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恵介君が、少し緊張した顔でその様子を見ている。
「……玲司さん」
小さな声だった。社長は、静かに息を吐く。
「夜の山道だぞ。しかも、最近妙な噂が出ている場所なんだろう?」
そこで、恵介君が慌てて言う。
「紫乙さん達が行くのは、車がよく通る場所なんだ」
「問題はそこじゃない」
社長は穏やかに返した。
「お前は今、“もし何かあった時”に対応しきれない状態だ」
恵介君が黙る。私はその言葉に、小さく息を呑んだ。優しい言い方だった。でも、現実的だった。
「人混みではない分、安全ではあるかもしれない」
社長が続ける。
「だが、夜は判断力も落ちる。体調も崩しやすい」
「……はい」
恵介君が俯く。その顔を見ていると、少し胸が痛んだ。すると、その時だった。
「じゃあ、短時間だけにしたらいい」
ルークが軽い調子で言った。全員の視線が集まる。
「トンネルだけ見て、すぐ帰るようにすればいい」
「ルーク」
「車から降りなくてもいい」
社長の視線を受けながらも、ルークは落ち着いていた。
「ずっと家にいる方が、息が詰まる時もあるだろう?」
その言葉に、恵介君が小さく目を開く。社長は黙ったままだった。でも、否定もしない。私は鍋を弱火へ変えながら、そっと口を開く。
「……私も、少し分かります」
社長がこちらを見る。
「外へ出る理由って、必要な時ありますよね」
私は静かに続けた。
「怖くても、しんどくても、“行ってみたい”って思う瞬間」
それは、配信でもそうだ。夜の街へ出る時も。人と会う時も。怖さが消えたから動けるわけじゃない。怖くても、動きたい時がある。恵介君は、黙ってこちらを見ていた。社長が、小さく息を吐く。そして。
「……条件がある」
その言葉に、恵介君の顔が上がった。
「長時間はいないようにしろ」
「はい」
「配信へ映らない」
「はい」
「体調が悪くなったら、すぐ帰る」
「はい!」
声が明るい。それだけで、どれだけ嬉しいか分かる。社長は少し困ったように笑った。
「まったく……」
その顔は、怒っているというより、心配性の保護者そのものだった。私は思わず笑ってしまう。すると、ルークが満足そうに頷いた。
「決まりだね」
「あなた、最初からこうなると思ってたでしょ」
「少しだけ」
絶対、少しじゃない。でも、その時だった。
「紫乙さん!」
恵介君が、初めて年相応の明るい顔で笑った。
「僕、帽子買わないと」
「そこから?」
「変装大事ですよね?」
「まあ、うん……」
私は苦笑する。その横で、社長が静かに額を押さえていた。たぶん今、“本当に行かせて大丈夫だろうか”と考えている。でも、そんなふうに悩みながらも、ちゃんと一歩を許してくれるのが、この人なのだろうと思った。
恵介君の表情は、分かりやすいくらい明るくなっていた。
「帽子、黒の方がいいですかね。僕、白いニット帽子か持っていないんです。普段からかぶらなくて」
「そこまで本気で変装するの?」
「だって、記者に見つかったら困るじゃないですか」
真面目な顔で言う。その様子が少し可笑しくて、私は思わず笑ってしまった。さっきまで俯いていたのに、今はもう外出の準備を考えている。やっぱり、行きたかったのだ。その時だった。
「なら、僕も行こう」
静かな声が、リビングへ落ちた。一瞬、空気が止まる。
「……え?」
最初に反応したのは、恵介君だった。社長は、落ち着いた表情のまま続ける。
「その方が安全だろう」
まるで当然みたいな口調だった。
「夜の山道だ。人数は多い方がいい」
「玲司さんも来るの?」
恵介君が目を丸くする。驚いているのが、見ていて分かる。たぶん、本当に予想していなかったのだ。
「駄目か?」
社長が少しだけ首を傾げる。
「いや、そうじゃなくて……」
恵介君が慌てる。
「一緒に来てくれると思ってなかったから」
その言葉に、社長が少しだけ困ったように笑った。
「心配なんだよ」
静かな声だった。
「せっかく外へ出るなら、安心して出したい」
私は、その言葉に小さく頷いた。
「私も、その方がいいと思います」
正直、本音だった。ルークがいるとはいえ、夜の山道はやっぱり不安がある。人数が増えるだけでも安心感は違う。
「ほら」
ルークが、どこか満足そうに言った。
「保護者同伴だ」
「遠足じゃないんだから」
私は呆れる。でも、恵介君は本当に嬉しそうだった。
「玲司さん、ありがとう」
その顔を見ていると、社長が来ると言い出した理由も少し分かる気がした。ただ守るだけじゃなく、“安心して外へ出られる経験”を作りたいのかもしれない。




