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長谷部さんの案内で、私たちは関係者専用の通路へ入った。正面ロビーの華やかな雰囲気とは打って変わり、こちらには開演前ならではの緊張感が漂っている。静かなわけではない。むしろ、スタッフたちが忙しく行き交い、あちこちから指示を出す声が聞こえてきた。
「照明、最終チェックお願いします!」
「映像チーム、5分後にリハーサル映像を流します!」
「音響、スタンバイお願いします!」
インカムを着けたスタッフが小走りで通り過ぎ、大きな機材ケースを押す人や書類を抱えた人が次々と目の前を横切っていく。
「すごいわ……」
思わず声が漏れた。
「舞台裏って、こんなに忙しいのね」
兄も周囲を見回しながら頷く。
「一つのコンサートを開くのに、これだけ大勢の人が動いているんだな」
「会社の大型イベントみたいですね」
保木君も感心したように言う。ルークも興味深そうに辺りを見渡していた。
「こういう舞台裏を見るのは初めて?」
私が尋ねると、ルークは頷いた。
「ああ。思っていた以上に人が多いね」
「そうでしょう?みんな役割が決まっていて、時間通りに動いているの」
「誰も慌てているようには見えない」
「準備がしっかりできている証拠よ」
「なるほど」
ルークは感心したように笑った。長谷部さんが歩きながら振り返る。
「皆さん、足元にお気を付けください。ケーブルがありますので」
「ありがとうございます」
床を見ると、何本もの太いケーブルが養生テープで固定されていた。照明や音響機材につながっているのだろう。壁際には大きなスピーカーや楽器ケースが整然と並び、ステージの準備が着々と進められている。
「機材だけでもすごい金額になりそうね」
私が呟くと、長谷部さんが苦笑した。
「全部合わせると、とても口にはできない金額ですね」
「やっぱりそうなんですね」
「全国ツアーですから。音響も照明も最高の状態でお見せできるようにしています」
さらに奥へ進むと、控室が並ぶエリアへ入った。それぞれのドアには出演者の名前が貼られている。サポートメンバーやスタッフの部屋を通り過ぎ、長谷部さんが一枚のドアの前で立ち止まった。
「こちらです」
ドアには白い紙が貼られ、大きな文字で、『黒崎夏樹様』と書かれていた。
「ここが夏樹君の控室なのね」
私がそう言うと、ルークも小さく頷いた。
「いよいよだね」
「ええ」
長谷部さんが軽くノックをする。
「夏樹君、お連れしたわよ」
「どうぞ!」
聞き慣れた明るい声が返ってきた。長谷部さんがドアを開ける。
「失礼します」
控室の中は思っていたより広かった。壁際には大きな鏡が並び、その周りには明るい照明が取り付けられている。テーブルには飲み物や軽食が並び、衣装ラックにはステージ衣装が丁寧に掛けられていた。鏡の前には一人の青年が座っている。私たちに気づくと、その青年は立ち上がり、こちらを振り返った。
「紫乙さん!」
私は思わず息をのんだ。
「……夏樹君?」
一瞬、別人かと思った。ステージメイクが施され、目元の印象は普段よりもずっと鋭く、髪も丁寧にセットされている。いつもの穏やかな青年ではなく、人気バンド・ディスレクトサイドゼロのボーカリストがそこに立っていた。
「どうかな?」
少し照れたように尋ねる。
「変じゃない?」
「そんなことないわ」
私は笑顔で首を横に振った。
「すごく格好いい。最初、本当に別人かと思ったもの」
「ありがとう」
そう言って夏樹君がふっと笑った。その笑顔を見た瞬間、私はほっと胸をなで下ろした。
「その笑顔」
「え?」
「やっぱり夏樹君ね」
私がそう言うと、夏樹君は不思議そうに首を傾げた。
「メイクをしていると、すごく大人っぽくて別人みたい。でも、笑うといつもの夏樹君だってすぐ分かるわ」
「うひゃひゃひゃ。本当?」
「ええ。安心したわ」
兄も腕を組みながら笑う。
「テレビで見るスターそのものだな」
「本当にオーラがあります」
アレクも感心したように頷いた。夏樹君は少し照れくさそうに頭をかいた。
「そんなに褒められると恥ずかしいな~」
その照れ笑いも、仕草も、いつもと何一つ変わらない。どれほど華やかなステージメイクを施しても、私たちの知っている優しい夏樹君は、そのままそこにいた。そして、私たちが夏樹君と話をしていると、ドアがノックされた。
「失礼します」
扉が開き、数人の男性が楽しそうに入ってくる。
「あっ、みんな来た」
夏樹君が笑顔で振り返った。最初に入ってきたのは、ギターを担当するリーダーの悠人君だった。黒を基調としたステージ衣装に身を包み、普段の穏やかな雰囲気はそのままだが、どこか引き締まった表情をしている。
「こんばんは」
私たちへ軽く会釈をすると、その後ろからベースの大和君、ドラムの琉芯君、そしてツインギターの聡太郎君も続いて入ってきた。4人ともすでにステージメイクを終えており、衣装も身に着けている。さっき夏樹君を見た時と同じように、普段とは違う空気をまとっていた。
「こんばんは」
私たちも挨拶を返す。すると、長谷部さんが手を叩いた。
「みんな、お疲れさま。予定より少し早いけど、先にSNS用の写真を撮ってしまいましょう」
「了解です」
悠人君が頷く。
「じゃあ、いつもの感じでいこうよ」
「うん」
夏樹君もすぐに返事をした。そのタイミングで、バンドの統括マネージャーの飯野さんが入ってきた。




