12-25
ふっと意識が浮かび上がる。私はゆっくりと目を開けた。薄暗い部屋の天井が視界に映る。カーテンの隙間からは光はない。まだ夜明け前だ。夢だったのだと気付く。けれど、その余韻はあまりにも鮮明で、胸の奥に静かに残っていた。私はゆっくりと息を吐く。その時だった。右手に温もりを感じた。
「……」
視線を落とす。ベッドではルークが横になっていた。目は閉じたままだ。穏やかな寝顔をしている。けれど、その右手は私の手をしっかりと包み込んでいた。
「ルーク……?」
小さく呼んでみる。返事はない。やっぱり眠っているのだろうか。そう思った、その瞬間だった。
『起きているよ』
突然、頭の中へ声が響いた。私は思わず身体を起こしかける。けれど、ルークは目を閉じたままだ。口も動いていない。それなのに、確かに声が聞こえた。いや、正確には聞こえたというより、直接意識へ届いたと言った方が近い。その声は普段のルークとは少し違っていた。人の声というより、澄んだ電子音のような、不思議な響きを帯びている。どこか機械的なのに冷たさはなく、透き通るような音色だった。
『驚いた?』
「びっくりするわよ……」
私は胸を押さえる。
「声を出していないでしょう?」
『出していない』
電子音のような声が再び頭の中へ響く。
『今、この部屋を宇宙船と同じ空間にした』
「宇宙船と……、同じ空間?」
『そう』
ルークは目を閉じたまま答える。
『この空間では、声帯を使わなくても意思を伝えられる』
私は瞬きを繰り返した。そんなことまでできるのだろうか。部屋を見回しても、何も変わった様子はない。家具も、カーテンも、時計も、いつものままだ。けれど、空気だけが少し違う気がした。静かだ。 冷蔵庫の小さな作動音も、外を走る車の音も聞こえない。世界から音だけが切り離されたような、不思議な静寂が広がっている。
「本当に……、宇宙船みたい」
『近い環境を再現している』
「こんなことまでできるの?」
『数分だけならね』
私はルークを見つめた。相変わらず目を閉じたままだ。それでも話は続いている。何とも不思議な光景だった。
「目を開けないの?」
『まだ眠い』
思わず吹き出してしまう。
「眠いなら寝ていたらいいじゃない」
『君が夢から戻ってきたから』
「それで起きたの?」
『うん』
短い返事だった。私は少しだけ胸が温かくなる。
「夢を見ていたわ」
『知ってる』
「見えていたの?」
『途中まで』
私は夢の内容を思い返した。宣誓式。40年間の契約。ルークの誓い。
「寂しかった」
私は正直な気持ちを口にした。
「40年も、あなたのことが分からないなんて」
少し間が空く。それから、電子音のような声が静かに返ってきた。
『僕は寂しくなかった』
「え?」
『待つと決めたのは僕だから』
その一言は、とても穏やかだった。
『40年は長いようで短い』
「私は長いと思う」
『君が笑って生きてくれるなら、それで十分だった』
私は返事ができなかった。ルークらしい。そんなふうに思う。
『そして』
ルークは私の手を少しだけ握り返した。
『ちゃんと会えた』
私はその温もりを感じながら、小さく笑った。
「そうね」
40年という時間を越えて。ようやく、こうして隣で同じ朝を迎えている。夢の中では遠すぎる未来だったその日が、今はもう当たり前のように訪れていた。
夢の余韻に浸っていると、再び電子音のような声が頭の中へ響いた。
『紫乙』
私はルークの方を見る。彼は相変わらずベッドに横になったまま、目を閉じている。口も動いていない。それでも、言葉だけが私の意識へ直接届いてくる。
「何?」
『カーテンを開けてごらん』
「外?」
『うん』
私は素直にベッドを降りた。裸足のまま窓へ歩き、カーテンを左右へ開く。いつもの東京の夜景が広がっていた。遠くには高層マンションの明かり。道路を走る車のヘッドライト。見慣れた景色だ。
「変わらないわよ?」
『窓も開けて』
「窓まで?」
『そう』
私は少し首を傾げながら鍵を外し、窓を開けた。夜風が静かに部屋へ流れ込んでくる。少しひんやりしていて心地いい。本当にいつもと同じ夜だった。
「何も……」
そこまで言いかけて、私は何気なく夜空を見上げた。
「……えっ」
思わず声が漏れる。
「なに、これ……」
私は言葉を失った。夜空いっぱいに星が輝いている。それだけなら珍しくない。けれど、その輝き方が違っていた。一つひとつの星から、放射線状に細い光が幾筋も伸びている。まるで宝石を光にかざした時のように。あるいは、絵本に描かれる星のように。十字にも、六方向にも光が広がり、夜空全体がきらきらと瞬いていた。
「綺麗……」
私は思わず窓辺へ身を乗り出した。こんな星空は見たことがない。東京では街の灯りが強く、ここまで星が見えることさえ珍しい。それなのに今は、空いっぱいに星が広がり、それぞれが美しい光を放っている。
「まるで絵みたい……」
私は呟いた。どこか外国の山奥で見る星空とも違う。もっと幻想的で、現実離れした美しさだった。
『気に入った?』
ルークの電子音が優しく響く。私は振り返らずに頷いた。
「すごく綺麗」
『よかった』
「これ、本物なの?」
『本物だよ』
私は目を丸くした。
「東京で?」
『地球の大気による光の散乱を少しだけ補正している』
「補正?」
『宇宙から見える星空に近づけた』
「だから……」
私はようやく納得した。星そのものが変わったわけではない。見え方だけを変えているのだ。まるで宇宙船の窓から夜空を眺めているように。だから、こんなにも美しい。
「どうして急に?」
私が尋ねると、ルークは少しだけ間を置いて答えた。
『最近、君は頑張っているから』
「え?」
『黒崎家のみんなのことも心配している』
「そんな大したことじゃないわ」
『僕にとっては大したことだ』
その一言に、私は何も言えなくなる。
『だからサプライズ』
「……あなたって」
私は苦笑した。
「時々、本当にずるい」
『褒め言葉?』
「半分ね」
私は笑いながら答えた。
「こういうことをされると、怒れなくなるもの」
ルークも小さく笑った気配がした。
『成功だ』
「成功なの?」
『君が笑ったから』
私は思わず吹き出した。
「最近、その基準ばかりね」
『笑顔が一番だから』
私は窓枠に両手を置き、もう一度夜空を見上げた。星は変わらず、美しく瞬いている。
「ありがとう」
私は小さく呟く。ルークは少し間を置いてから、優しい電子音で答えた。
『どういたしまして。また頑張ろう、紫乙』
その声を聞きながら、私は夜空いっぱいに広がる星々を、いつまでも飽きることなく見つめ続けていた。




