「またそれ」
「なによ」
「紫乙、あの人のこと結構好きだよね」
「誤解を生む言い方しないで」
私は思わず吹き出す。
「人として安心するって意味よ」
「ふうん」
ルークが少しだけ頬を膨らませた。まだ引きずっているらしい。
「嫉妬?」
「少し」
素直に認める。私は呆れながら、ドライヤーを続けた。すると、ルークがぽつりと言った。
「でも、紫乙が楽しそうだったから、僕も嬉しかった」
その声は、驚くくらい優しかった。私は少しだけ視線を逸らしながら、小さく息を吐いた。




