13-39
17時50分を過ぎると、会場の雰囲気が少しずつ変わり始めた。スタッフが慌ただしく動き回り、無線で連絡を取り合っている。観客へ向けてアナウンスが流れた。
『まもなく午後6時より、本部演舞場での演舞を開始いたします。皆様、お席でお待ちください』
ざわめいていた客席が、少しずつ静かになる。東側では最初のチームが隊列を整えていた。鳴子を手に持ち、真剣な表情で前を見つめている。
「始まるわ」
私は自然と背筋を伸ばした。ルークも目を輝かせている。
「楽しみだ」
時計の針が18時を指した。その瞬間だった。
パンッ――。
乾いた合図の音が響き渡る。続いて力強い和太鼓の音が会場全体を震わせた。
ドン、ドン、ドドン――。
胸の奥まで響く重低音に、観客席から大きな拍手が湧き上がる。司会者の張りのある声が響いた。
「皆様、お待たせいたしました!本部演舞場、夜の部の開演です!」
その一言に、客席から歓声が上がる。最初のチームがゆっくりと前へ進み始めた。揃いの法被をまとった踊り子たちが、鳴子を高く掲げる。そして、威勢のいい掛け声とともに、一斉に鳴子が鳴り響いた。
「よっちょれ!よっちょれ!」
カラカラッ。
乾いた軽快な音が夕暮れの追手筋へ広がっていく。音楽が流れ始めると、踊り子たちは一斉に動き出した。笑顔いっぱいの表情。大きく腕を広げる振り付け。力強い足運び。隊列は乱れることなく、まるで一つの生き物のように滑らかに西へ進んでいく。
「すごい……」
思わず息をのむ。テレビやネット中継では何度も見たことがある。それでも、実際に目の前で見る演舞はまったく違っていた。一人ひとりの息遣いまで伝わってくる。鳴子の音、足音、掛け声、笑顔。すべてが一つになり、目の前を流れていく。
「これが、本場のよさこい……」
ルークも感動したように呟く。
「映像では伝わらない迫力だ」
兄も満足そうに頷いた。
「だから毎年、多くの人が高知へ来るんだよ」
踊り子たちは観覧席の前を通り過ぎても勢いを落とさない。最後の一人まで笑顔を絶やさず、高知城方面へ向かって踊り続けていく。その姿を見送りながら、私は自然と拍手を送っていた。すると、会場中からさらに大きな拍手が巻き起こる。夜の本部演舞場は、こうして熱気と歓声に包まれながら、華やかに幕を開けたのだった。
最初の数チームが通り過ぎると、追手筋には再び期待に満ちた空気が流れた。東側から、ひときわ大きな歓声が聞こえてくる。私は自然とそちらへ顔を向けた。
「次のチームみたいね」
すると、一台の地方車がゆっくりと姿を現した。大きなスピーカーを積み、色鮮やかな装飾が施された地方車。その上にはボーカルと楽器隊が乗り込み、すでに演奏の準備を整えている。ギターが鋭く音を鳴らした。
ジャーン――。
ロックサウンドだった。ルークが思わず身を乗り出す。
「よさこいでロックなんだね」
「そうよ」
私は頷いた。
「昔ながらの民謡を使うチームもあるけれど、現代風にアレンジした楽曲で踊るチームも多いの」
その瞬間、ボーカルがマイクを握った。力強く、それでいてよく通る歌声が追手筋いっぱいに響き渡る。疾走感のあるメロディー。ギターの鋭いリフ。ライブ会場を思わせるような演奏だった。
「昨日のコンサートを思い出すわ」
私が小さく呟くと、ルークも笑う。
「確かに。ディスレクトサイドゼロとはまた違うけど、この勢いは負けてないね」
地方車が目の前へ近づく。その後ろから、踊り子たちが一斉に姿を現した。
「きれい……」
思わず息をのむ。衣装は白と紫を基調にした上品なデザインだった。純白の生地に紫色の模様が流れるように入り、袖口や帯には金色の装飾が施されている。そして何より目を引いたのは、その裾だった。踊り子たちが回転するたび、長く広がる裾が花びらのようにふわりと舞い上がる。白と紫が風をまとい、一輪の花が次々と咲いていくようだった。
「すごい……」
私は瞬きを忘れて見つめる。
「衣装が踊っているみたい」
ルークも感嘆の声を漏らした。
「踊りと一体になってる」
「ここまで計算されているんだな」
兄も感心している。踊り子たちは全員が鳴子を手にしていた。右手と左手、それぞれに持った鳴子を軽快に鳴らしながら、笑顔で前へ進んでいく。ロックサウンドの中でもはっきりと耳へ届いた。そこで、私はふと思い出したことを口にした。
「よさこい祭りには、必ず守らなければいけない決まりがあるの」
「決まり?」
ルークが首を傾げる。
「鳴子を持って踊ることよ」
「ああ、なるほど」
私は踊り子たちへ視線を向けながら続けた。
「『よさこい鳴子踊り』のメロディーを楽曲の中に入れること。前進しながら踊ること。地方車を使用すること。参加人数などの規定もあるわ。150人以下で構成するのよ。楽曲はロックでも、オーケストラにアレンジしてもいいし、衣装、振り付けはチームごとに自由に工夫できるの。でも、鳴子を持って踊ることだけは共通なのよ」
兄も頷く。
「だから、昔ながらの正調よさこいで踊るチームもあれば、ロックやポップス、ジャズを取り入れるチームもある。そこがよさこいの面白いところなんだ」
「自由なんだね」
「ええ。そのチームらしさが出るの」
目の前ではボーカルが高らかに歌い上げる。その歌声へ応えるように、踊り子たちが大きく腕を広げた。隊列が一斉に回転する。
ふわり――。
白と紫の裾が夜風を受け、大きく円を描いた。まるで無数の蝶が舞い上がったようだった。
「わぁ……」
観客席から一斉に歓声が上がる。その美しさに、誰もが目を奪われていた。踊り子たちの表情は輝いている。笑顔を絶やさず、一歩一歩を大切に踏みしめながら、西へ、西へと進んでいく。ボーカルも客席へ向かって手を掲げる。
「皆さん、一緒に!」
その呼びかけに応えるように、観客席から自然と手拍子が始まった。
パン、パン、パン。
リズムに合わせて手を打つ人が増え、その音は追手筋全体へ広がっていく。私たちも思わず手拍子を始めた。ルークも笑顔でリズムを刻んでいる。
「こうやって観客も一緒に参加できるんだね」
「それが、お祭りなんだと思うわ」
私も笑って答えた。演奏する人、踊る人、そして、見守る人。そのすべてが一つになって、この時間をつくり上げている。だからこそ、よさこい祭りは多くの人を惹きつけるのだろう。踊り子たちは笑顔を絶やさなかった。鳴子の音を響かせながら、高知城方面へと進んでいく後ろ姿にも、大きな拍手が送られる。その姿を見送りながら、私は胸の奥が温かくなるのを感じていた。




