6-1 転生前の記憶
午前3時。
アンダーウェアから帰ってきた後、私は倒れ込むようにしてベッドに入った。そして、夢を見た。小さいころの兄との思い出だ。目を覚ますと、ルークが私のことを抱きしめたまま眠っていた。そして、意識はまたゆっくり夢の中へ沈んでいった。私は、金星近傍の星に住む少女になっていた。名前はミケーネ。書店を営む夫婦の娘だ。何度か、ルークが話してくれたことのある世界だった。
私は今日、16歳の誕生日の夜を迎える。それは特別な夜だった。小さい頃から知っている“ラファエル先生”こと、ルークとの結婚の宴が開かれる夜だからだ。ルークは、私の守護者として月に三度、この星を訪れていた。私が15歳になってからは、学校帰りに迎えへ来てくれるようになった。夕暮れの道を一緒に歩き、家まで送ってくれる。婚約者になったからだ。
けれど、その星でも、16歳で本当に結婚する人は少なかった。私は進学予定だったし、ルークの暮らすアルタイルへ渡る日程も決まっていない。そもそも、ルークは軍人だった。いずれ任務へ戻らなければならない人だ。だから私は、結婚すると言われても、どこか現実感がなかった。離れ離れになると思っていたからだ。それでも両親は、「この縁は大切にしなさい」と静かに言った。私は戸惑いながらも、その言葉へ従った。ルークのことは好きだったからだ。
でも、それは“大人の恋”とは少し違った。小さい頃から可愛がってくれる、優しいお兄さんみたいな人。その隣にいられることが、ただ嬉しかった。今日も学校帰りにルークが迎えへ来てくれて、宴へ出席する同級生たちに囃し立てられながら帰ったことを思い出す。
「ラファエル先生!また夜にね!」
「ああ、また来るよ」
ルークは穏やかに笑っていた。
「宴では、君の好きな物ばかり並ぶ。楽しみにしていろ」
「うん!」
私は嬉しくなって、大きく頷いた。家の前でルークと別れ、ばいばい、と手を振る。その後、迎えのスペースシップが降下してきて、ルークはそこへ乗り込んでいった。空へ浮かぶ光。私は、それを見上げながら思う。いつか、自分も軍人になって空を飛びたいと。
でも、私には別の夢もあった。絵本作家になることだ。両親が営む書店には、私の書いた物語が並んでいる。タイトルは――『ハトホル物語』。この星を管轄する軍機関、“ハトホル集合意識体”へ所属する女性の物語だった。主人公は18歳。私より少し年上という設定だ。
ハトホル集合意識体は、資格取得や修行のため、様々な星へ転生する魂を管理する機関でもあった。次はどの星へ生まれるのか。どんな人生を経験するのか。命を終えた魂たちは、ハトホルの案内人に迎えられ、それぞれの星へ還されていく。転生する者は軍人が多かった。教師になるための修行として転生する者もいる。医師。研究者。芸術家。様々な役割を学ぶために、人々は星を渡っていくのだ。そして、私はそんな世界を物語にしていた。夢みたいな話だと笑われることもある。でも、私は信じていた。空の向こうには、本当にいろんな星があるのだと。
そして、夜を迎えようとした時刻になったその時だった。窓の外で、光が揺れた。私は反射的に顔を上げる。夜空へ、小さな銀色の光が浮かんでいた。宇宙船だ。ルークが戻ってきたのだと分かる。胸が、少しだけ高鳴る。まだ子供みたいな気持ちのまま、それでも、ルークの隣へ行くことを、どこか楽しみにしている自分がいた。
そして、夜になった。書店の一階は、昼間とはまるで違う空気になっていた。棚の間へ柔らかな灯りが吊るされ、花の香りが漂っている。宴のために並べられた料理からは、甘い香辛料と焼きたてのパンの匂いがしていた。
「ミケーネ!おめでとう!」
同級生たちが次々と家へ入ってくる。学校の友人たち。両親の知り合い。近所の人たち。みんなが笑っていて、部屋はとても賑やかだった。私は、少し緊張しながらその輪の中へ立っていた。白に近い淡い金色の衣装。細かな刺繍が施されていて、歩くたびに裾が揺れる。母が何度も髪を直してくれたことを思い出す。
「可愛いわよ、ミケーネ」
「そうかな」
「ラファエル先生、絶対泣くわね」
「泣かないと思う」
私が笑うと、周囲も笑った。その時、入口が静かに開く。一瞬だけ、空気が変わった。
「あ……」
ルークだった。黒を基調にした軍服姿。銀色の髪が灯りへ照らされ、どこか夜空みたいに見える。私は何度も見ているはずなのに、思わず見惚れてしまった。友人たちが騒ぎ始める。
「ラファエル先生だ!」
「かっこいい!」
「ミケーネ、顔赤い!」
「赤くない!」
慌てて否定すると、さらに笑われた。ルークはそんな様子を見ながら、小さく笑っていた。そして、まっすぐ私のところへ来る。
「誕生日おめでとう」
低く、穏やかな声。その瞬間だけ、周囲の音が少し遠くなった気がした。
「……ありがとう」
私が答えると、ルークは静かに目を細めた。その時だった。胸に、小さな違和感が走る。
「……あれ」
息が少し苦しい。胸の奥が、きゅっと締めつけられるみたいに痛んだ。呼吸が浅くなる。でも、宴の最中だった。みんな笑っている。両親も嬉しそうだ。今ここで、苦しいなんて言いたくなかった。私は小さく息を整えながら、無理やり笑みを作る。大丈夫。きっと、緊張しているだけだ。そう思い込もうとした。けれど、ルークだけは、私の顔をじっと見つめていた。
宴は、その後も賑やかに続いた。料理を食べて、果実酒を飲み、音楽が流れる。誰かが歌い始めると、みんなが笑いながら声を重ねた。同級生たちは、ずっと私をからかっていた。
「ミケーネ、よかったね!」
「ラファエル先生、優しすぎる!」
「絶対大事にされるよね!」
私は困りながら笑っていた。その隣で、ルークが静かに私の頭を撫でる。その手は、昔から変わらない。守るみたいに、優しかった。




