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社長とは会社の中でプライベートの話をすることがあるが、踏み込んだ内容はなかった。しかし、社長は兄から聞いていることがあるようで、私のことをよく知っていた。しかし、私は社長のプライベートはよく知らない。一人暮らしであること、兄弟はいないということ。それぐらいだ。
社長は続けて言った。
『君のことは信頼できると言われている。だから、頼みたい。ルーク君と一緒に来てもらってもかまわない。仕事の都合がつけばでいい。男の元に一人で行くのは気になるだろうから、彼も一緒だといいだろう』
はっきりとした言い方だった。私は、少しだけ迷った。けれど、答えは決まっていた。
「分かりました。お引き受けします」
『助かる』
短く、それだけ言う。
『明日の午前中に来てくれればいい。詳しいことは、そのときに』
「はい」
『あと、買い物だが――』
「はい」
『恵介から直接、リストを送らせる』
「分かりました」
『頼む』
それだけ言って、通話は切れた。私はスマホを見つめたまま、しばらく動かなかった。
「……忙しくなりそうね」
小さく呟く。そのとき、後ろから声がした。
「仕事?」
ルークだ。振り返ると、いつものようにそこにいる。
「うん。明日ね、社長の家に行くことになったの。あなたもよければ一緒にって」
「へえ」
興味深そうに首を傾げる。
「恵介君よ。社長の遠縁の。スキャンダルで大変だから、面倒をみるんだって」
「人間社会は複雑だね」
「ほんとにね」
苦笑する。そのとき、スマホが再び震えた。メッセージ通知だ。
「……来た」
恵介君からだった。簡潔な文面だ。
『卵、レタス、リンゴ、蕎麦(乾麺)お願いします』
「……これだけ?シンプルすぎない?」
思わず声が漏れる。ルークが横から覗き込む。
「健康的だね」
「健康的すぎるのよ」
ため息が出る。社長から聞いている。恵介君は、かなりストイックな食生活をしているのだと。家で食べるのは、ゆで卵に、ちぎっただけのレタスばかりだそうだ。リンゴは丸かじりだ。それだけでは栄養が足りないから、普段はヘルシー系の外食で補っているらしい。でも、今は外に出られない。
「料理、作るしかないわね」
「できるの?」
「できるわよ」
即答する。とはいえ、恵介君本人も料理はできる。ただ、以前包丁で怪我をしてから、事務所に止められているらしい。
「……蕎麦はお兄ちゃんに頼みましょう。キシヤマ製麺の物がいいと思うから」
「そうだね。新しい商品が出たんじゃなかったっけ?つゆもセットで届けてあげるといいよ」
「そうね。お兄ちゃんに連絡を取るわ。もう何かを用意しているかもしれないけど」
誰かの役に立てる。それは、少し前の自分にはなかった感覚だ。自然と張り切ってしまう。
「じゃあ、今日のうちに準備しようか」
ルークが言う。
「買い物もあるし」
「……そうね」
私はスマホを握り直した。やることが増えた。でも、それが、少し嬉しいと思っている自分がいる。窓の外は太陽の光が差し始めていた。昨夜のような気温とは打って変わって晴天に恵まれて、午後には雪が解けるだろうというほどの陽気らしい。窓の外を見ると、少し暑いぐらいであり、たしかにいい天気なのだった。




