12-17
ニュースに出ていなかったか。母からの問いはシンプルだった。私はそうだと答えればいい。そうすれば、今までの空白の期間がなくなり、また元のように話せるのかもしれない。でも、私は許せなかった。親だって私のことを許せなかったのだから。仕事を辞めたことに対して怒りを持っているだろう。今は別の仕事をしているとしても、一度のつまづきを非難しているのだろう。
母の声が聞こえる。意識が一瞬遠くなっていた。私は少し迷ったが、隠しても仕方がないと思った。
「出ていたわ」
電話の向こうが静かになる。
『やっぱりそうだったの?』
「顔は映っていないと思うけど、インタビューは受けたから」
『そうなのね』
母の声は思ったより落ち着いていた。責めるような口調でもない。私は少しだけ肩の力を抜いた。
「偶然だったのよ」
『偶然?』
「ええ」
私はスプーンを置いた。ルークは黙ったままシチューを食べている。聞こえているはずなのに、一切口を挟まない。
「昨日は茨城に行っていたの」
『茨城?』
「バンジージャンプを見にね」
母が黙った。説明が面倒そうだと思ったが、そこは突っ込まれなかった。
「その後で、知り合いの家に寄ったの。そのときに隕石が落ちたのが見えたのよ」
『まあ』
ようやく納得したような声だった。
『知り合いなのね』
「遠藤さんのお宅よ」
母は知らない名前だろう。私は続けた。
「黒崎家の向かいにある家なんだけど」
『向かい?』
「そう」
私は昨日の光景を思い出した。
「その家の玄関先にいたの」
『そんな近くに?』
「ええ」
母の声が少し大きくなる。無理もない。ニュースでは隕石落下ばかり報道されていた。実際に近くに人がいたことまでは伝わっていないだろう。
「ちょうど話をしていた時だったの」
『怖かったでしょう』
その言葉に私は少し驚いた。母がそう言うとは思わなかったからだ。
「まあ……」
私は曖昧に返事をする。本当に怖かった。空が光った時は何が起きたのか分からなかった。爆音がして地面が揺れた時は、事故なのか災害なのかも分からなかった。でも、そのことをうまく説明できない。
『怪我はなかったの?』
「なかったわ」
『本当に?』
「本当」
『ガラスとか飛んできてない?』
「大丈夫」
私は苦笑した。母がここまで確認するとは思わなかった。昔なら、もっと違う話になっていた気がする。何でそんな場所にいたのとか。危険なことをするとか。そういう話だ。でも、今は違う。
『そう……』
母が息を吐いた。安心したようだった。その時、電話の向こうで猫が鳴いた。にゃあと、可愛らしい声だ。私は思わず聞いた。
「猫がいるの?」
『ええ』
母の声が少し明るくなる。
『去年から飼っているの』
「そうなの?」
『保護された猫だったのよ』
私は驚いた。母は昔から動物が嫌いではなかったが、飼いたいと言ったことはなかった。
『小さい子だったのよ』
父の声も聞こえた。
『今は大きくなったぞ』
少し誇らしそうだ。私は思わず笑った。
「名前は?」
『シーちゃん。保護した人が、情が移るといけないからって、3匹の猫にAちゃん、Bちゃん、Cちゃんってつけたの。うちに来たのは、シーちゃんよ』
私は吹き出した。
「そのままじゃない」
『いいのよ。覚えやすいから』
母も少し笑っている。不思議な気分だった。二年半ぶりに話している。もっと重たい空気になると思っていた。けれど、今は猫の話をしている。まるで何もなかったかのように。もちろん、何もなかったわけではない。実際には色々あった。言いたいこともある。怒りだって残っている。でも、今ここでぶつける気にはなれなかった。
『東京は大丈夫なの?』
母が聞く。
「大丈夫よ」
『ニュースだと大騒ぎみたいだったけど』
「黒崎さんのお宅は大変だと思うわ」
私は窓の外を見る。昨日の夜のことを思い出した。警察。消防。研究者。報道陣。たくさんの人が集まっていた。
「でも、みんな無事だったの」
『それならよかったわ』
母が言う。少し沈黙が流れた。猫の鳴き声だけが聞こえる。私はその沈黙を不思議に思った。嫌ではない。ただ、どうしていいか分からない。昔なら母が話題を探していた。今はお互いに探している。そんな感じだった。
『紫乙』
母が静かに言った。
「何?」
『元気そうでよかった』
私は返事に困った。簡単な言葉なのに。どう受け取ればいいのか分からない。二年半前に聞きたかった言葉かもしれない。でも、今さらという気持ちもある。
「そう」
私は短く答えた。
『ちゃんと食べてる?』
「食べてるわ」
『寝てる?』
「寝てる」
『風邪はひいていない?』
「ひいてない」
まるで子供扱いだ。ルークが向かい側で微笑んでいる。私の顔を見ているのだろう。私は少しだけ視線を逸らした。
『また電話してもいい?』
その言葉に私は固まった。予想していなかった。少し驚いた。
「……どうして?」
思わず聞いてしまう。母は少し黙った。
『どうしてかしらね』
小さく笑う。
『声が聞きたくなったのかもしれないわ』
「いいわよ。いつでも電話してきて」
気が付けば、私は返事を返していた。猫が鳴いている。その声を聞きながら、私は窓から差し込む朝の光を見つめた。昨日は隕石が落ちた。人生は何が起きるか分からない。もしかすると、本当に少しだけ、何かが変わり始めているのかもしれなかった。




