11-23
そして、しばらく雑談を続けた後、私はふと思い出した。
「あ、そうだわ」
視線をソファーの横へ向ける。そこには、大きな衣装カバーに包まれたコートが置かれていた。今日、アレクが持ってきてくれたものだ。
「まだちゃんと見ていなかったわね」
「ぜひ見てください!」
アレクが嬉しそうに言った。私は立ち上がり、衣装カバーへ近付く。そっとファスナーを開くと、深い紺色のコートが姿を現した。
「綺麗……」
自然と言葉が漏れる。上品な色合いだった。派手ではない。けれど、存在感がある。冬の街並みに映えそうな色だった。
「素敵だね」
ユリウスさんが感心したように言う。
「紫乙さんに似合いそうだ」
「そうでしょう?」
アレクがなぜか得意そうな顔をする。これを選んでくれたのは保木君だと聞いている。その彼が冷静に突っ込む。でも、アレクはまったく気にしていなかった。兄もコートを見つめている。
「いい品だな」
「そうね」
私は頷く。
「着るのが楽しみになってきたわ」
「春先まで使えると思います」
アレクが説明する。
「生地も軽いですし」
「ありがとう」
私は微笑んだ。コートを見るたびに、今日のことを思い出す気がした。そう思いながら視線を移す。すると、その先に棚が見えた。リビングの飾り棚。そこには、二枚の小皿が並んでいる。一枚は兄が買ってきてくれたお土産の小皿。もう一枚は、ベガ中央百貨店からサービスとして贈られた小皿だった。私はゆっくり棚へ近付く。
「並べると綺麗でしょう?」
兄も立ち上がって近くへ来た。
「ああ」
静かに頷く。
「よく合っている」
ユリウスさんも隣へやって来る。
「本当だね」
青い瞳が細められた。
「最初から対になっていたみたいだ」
「私もそう思うの」
私は少し嬉しくなった。二枚とも大切な品だった。兄との思い出。そして、アレクたちとの出会い。今日という日の記憶。全部がそこに詰まっているような気がする。兄が小皿を見つめながら言った。
「思い出が増えたな」
私は小さく笑った。
「そうね」
本当にそうだった。死亡後サービスの話を聞いて。未来について考えて。みんなが私のことを心配してくれていると知った。そして、ルークは、なぜかバンジージャンプを飛ぶことになった。思い返せば、とても不思議な一日である。
「僕はまだ納得していないよ」
後ろでルークが呟いた。その言葉に全員が笑った。リビングに穏やかな笑い声が広がる。私は棚の小皿を見つめながら、その声を聞いていた。
その後、ルークは早速母船へ連絡を取り始めた。アレクと連絡先を交換し、日程や移動手段、現地での手続きなどを確認している。二人とも妙に真面目な顔をしているのが可笑しかった。
「そこまで本格的に決めるのね」
私が言うと、ルークは肩をすくめた。
「やるなら準備は必要だろう」
「僕も責任を持って手配します!」
アレクが胸を張る。その様子に保木君が苦笑し、兄もユリウスさんも笑っていた。重たい話から始まった集まりだったはずなのに、最後には誰もが穏やかな表情になっていた。
やがて時間も遅くなり、アレクと保木君が帰ることになった。玄関先で見送りをする。
「本日はありがとうございました!」
アレクが深々と頭を下げる。
「コートも大切に着てくださいね!」
「ええ、ありがとう」
「また連絡します!」
「待っているわ」
保木君も会釈をしてくれた。
「失礼します」
「気を付けて帰ってね」
二人を見送った後、少しして、ユリウスさんと兄も帰る時間になった。ルークと並んで玄関まで送りに行く。
「今日は来てくれてありがとう」
私が言うと、ユリウスさんは優しく微笑んだ。
「こちらこそ。大事な話を聞かせてもらえたよ」
そして、少しだけ表情を和らげる。私は胸が温かくなった。兄とはこれから食事に出かけるそうだ。玄関先で軽く手を振る。
「また近いうちに来る」
「うん」
「困ったことがあれば連絡しろ」
「分かってる」
兄は安心したように頷き、玄関を出て行った。ドアを閉める。静かになった家の中で、私は小さく息を吐いた。長い一日だった。リビングへ戻ると、ルークが通信端末を片付けている。
「日程は決まりそう?」
「候補は出た」
ルークは少し疲れたような顔をした。
「本当に飛ぶのね」
「君が決めたことだろう」
「そうだったわね」
私は思わず笑う。ルークも呆れたように笑った。それから私たちは夕食の支度を始めた。冷蔵庫を開け、材料を取り出す。フライパンを火にかける。卵を割り、箸でかき混ぜる。じゅうっと音がして、卵の香ばしい匂いが広がった。
私はフライパンを動かしながら、今日の出来事を思い返す。死亡後サービスのこと。兄の言葉。ユリウスさんの不安そうな顔。アレクの営業魂。保木君の冷静な突っ込み。そして、なぜか決まってしまったルークのバンジージャンプ。どれも鮮やかに思い出せる。きっと今日のことは、ずっと忘れないだろう。不安もあった。考えさせられることもあった。けれど、それ以上に、私は一人ではないのだと知ることができた一日だった。
卵焼きを皿へ移しながら、私はそっと息をつく。胸の奥に残っているのは、不安ではない。安心だった。温かな夕食の匂いに包まれながら、私は静かに微笑んだ。これから先のことは分からない。それでも、今日という日は確かに幸せな一日だった。




