12-22
その時だった。私たちに向かって軽く手を振る人物がいた。一人の教授が近付いてきた。旺星大学の教授だった。神仙教授といい、夏樹君の恩師だった。量子力学が専門だという話だが、理学部の天文学の教授に同行して、ここへ来ていた。
「夏樹君、少し確認したいことがあるんだが」
「はい」
夏樹君はすぐにそちらへ向かう。教授はクレーターを指差した。
「昨日、この位置に立っていた人を改めて確認したくて」
「分かりました」
夏樹君が説明を始める。私はその様子を少し離れた場所から眺めた。すると、ルークが私の隣で小さく笑う。
「夏樹君、人気者だね」
「理学部だったもの」
「質問が集中する」
「そうね」
惑星環境学を学んでいた夏樹君なら、研究者たちも話しやすいのだろう。専門用語も通じる。だから説明役になっている。その時だった。遠くから車のエンジン音が聞こえた。門の方を見る。
「帰ってきた」
恵介君が呟く。黒いセダンがゆっくりと敷地へ入ってくる。私は思わず顔を上げた。
「一貴さん?」
「うん」
車が玄関前へ停まる。運転席から六槍君が降りた。そして、後部座席のドアを開ける。一貴さんだった。
右腕には包帯が巻かれている。怪我をしているとは思えないほど背筋が伸びていた。
「帰ってきたんだ」
私は小さく呟く。
「会議が終わったみたい」
恵介君も安心したように笑った。すると、反対側のドアが開く。
「修輔君だ」
私は思わず目を丸くした。修輔君も一緒だった。帽子を深く被っている。周囲を警戒するように見回した後、一貴さんの隣へ立つ。そして自然な動作で、一貴さんのバッグを受け取った。
「持ちます」
「ありがとう」
二人は短く言葉を交わす。その距離が昨日までとは違って見えた。私は思わず笑顔になる。
「本当に付き合い始めたんだ」
「そうなのよねえ」
佳代子さんも嬉しそうだった。修輔君は一貴さんの歩幅に合わせて歩いている。腕を支えるわけではない。でも、いつでも支えられる距離だ。それだけで十分伝わってくる。大切に思っていることが。
「藤沢君」
圭一さんが声を掛けた。
「お帰り」
「ただいま戻りました」
修輔君が笑う。その笑顔が昨日より柔らかい。一貴さんも少し照れたように笑っていた。私はその様子を見て胸が温かくなる。昨日は病院へ運ばれる姿しか見られなかった。今日は二人で並んで歩いている。それだけで嬉しかった。
「紫乙さん」
恵介君が小声で言う。
「よかったですね」
「ええ」
私は頷く。
「一貴さん、ずっと修輔君のこと好きだったものね」
「はい」
「やっと想いが届いたのね」
恵介君も嬉しそうだった。その時だった。修輔君がこちらへ気付く。
「あ」
少し驚いたような顔になる。
「紫乙さん」
「お帰りなさい」
「ありがとうございます」
修輔君は少し照れながら頭を下げた。一貴さんも私たちへ歩いてくる。
「来てくれたのか」
「はい」
私は包帯を見た。
「痛みはどうですか?」
「思ったより大丈夫だ」
一貴さんは笑った。
「数針縫っただけだ」
「無理しないでくださいね」
「ありがとう」
すると、修輔君が横から口を開く。
「今日は俺が見張っていますから」
「見張る?」
私が笑うと、修輔君も笑った。
「仕事以外は全部休ませます」
「修輔君」
一貴さんが困ったように笑う。
「そんなに大袈裟じゃない」
「大袈裟じゃないです」
修輔君は真剣だった。
「ちゃんと休んでください」
そのやり取りを見て、周囲から笑いが起きる 佳代子さんが私にそっと耳打ちした。
「ずっとあんな感じなの」
「そうなんですか」
「一貴君、幸せそうでしょう?」
私は一貴さんを見た。本当にそうだった。怪我はしている。昨日は命の危険もあった。それでも今、一貴さんは穏やかに笑っている。修輔君も隣で笑っている。昨日の出来事は決して良いことではなかった。けれど、その出来事が二人の背中を押したのも事実だった。
私は青空を見上げる。クレーター。研究者。修理業者。報道陣。まだ黒崎家は慌ただしい。それでも、この庭には昨日よりずっと多くの笑顔があった。私はその光景を見つめながら、小さく息を吐いた。きっと、この家は大丈夫だ。そんな確かな安心感が、胸の中に静かに広がっていた。
そんな和やかな空気の中、私はふと隣を見る。ルークは腕を組みながら、一貴さんと修輔君をじっと見つめていた。
「何を見ているの?」
「勉強」
「勉強?」
私は首を傾げた。ルークは真面目な顔で頷く。
「恋人というものを観察している」
「今さら?」
「今さらだ」
あまりにも堂々と言うので、私は思わず笑ってしまった。
「あなたも私の恋人でしょう?」
「そうだよ」
「だったら観察しなくてもいいじゃない」
「いや」
ルークは真剣だった。
「一貴君は修輔君を大事にしている」
「そうね」
「修輔君も一貴君を大事にしている」
「そうね」
「参考になる」
私は吹き出した。
「恋愛に参考書なんてあるの?」
「ある」
ルークは即答した。
「目の前にある」
私は呆れて肩をすくめる。
「あなたって、本当に真面目よね」
「悪いことか?」
「悪くはないけど……」
その時だった。ルークが私の方へ一歩近付く。
「何?」
聞き返した瞬間、ルークが私の肩を軽く抱き寄せた。
「ちょっと」
「こう?」
「何が『こう?』よ」
「恋人らしいかなと思って」
私は思わず額を押さえた。
「観察して真似しているだけでしょう」
「ばれたか」
「ばれるわよ」
私はルークの腕を軽く叩く。すると、ルークは少し残念そうな顔をした。
「違った?」
「違わないけど、もっと自然にしなさい」
「自然に?」
「そう」
「難しい」
真顔で悩み始める。私は笑いをこらえられなかった。
「そこ、悩むところなの?」
「恋愛は奥が深い」
「大げさね」
すると、少し離れたところから佳代子さんの笑い声が聞こえた。
「あらあら」
私はハッとして振り向く。いつの間にか佳代子さんも、健吾さんも、恵介君もこちらを見ていた。恵介君なんて肩を震わせて笑っている。
「見られてるじゃない」
私が小声で言うと、ルークはきょとんとした。
「見せていたんじゃないの?」
「違うわよ!」
思わず大きな声が出る。その瞬間、みんなが笑い出した。私は恥ずかしくなってルークを睨む。
「あなたのせいよ」
「でも」
ルークは穏やかに笑った。
「君が笑っているから成功だ」
その一言に、私は何も言い返せなかった。昨日は隕石が落ち、事件もあった。大変な一日だった。それでも、こうして笑っていられる。その理由の半分くらいは、きっとこの天然な守護者のおかげなのだろう。
「もう」
私は小さく笑いながら、ルークの腕を軽くつついた。
「次はもっと自然にお願いね」
「分かった」
そう答えたルークは、また真面目な顔で一貴さんたちの方を見始めた。どうやら、本当に勉強を続けるつもりらしい。私はそんなルークを見て、また笑ってしまった。




