14-4
18時30分。
私は都内にある聖加世病院へ救急搬送され、緊急検査を受けていた。病院へ到着したところまでは覚えている。病院で意識を回復した。けれど、その後の記憶は曖昧だった。次に目を開けた瞬間、私は思わず息をのんだ。目の前いっぱいに、燃えるような夕焼けが広がっていたからだ。
「……え?」
ここは病院だったはずだ。なのに、どうして私は空を見ているのだろう。私はゆっくりと瞬きを繰り返した。どうやらベッドに寝かされているらしい。そこから見えていたのは、大きなガラス窓の向こうに広がる夕焼けだった。
(助かったんだ……)
そのことに安堵し、小さく息をつく。でも、すぐに違和感が込み上げてきた。窓が広すぎる。壁一面がガラス張りになっていて、まるで空の中に浮かんでいるような景色だ。
(聖加世病院って、こんな病室だった……?)
見覚えがない。どこか別の場所にいるような気がした。
「お兄ちゃん……、ルーク……」
私は二人の姿を探そうと上半身を起こした。その瞬間、さらりと何かが膝へ流れ落ちる。銀色の長い髪だった。
(ルーク……?)
一瞬そう思った。けれど違う。その髪は私の肩から流れ落ちていた。
「え……?」
恐る恐る髪へ触れる。指先に伝わる感触は間違いなく自分のものだった。こんなに長くはなかったはずなのに。私はさらに自分の手を見つめる。白く透き通るような肌。細く長い指。見慣れた自分の手ではない。
混乱していると、静かな足音が部屋へ近づいてきた。振り返ると、そこにはルークが立っていた。黒い髪は、地球で過ごす時と同じ姿だ。その姿を見た途端、胸の奥に少しだけ安心が広がる。
「ルーク」
名前を呼んだ。けれど、聞こえてきた声は私のものではなかった。柔らかく、どこか澄んだ響き。私は思わず口元へ手を当てる。
「鏡……」
自分の姿を確かめたくなり、窓へ近づこうとした。しかし、ガラスには空しか映らない。ルークはそんな私を見て小さく微笑んだ。
「紫乙。鏡が欲しいんだろう?」
「……うん」
「あるよ」
差し出された鏡を受け取り、私は恐る恐る覗き込む。そして、息をのんだ。
「……!」
映っていたのは私ではなかった。夢の中で何度も見てきた女性。ミレイニーだった。銀色の長い髪。透き通るような青白い肌。どこか悲しみを宿した美しい瞳。私は鏡を持つ手を震わせた。脳裏に、これまで見続けてきた夢が次々と蘇る。ミケーネだ。そして、彼女が命を落とした後、このベッドで目を覚ましたミレイニー。その記憶と今の光景が重なった。
「……私、死んだの?」
ルークが静かに私を見る。
「紫乙」
「だって、ミレイニーの姿だもの……。亡くなったんでしょう?」
胸が苦しくなる。
「そうだわ……、ブルーハイサービスに加入しているんだから、お兄ちゃんに会えるわよね?すぐに会えるんでしょう?」
私は慌ててベッドから降りようとした。しかし、足に力が入らない。
「っ……!」
身体が傾き、その瞬間、ルークが素早く支えてくれた。
「無理をするな」
そのまま優しくベッドへ座らせられる。ルークは私の目をまっすぐ見つめ、落ち着いた声で言った。
「紫乙。君は亡くなっていない」
「え……?」
「心臓の痛みで二度目の失神をした後も、君は聖加世病院で治療を受けている。ただ、その時に君の魂であるエネルギー体だけが身体から離れてしまった」
私は息を止めた。
「だから僕が君をアルタイルへ連れて帰ってきた。向こうの身体が落ち着けば、必ず元へ戻す」
「お兄ちゃんたちは病院にいるの?」
「いるよ。向こうでは、もう夜になっている頃だ。でも、みんな君のそばを離れていない」
「すぐ戻して!」
「まだ戻れない。肉体が回復していないからだ」
「じゃあ、私を向こうへ連れて行って!これもブルーハイサービスに入っていないの?」
思わず身を乗り出すと、ルークは少しだけ困ったように笑った。
「そうか。向こうを見たいんだね」
「ええ!」
私は力強く頷き、ルークの肩へすがる。その時になって初めて、部屋の奥に数人の人影が控えていることに気付いた。いつ入ってきたのだろう。白を基調とした制服に身を包んだ男女が、静かにこちらを見守っている。私の視線に気付いたルークが振り返った。
「紹介するよ。彼らはアルタイル軍、この医療施設の職員と医師たちだ」
その言葉に、私はようやく、自分が地球ではない場所にいるのだと実感した。その時だった。窓の向こうの景色が、ゆっくりと変わり始める。燃えるような夕焼けは淡く溶けるように消え、代わりに深い群青色の空が広がっていった。
「……え?」
私は思わず窓へ顔を向けた。そこには、無数の星々が輝く夜空が広がっていた。まるで宝石を散りばめたような光景だ。さらに、その星空を一隻の宇宙船が静かに横切っていく。青白い尾を引きながら滑るように飛ぶ姿は、とても美しく、現実とは思えなかった。
「アルタイル……」
思わず呟く。きっと、ここが本当にアルタイルなのだ。でも、不思議と景色に見とれている余裕はなかった。胸の中にあるのは、ただ一つだけ。
――お兄ちゃんたちに会いたい。
その思いだけだった。私はルークを見上げる。
「お願い。向こうへ連れて行って」
ルークは少しだけ目を伏せ、静かに息をついた。
「連れて行くことはできる」
その言葉に、私はぱっと顔を明るくした。けれど、続く言葉は優しかった分だけ残酷だった。
「でも、君は今、肉体ではなくエネルギー体なんだ。向こうへ行っても、みんなには見えないかもしれない」
私は息を止めた。
「凰李でさえ、君がそばへ行っても触れられないかもしれない。君の声も届かない可能性がある」
「……そんな」
胸が締めつけられる。目の前にいるのに、触れられない。声を掛けても届かない。それは、会えないのと同じくらい苦しかった。それでも――。
「それでもいい」
私は迷わず答えた。
「お兄ちゃんたちが無事だって、自分の目で確かめたいの。だから……、お願い」
ルークはしばらく私を見つめていた。やがて小さく微笑むと、そっと私を抱き寄せる。
「分かった」
その腕は、いつものように温かかった。ルークは私を抱きしめたまま、静かに右手を天井へとかざす。すると、その手のひらから柔らかな白い光が生まれた。光は水面の波紋のように広がり、天井一面を優しく照らしていく。次の瞬間、その光は無数の粒となって私の身体を包み込んだ。温かい。けれど、重力が消えていくような、不思議な感覚だった。視界いっぱいに光があふれ、私は静かに目を閉じた。




