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玄関を抜け、リビングへ通される。床は静かに光を反射するフローリングで、無駄のない家具が整然と配置されていた。広いのに、生活の気配は最小限に抑えられている。きれいすぎる。そんな印象だった。社長はルークに目を向け、やわらかく微笑んだ。
「ルーク君もすまない。久しぶりだな」
「はい。お久しぶりです」
ルークが軽く頷き、買い物袋を持ち上げる。すると、恵介君がすっと立ち上がり、自然な動きでそれを受け取ろうとした。その瞬間、二人の視線が交わる。わずかな間を置いて、空気が整うように自己紹介が始まった。私はバッグから名刺を取り出し、ルークの隣に並ぶ。
「初めまして。五十里恵介です」
「ルーク・ヴェイルです」
「日本語がお上手なんですね」
「以前、アメリカで日本人の知人が多かったもので」
「永山です。本日はよろしくお願いいたします」
私が名刺を差し出すと、恵介は一瞬、ためらうような表情を見せた。申し訳なさと、遠慮が入り混じった顔だった。気にしているのだろう。社長が昨日言っていた。秘書にまで負担をかけてしまっていることを、相当気にしていると。けれど、これは助け合いだ。巻き込まれたのは、彼の方だ。半年前に別れた相手の問題で、ここまで追い込まれるなんて。理不尽以外の何ものでもない。私は気持ちを切り替え、静かに言った。
「こちらに置かせていただいてもよろしいですか?」
買い物袋を持ち上げながら社長に尋ねる。
「ああ、そこに置いてくれ」
「失礼いたします」
キッチンカウンターに袋をそっと置く。
「思ったより多くなってしまいましたが……」
「問題ない。助かる」
短く、はっきりとした返事だった。社長は腕時計に目を落とす。
「すまないが、私はこれから出る。昼過ぎには戻る予定だ」
「承知いたしました」
「恵介のこと、頼めるか」
「お任せください」
「では、頼んだ」
それだけ言って、社長は部屋を後にした。ドアが閉まる音が、やけに小さく響く。残されたのは、私とルークと恵介君だ。しばらく、言葉のない時間が流れた。
「……あの」
先に口を開いたのは、恵介君だった。
「すみません。本当に」
小さく頭を下げる。
「このような状況で」
「お気になさらないでください」
私はやわらかく微笑む。
「こういうときのために、私たちがいますので」
その言葉に、彼の表情がほんの少しだけ緩んだ。
「……ありがとうございます」
「まずは、食材を整理いたしますね」
私はエプロンを借りて、キッチンへ向かう。冷蔵庫を開けると、やはり中は最低限のものしか入っていなかった。
「……あまり召し上がっていらっしゃらないんですね」
思わず口にすると、
「……はい」
背後から、素直な返事が返ってくる。振り返ると、恵介君が少し気まずそうに立っていた。
「食事が苦手でして」
「そうなんですね」
「食べると……、体型に影響が出るので」
まっすぐな目だった。事情は分かる。でも、それだけでは済まない問題でもある。
「それでも、ある程度は召し上がった方がよろしいですよ」
言葉を選びながら、やわらかく伝える。
「今は外出も難しい状況ですし、体力を落とさないことが大切です」
恵介君は少しだけ視線を落とした。
「……分かっています」
「無理のない範囲で大丈夫ですので」
私は軽く微笑む。
「消化に優しいものをお作りしますね」
そのときだった。
「楽しみだね」
横からルークが口を挟む。恵介君がわずかに驚いたように目を見開いた。
「あの……」
少し迷うようにしてから、言葉を続ける。
「実は、拝見しました。配信」
「え?」
思わず手が止まる。
「玲司さんから話を聞いて興味を持って……、開いたら、ちょうどあの光の場面で」
「……ああ」
「正直、驚きました。あれが……、現実なのかと」
恵介君はルークの方をちらりと見た。
「一度、お会いしてみたいと思っていました」
その言葉に、ルークはいつものように微笑む。
「会えてよかったよ」
空気が、ほんの少しだけやわらいだ。私は包丁を手に取りながら、静かに思う。ここからだ。この部屋に、少しずつ“日常”を戻していく。そのために、私は来たのだから。




