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20時。
病院の窓の外は、すっかり夜の景色へと変わっていた。昨日の今頃、私はアルタイルにいた。そう思うと、不思議な気持ちになる。あと一時間もすれば、地球へ戻ってきて丸一日になるのだ。幸い、身体の具合は思っていたほど悪くはなかった。ずっとベッドで安静にしているおかげだろう。心臓も落ち着いていて、あれから胸の痛みも息切れも起きていない。もちろん、これからの精密検査の結果次第ではある。それでも、この調子なら日常生活へ戻れる日は、そう遠くないような気がしていた。
夕食を終えた私は、再びベッドへ横になった。ルークは一度家へ戻り、着替えや必要な荷物を取りに行っていた。今夜は医師から付き添いの許可が下りたため、この病室で一緒に過ごせることになっている。本人は「初めて病院で付き添いができる」と、どこか嬉しそうだった。私はむしろ家でゆっくり休んでほしかった。病室のソファーベッドでは疲れが取れないと思ったからだ。でも、ルークは、この病院のソファーは寝心地が良さそうだと笑っていた。
兄には、その代わり今夜は家へ帰って休んでもらうことにした。本当は兄にもいてほしかった。ルークが何か突拍子もないことを始める気がして、少し不安だったからだ。妙に浮き足立っている様子を見ると、どうにも落ち着かない。
今回の旅で撮影したプログラム映像は、ベガ中央百貨店で編集作業が進められているという。ダイジェスト版が完成したら、アレクが端末で見せてくれるらしい。もちろん、その映像はアルタイルにいる私の両親にも届けられる。アルタイルと地球では時間の流れが異なる。ミレイニーがアルタイルを旅立ってから、地球では41年が過ぎた。けれど、アルタイルでは、わずか1時間ほどしか経過していないという。私が目覚めたあの施設も、同じ時間の流れの中にあるそうだ。
その時だった。
「あら……?」
窓の外を、一隻の宇宙船がゆっくりと横切っていく。
「あれ、警備船だわ」
昨日、ルークと契約していた警備サービスは期限が切れたばかりだった。延長するかどうか迷っていると言っていたはずなのに。また契約したのだろうか。そんなことを考えていると、病室のドアが静かにノックされた。
「入るよ」
「どうぞ」
着替えを済ませたルークが、爽やかな笑顔で入ってきた。家では銀髪の姿で過ごしているが、病院ではいつもの黒髪へ変装している。お風呂上がりらしく、どこかさっぱりとした表情だった。
「ルーク、お帰り」
「ただいま」
私は窓の外を指差す。
「あの船、警備船よね。またお願いしたの?」
「うん。それと今日は宇宙連合の船も来ているよ」
「宇宙連合?」
「今夜、凰李とユリウス君を乗せる予定なんだ。ハトホルからの招待でね。東京の夜景を上空から見てもらおうと思って」
「いいなあ」
私は素直に笑った。
「私も乗ってみたい」
「昨日、アルタイルへ帰っていたじゃないか」
ルークは肩をすくめる。
「あの時は怖がってたくせに」
「だって、夜景は見えなかったもの。でも、軍服姿のあなたが見られたから、それはそれで良かったかな」
「かっこよかっただろう?」
「そういうことにしておくわ」
「なんだ、その返事は」
ルークは苦笑すると、腕時計型端末を操作した。
「じゃあ、少しだけ」
次の瞬間、病室の景色が静かに溶けていく。私たちを包み込むように満天の星空が広がり、遠くには青く輝く星雲が浮かび上がった。まるで宇宙空間へ迷い込んだようだった。
「……きれい」
思わず息をのむ。
「本当は退院してから見せようと思ってた。でも、今の君なら大丈夫そうだから」
ルークはそう言って、私の前へ立つ。
「今日はもう一つ、渡したいものがある」
小さなケースを開くと、中には一つの指輪が納められていた。
「結婚の儀式は、まだできない。でも、これは僕の気持ちだ」
ルークは私の左手を優しく取り、薬指ではなく中指へ指輪をはめた。
「給料3か月分なんだ」
「ルーク……、いいの?」
「もちろん」
柔らかく微笑むと、ルークは私の前に静かにひざまずいた。その姿から、いつものいたずら好きな青年の面影が消えていく。
「紫乙。君はハトホルへ迎えられる資格を得た。地球での礎を築いた証だ」
静かな祝福の言葉が病室へ響く。
「アルタイルへ帰るその日まで、僕が君に仕え、君を支え続ける」
その瞬間、窓の外から柔らかな光が差し込んだ。警備船の光だった。ルークは私の手を取り、その甲へそっと口づける。
「君には降参だよ」
優しく笑うその表情は、まるで、ラファエル先生そのものだった。
「今世でも、僕は君に夢中になる。最後の一秒まで、君を守り続ける」
私は何も言えず、ただ彼を抱きしめ返した。満天の星空に包まれながら。あの夜とは違う。今夜は、生きている命を確かめ合うための、静かな誓いの夜だった。ミケーネは命を落とした。そして、本当なら、私も同じ運命だったのかもしれない。それでも今、私の胸には確かな鼓動がある。生きている。私を救うために、ルークはどれほどの苦しみを背負ったのだろう。もう、あんな痛みを彼に味わってほしくない。そんな思いが胸いっぱいに広がる。
「ルーク……」
私はそっと彼の名前を呼んだ。
「私はここにいるわよ」
精いっぱい腕を伸ばし、彼の身体を抱きしめた。すると、ルークも、壊れ物を包み込むように私を抱き寄せた。互いの鼓動が重なり合う。私は生きている。そして、ルークも生きている。それだけで十分だった。
満天の星空の下、私たちは静かに抱き合った。言葉はいらなかった。あの夜に失いかけた未来を取り戻した私たちだけに分かる、永遠の誓いが、そこにはあった。




