13-23
17時15分。
身支度を終えた私とルークは、部屋を出た。カードキーで扉に鍵を掛け、エレベーターへ向かう。
「忘れ物はない?」
歩きながらルークが尋ねる。私は肩に掛けた小ぶりのバッグを軽く持ち上げた。
「チケット、お財布、スマートフォン、ハンカチ。全部入っているわ」
「よかった」
「あなたは?」
「僕も大丈夫」
ルークは胸ポケットを軽く叩いた。
「スマートフォンを持った。チケットもある」
「それなら安心ね」
ちょうどエレベーターが到着し、私たちは乗り込む。夕方という時間帯だからだろうか、館内には同じように外出する宿泊客の姿が多かった。浴衣姿で大浴場へ向かう人たち。家族連れ。そして、私たちと同じように、少しおしゃれをして出掛けようとしている若い人たち。「開」のボタンが押され、一階へ向かってゆっくりと降りていく。途中で何度か停まりながらも、ほどなくしてロビーへ到着した。
自動ドアが開くと、ホテルらしい落ち着いた空気が広がった。高い天井からは柔らかな照明が降り注ぎ、大きな窓の向こうには夕暮れの街並みが見えていた。
「あっ、来た来た」
聞き慣れた声がする。視線を向けると、ロビーのソファーに兄たちが集まっていた。アレクが私たちに手を振った。
「お待たせ」
私が声を掛けると、兄が立ち上がった。
「いや、僕たちも5分くらい前に来たところだ」
その隣では保木君が微笑んでいる。
「紫乙さん、そのジャケット素敵ですね。コンサートらしい雰囲気です」
「ありがとう。今日は少しだけきれいめにしてみたの」
白を基調にしたブラウスへ紺色のジャケットを合わせ、細身のパンツを履いている。長時間歩いても疲れないよう、靴はローヒールを選んだ。ルークも白いシャツにネイビーのジャケットという落ち着いた装いで、昼間の観光とは印象が変わっていた。兄が満足そうに頷く。
「二人とも似合ってるじゃないか」
「ありがとう」
ルークが軽く頭を下げる。そこへ、アレクが楽しそうに近寄ってきた。
「ルークさん。気合が入っていますね」
「コンサートだからね。君も派手だ」
「はい。迷子にならないようにしました。百貨店で人気のブランドの服なんです」
そこで、ルークは納得したように笑う。
「僕も今日は日本のライブっていうものを楽しみにしているんだ」
そこで、保木君が苦笑する。
「アレクは昨夜は値付けなかったんですよ」
「当たり前だろう。初めてなんだから」
「始まる前から興奮しすぎだ」
「だって、ワクワクするじゃないか」
そのやり取りに、ユリウスさんが笑った。兄も腕時計へ目を落とす。
「まだ15分あるな」
「会場まで、歩いて7分くらいでしたよね」
保木君が確認する。
「そう。信号に引っ掛かっても十分間に合う」
今回のホテルは、会場まで徒歩圏内という立地だった。タクシーに乗ってもいいが、そこまでの距離ではない。終演後もすぐ戻れる。荷物が増えないように、みんな必要最低限しか持ってきていない。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
兄の一言で、全員が立ち上がった。ホテルの自動ドアが静かに開く。外へ出ると、昼間の暑さは少し和らぎ、心地よい風が吹いていた。
「涼しくなったわね」
私は空を見上げた。今の季節はまだ日が照っているが、少し日が傾いている。風もあり、昼間よりも涼しかった。
『歩きやすいね』
ルークの声が頭の中へ届く。
「ええ。昼とは全然違うわ」
『腰は?』
「平気」
『無理はしないで』
「はいはい」
また心配されてしまった。口ではそう返しながらも、その気遣いが嬉しい。ホテル前の歩道には、同じ方向へ歩く人が目立ち始めていた。大学生らしいグループや親子連れだ。みんな手にはパンフレットを持ち、楽しそうに話している。
「やっぱり同じコンサートへ行く人たちね」
私が言うと、保木君も頷いた。
「服装で分かりますね」
「確かに」
兄が笑う。
「みんな少し浮き足立っている」
その言葉通りだった。自然と歩幅が速くなり、表情も明るい。ライブやコンサートへ向かう独特の高揚感が広がっているようだった。
しばらく歩くと、遠くに大きな建物が見えてきた。白い建物の外壁が夕暮れの光を映し、正面広場には多くの人が集まっている。
「あれね」
私が指差す。
「うん」
ルークも足を止めることなく、前方に見えるコンサートホールを見つめた。
「思ったより大きい会場だ」
「ディスレクトサイドゼロの公演だもの。でも、アリーナ公演に比べたら、ここはそこまで大きくないのよ。東京公演の会場はもっと広いわ。でも、その分、今日はステージを近くで見られるはず」
「それは楽しみだね」
建物へ近づくにつれ、人の流れはますます多くなっていく。正面入口ではスタッフが笑顔で来場者を迎え、開場を待つ人たちへ案内をしていた。開場は18時。開演は18時半だ。まだ入場は始まっていないが、すでに広場は多くのファンで賑わっている。グッズを手に談笑する人、記念写真を撮る人、開場を今か今かと待ちながらパンフレットを眺める人がいる。高知の夏の夕暮れは、よさこい祭りとはまた違った熱気に包まれていた。その活気あふれる空気の中へ足を踏み入れると、自然と胸が高鳴る。
「私たちは関係者出入口へ行けばいいのね」
「うん。マネージャーの長谷部さんが待っているはずだよ」
私たちは一般の入場口ではなく、建物の脇にある関係者出入口へ向かった。夏樹君たちバンドメンバーは、その先にある控室で開演前の準備をしている。私たちは長谷部さんに案内してもらい、控室でみんなに会う約束になっていた。関係者出入口の前には警備員とスタッフが立ち、出入りする関係者を一人ひとり確認している。すると、その奥から見覚えのある女性が足早にこちらへ歩いてきた。
「お待ちしていました」
ディスレクトサイドゼロのマネージャー、長谷部さんだった。穏やかな笑顔で私たちを迎えてくれた。
「皆さん、どうぞこちらへ。メンバーも到着を楽しみにしています」
私たちは長谷部さんの案内で関係者出入口をくぐり、コンサートホールの中へ足を踏み入れた。今夜だけの特別な時間が、いよいよ始まろうとしていた。




