6-2
夜が更けていき、招待客は一人ずつ帰っていった。笑い声が遠ざかり、家の中が少しずつ静かになる。私は寝室へ戻った。ルークも一緒だった。何か特別なことをするわけではない。ただ、「おやすみ」を言うために、そばにいてくれる。
ルークは隣にいた。今夜も私は少し安心して、ゆっくり布団へ潜り込む。隣へ、ルークが静かに横になる。窓の外では、夜空が淡く光っていた。遠い星々。静かな宇宙。その中で、私は少しずつ眠気へ沈んでいく。結婚したのだ。まだ実感は薄い。でも、隣にルークがいることだけは、不思議と自然に思えた。
その時だった。胸の痛みが、急に強く襲ってきた。
「……っ」
息ができない。胸の奥が焼けるみたいに痛い。苦しい。声を出そうとしても、うまく呼吸ができなかった。視界が揺れる。隣では、ルークが私を強く抱きしめたまま目を閉じていた。その温もりだけを感じながら、私はゆっくり意識を失っていく。それが、ミケーネとして見た最後の景色だった。
その後、どれだけの時間が流れたのかはわからない。
「奥さん。起きてください」
知らない声で、私は目を開けた。周囲には、人が集まっている。白い制服。胸元へ刻まれた紋章。一瞬で分かった。ハトホル集合意識体の職員たちだ。どうして私のそばにいるのか、分からなかった。私は立ち上がろうとして、違和感に気づく。身体が軽い。いや――違う。私は、自分の身体から抜け出していた。
「……え」
足元を見る。そこには、ルークがいた。私の身体を抱きしめている。ミケーネの身体だ。でも、動かない。青白くて、静かで、まるで眠っているみたいだった。私は息を呑む。
「我々は、ハトフル集合意識体です」
職員の一人が静かに言った。
「あなたを迎えに来ました」
「迎え……?」
意味が分からなかった。
「お役目、ご苦労様でした。ご主人がお待ちです」
「ラファエル先生……?」
私は震える声で呼びかけた。
「私、どうなったの?」
ルークは答えない。ミケーネの身体を抱きしめたまま、静かに俯いている。その時だった。ハトホルの職員たちが、そっと私の手を取った。瞬間。大量の記憶が流れ込んできた。
「あ……っ」
景色が変わる。知らない星。軍服。訓練。戦艦。書類。誰かに敬礼する自分。そして、鏡へ映る大人の女性。長い銀色の髪。鋭い瞳。ミレイニー。それが、本当の私の名前だった。
「……うそ」
私は息を呑む。すると、さらに映像が切り替わった。ハトホル集合意識体の門。そこで、泣きながら誰かが訴えている。ミケーネの母だった。
「娘に会わせてください……!」
門番へ必死にすがりついている。
「お願いします……!」
けれど、職員は静かに首を横へ振った。
「軍の規定です。すぐには面会できません」
その瞬間、私は理解した。両親は知っていたのだ。ミケーネが、今夜亡くなる運命だということを。私は、アルタイル軍へ所属する士官だった。資格取得のため、この星へ転生していたのだ。ミケーネとして生きるために。そして、その人生を終えれば、再びミレイニーへ戻る。両親は、それを知っていた。いつか再会できることも。でも、ミケーネは、もう戻らない。ミレイニーとして会うだけだ。ミケーネという少女は、死んだのだ。
「……いや」
私は泣きそうになる。母が門の前で崩れ落ちる姿が見える。私の身体はどこにあるのだろう。母のところへ行きたい。抱きしめたい。でも、動けない。景色がまた切り替わった。
白い壁の部屋だった。私はベッドの上で目を覚ます。窓の外には、夕暮れが広がっていた。
「……っ」
身体を起こそうとすると、ハトホルの職員たちが支えてくれる。その時、扉が開いた。ルークだった。結婚の宴の時と同じ軍服姿。でも、その表情は静かだった。そこで、私は全てを思い出した。ミケーネだった記憶。ミレイニーとしての人生。全部。
ミケーネの記憶は、私の魂へ吸収され、記憶として残っている。でも、今ここにいるのはミケーネではない。ルークと向き合っているのは、妻であるミレイニーだった。私は急に怖くなる。まるで、自分がミケーネを奪ってしまったみたいだった。
「あなた、ごめんなさい……!」
気づけば、涙が溢れていた。
「私……っ、あなたから大事な人を奪ってしまった……!」
ミケーネは、もういない。彼女は私の中へ吸収されてしまった。もう二度と、“ミケーネ”として笑うことはない。そんなの、嫌だった。こんなのは、もうこりごりだ。私はルークの手を取ることすらできず、ただ泣き続けていた。
そして、さらに景色が変わった。永山紫乙として生きるための儀式の前だった。巨大な谷。白い霧。風が強く吹いている。転生は、“ジャンプ”によって行われる。谷へ飛び込み、新しい命へ接続されるのだ。
ルークが、私のそばにいた。私は何度も嫌だと言った。怖かったからだ。また誰かの人生へ入ることが。また別れを経験することが。でも、説得されて、私はここへ来ていた。
「今度、兄になる人は、ハトホル集合意識体の職員だ」
ルークが静かに言う。
「君と同じように、経験を積むために転生する」
「……知ってる人なの?」
「ああ。何度も会ったことがある」
私は不安そうに谷を見下ろした。その横には、僧侶が立っている。夢河師。転生儀式を担当する僧侶だった。彼は私の身体を支えるように抱きしめる。今度の転生先では、性交渉を伴う人生になる可能性が高い。だから、魂の安定のため、僧侶が共に飛ぶ決まりになっていた。
「奥さん!行きますぞ!」
夢河師が叫ぶ。
「夢河師、行ってください」
ルークが、私の背中を押した。
「僕も後からついて行く」
その言葉を、私は信じた。そして、私は谷へ飛び降りた。
そこで、目を覚ました。永山紫乙としての私だった。時計は午前4時を指している。隣では、ルークが眠っている。その瞬間、彼がゆっくり目を開けた。意識を繋げているから、私が見た夢を共有している。いや、もしかしたら、ルークが私へ見せた夢だったのかもしれない。すると、ルークが眠そうな声で言った。
「紫乙」
「……なに」
「君がこの星で男と関係を持つ時、必ず僕がウォークインしていたんだ」
私は目を瞬かせる。ルークは真顔だった。
「だから、実際に“触れていた”のは僕だからね。抜かりはないんだよ」
「……なにその理論」
思わず呆れた声が出る。
「そういう約束だった」
ルークは私の身体を抱きしめた。そして珍しく、彼の方が先に眠りへ落ちていく。でも、腕の力は強いままだった。私は再び襲ってくる眠気の中で、静かに目を閉じる。涙が、頬を伝っていた。悲しい記憶。ミケーネが、もういないこと。その喪失感が胸へ残っていた。私はルークの胸へ顔を埋める。その温もりに縋るようにしながら、再び眠りへ沈んでいった。




