12-19
さて、私は部屋の中を見回した。昨日、床一面に飛び散っていた窓ガラスはすでに片づけられ、室内は驚くほどきれいになっている。それでも、窓にはガラスがはまっていない。黒崎家では、本家を含めてほとんどの窓ガラスが衝撃で割れてしまったそうだ。これだけの枚数を交換するとなると、当然すぐには終わらない。
幸い、しばらくは晴天が続く予報だという。雨が吹き込む心配はなく、気温も真冬のような寒さではない。日中であれば、この屋敷で過ごすことも十分できそうだった。それでも、夜は話が別だ。防犯や安全面を考えれば、窓ガラスが復旧するまでの数日間はホテルで生活することになるのだろう。昨日まで当たり前だった日常が、一つの隕石で大きく変わってしまったのだと、私は改めて実感した。
私は出されたコーヒーを飲んで、ホッと落ち着いた。キッチンは庭に面しておらず、奥にあるため、被害はなかったそうだ。ガラスも割れておらず、こうしてコーヒーを淹れてもらうことができた。私の好きなマリーズカフェのブレンドで淹れてくれた。この間まで、こんなことはあるとは思っていなかった。
すると、佳代子さんが昨日のバンジージャンプの話を持ち出した。昨日は恵介君と一緒に配信を見てくれていたそうだ。
「お弁当、おいしそうだったわね」
佳代子さんが笑う。
「あれを見て、うちも夕飯は唐揚げにしようって話していたのよ」
健吾さんも頷いた。
「まさか、その直後にあんなことが起きるなんて思わなかったけどね」
昨日の配信は楽しい雰囲気だった。お弁当を食べながら視聴者と話をして、みんなで笑っていた。その数時間後に隕石が落ちるなど、誰が想像しただろう。佳代子さんはルークへ視線を向けた。
「でも、バンジージャンプって怖いでしょう?ルーク君は全然怖がっていなかったわね。さすがだと思ったわ」
「いや」
ルークは苦笑して肩をすくめた。
「怖かったよ」
その一言に、私は思わずルークを見た。
「えっ?」
「でも、紫乙に格好つけたかったからね。叫べなかったんだ」
私は目を丸くした。
「あなた、怖かったの?」
じっと見つめると、ルークは素直に頷いた。
「当たり前だろう」
そう言って笑う。
「僕にだって苦手なものはある。高いところはあまり得意じゃない」
「そうだったの?」
「だから君の転生の儀式でも、一緒には飛ばなかった」
私は瞬きをした。
「あれって、一緒に飛ぶものなの?」
「守護者も同行することは多いよ。でも、僕は遠慮した」
私は思わず吹き出しそうになった。
「怖かったから?」
「そう」
ルークはあっさり認める。その潔さがなんだかおかしくて、部屋に笑いが広がった。ルークは話を続ける。
「もっとも、谷へ飛び降りる転生の儀式はアルタイル軍だけのものだけどね」
「そうなの?」
「一貴君たちアルデバランでは違う」
私は興味津々で聞き返した。
「どう違うの?」
「アルデバランでは長老が地面に大きな円陣を描く。その中央へ入ると、黄金の鳥の姿になって空へ飛び立つ。それが転生の儀式なんだ」
「あら」
私は思わず笑顔になった。
「なんだか素敵ね」
「そう?」
「ええ。自分から新しい人生へ飛び立つみたいで、夢があるもの」
私は少し考えてから続けた。
「私なんて、谷へ飛び降りる夢を見るたびに怖かったという印象しか残っていないのに」
苦笑すると、佳代子さんが優しい表情で私を見つめた。
「そうだったのね」
「ええ」
私は頷く。
「まだ少しずつしか思い出せないんです」
断片的な夢ばかりだ。谷へ飛び降りたこと。幼い頃にルークと遊んだこと。そこへ至る理由も、その後のことも、まだ分からない。佳代子さんは静かに頷いた。
「焦らなくてもいいのよ」
穏やかな声だった。
「少しずつ思い出せば、それで十分」
その言葉に、私は自然と肩の力が抜けた。急ぐ必要はない。昨日も新しい記憶を一つ思い出したばかりだ。きっと、いつかすべてがつながる日が来る。私はそう信じて、小さく微笑んだ。
私はもう一度、部屋の中を見回した。一貴さんの姿はない。今日はプラセルへ出社しているそうだ。腕に怪我を負ったばかりだというのに、大事な会議が三本入っていて休めなかったらしい。昼過ぎには戻ってくる予定だという。しばらく続くホテル暮らしに備えて荷物をまとめ、通院も済ませるそうだ。
「ホテルには修輔君も泊まっているのよ」
佳代子さんが教えてくれた。
「昨日、自分のせいで一貴君に怪我をさせてしまったって泣いていたの」
私は胸が締めつけられる思いだった。修輔君らしい。
「だから、一貴君の身の回りのことは自分がやるって言って、ホテルに泊まり込むことにしたのよ」
「そうなんですか」
「本当は修輔君のマンションに一貴君を迎えたかったみたいなんだけどね」
佳代子さんは少し困ったように笑う。
「もうプラセルにも取材の申し込みがたくさん来ているでしょう?恵介君の時みたいに、自宅まで報道陣が押しかけて近所に迷惑をかけるわけにはいかないって。それでホテルにしたの」
「なるほど……」
私は頷いた。その判断は正しかったのだろう。
「早く落ち着くといいですね」
「本当にね」
佳代子さんも静かに頷いた。私は窓の外へ目を向けた。この家へ入る時も、門の前には何台ものカメラが並んでいた。私たちにもレンズが向けられた。幸い、警備員が対応してくれたため、声をかけられることはなかったが、それでも報道陣の多さには驚かされた。
昨日は隕石落下という前代未聞の出来事があっおかげで、修輔君を襲った男の事件は大きく扱われなかった。しかし、それは昨日までの話だ。今日、テレビをつけると、ニュースや情報番組では、”黒崎家の門前で藤沢修輔君が男に襲われた事件”として大きく報じられている。修輔君の所属事務所にも、きっと数え切れないほどの取材依頼が届いているはずだ。そんな状況で自宅へ戻れば、報道陣が押しかける可能性は高い。
そう考えると、一貴さんと同じホテルに滞在するという判断は、二人にとっても周囲にとっても最善なのだろう。修輔君は一貴さんのそばにいたい。一貴さんも、そんな修輔君がそばにいてくれた方が安心できる。こんな時くらいは、ゆっくりしてほしい。




