12-2
吊り橋を渡り切った先にあるジャンプ台へ到着すると、私たちはスタッフに案内され、待機スペースへ移動した。青く塗装された金属製の足場が吊り橋の途中に設けられている。私は思わず足を止めた。
「すごい……」
眼下には龍姫湖の渓谷が広がっていた。遠くまで続く山並み。谷底を流れる川。空は高く澄み渡り、春の風が橋の上を吹き抜けていく。高所が苦手な人なら足がすくみそうな景色だった。私はスマートフォンを景色へ向けた。
「皆さん、見えますか?すごい景色です」
コメント欄が一気に流れる。
『高い!』
『絶景!』
『怖すぎる』
『飛ぶ人、すごいな』
『紫乙さんも飛ぼう』
「飛びません」
即答すると笑いのコメントが並んだ。その間にも、ジャンプ台ではスタッフたちが手際よく作業を進めている。ジャンプ台は二か所。それぞれに専属スタッフが付き、安全確認を行っていた。ちょうど今、一人の利用者が飛び終えたところだった。ロープに吊られた状態で渓谷の上を大きく揺れている。やがて回収用ワイヤーが伸び、利用者がゆっくりと引き上げられていった。
「ちゃんと回収されるんですね」
保木君が感心したように言った。
「そこを心配していたの?」
私が笑うと、保木君は少し照れたように肩をすくめた。
「いや、実際に見ると迫力があるなと思って」
確かにそうだった。映像で見るのと実際に見るのでは全く違う。高さも風も音も全部が現実だった。一方、ルークとアレクはスタッフに囲まれ、器具の装着を始めていた。私はカメラを向ける。
「今から準備です」
腰のハーネス。脚の固定具。命綱になるロープ。スタッフが一本ずつ確認していく。コメント欄も興味津々だった。
『本格的だ』
『緊張してきた』
『ルークさん、余裕そう』
『アレクさん、楽しそう』
まさにその通りだった。ルークはいつもと変わらない。渓谷を見下ろしながら平然としている。
「怖くないの?」
「別に」
相変わらずだった。対照的にアレクは終始にこにこしている。ただし、視線は何度も保木君へ向いていた。
「湊」
「何?」
「ちゃんと見ていてくれよ」
「見ているよ」
「しっかり見ていてくれ」
「分かっているよ」
「瞬きしたら駄目だぞ」
「無茶言わないで」
保木君が苦笑する。コメント欄が盛り上がった。
『また始まった』
『保木君しか見えてない』
『仲良し』
『アレクさん、嬉しそう』
私は笑いを堪えながら撮影を続けた。最近では視聴者もすっかり慣れている。アレクが保木君を気にかける様子は何度も配信に映っていたからだ。ただ、視聴者は知らない。アレクが保木君に向けている感情が、友情だけではないことを。もちろん私は知っている。ルークも知っている。そして、本人も隠しているつもりはあまりない。保木君だけが気付いていないように見えた。
「湊。飛ぶところ、動画で保存してくれよ」
「配信しているんだから残るよ」
「個人的にも欲しい」
「自分で見るため?」
「違うよ」
アレクがきっぱりと言った。
「君に見てもらうためだ。僕の腕にもカメラが取り付けられているから、落ちるところが映るけど、上からの映像も欲しいんだ」
「今、見ているよ」
「後で何度でも見られるようにだ」
すると、保木君が呆れたように笑う。私も思わず吹き出した。コメント欄も同じ反応だった。
『重い』
『愛が重い』
『かわいい』
『頑張れ、アレク』
アレクはまったく気にしていない。むしろ満足そうだった。そんなやり取りをしているうちに、スタッフが近づいてきた。
「次の組の準備を始めます」
順番が近づいてきたらしい。待機スペースの空気が少し変わる。私まで緊張してきた。飛ぶのは私ではないのに不思議だった。ルークは最終確認を受けている。アレクもスタッフの説明に頷いていた。保木君は二人の様子を見守っている。特にアレクの方を。すると、、アレクが突然振り返った。
「湊」
「なに?」
「格好良く飛ぶからな」
「そんな宣言ある?」
「ある」
真面目な顔だった。
「だから見ていてくれ」
保木君は少し困ったように笑った。
「もちろん見ているよ」
その返事を聞いた瞬間、アレクの表情がぱっと明るくなる。分かりやすい。私は配信をしながら苦笑した。コメント欄も同じことを思ったらしい。
『今の顔見た?』
『嬉しそう』
『完全に保木君目線』
『恋する男だ』
私はそのコメントを読み上げないことにした。絶対に面倒なことになる。その時、ジャンプ台の方からスタッフの声が響いた。
「お待たせしました!」
前の組の回収が終わったらしい。いよいよ順番が来た。風が吹き抜ける。渓谷の上に広がる青空。その下で、ルークとアレクがそれぞれジャンプ台へ向かって歩き始めた。アレクは最後にもう一度だけ振り返る。視線の先には保木君がいた。
「見ているよ」
保木君がそう言うと、アレクは満足そうに笑った。そして、前を向く。あと少しで、本当に空へ飛び出すのだった。




