第39話
5月21日、木曜日。
世界崩壊から、二十日が経った。
朝食の後、全員がまだテーブルに残っているタイミングで、私は言った。
「少し、話したいことがある」
誰も立ち上がらなかった。全員が私を見た。
「長い話になる。聞いてもらえる?」
ゲンタが「ああ」と言った。蒼が頷いた。それだけで十分だった。
サヤカがハルキに「外で遊んでいていいよ」と言った。ハルキが「うん」と言ってモグと一緒に食堂を出た。モグは何かを察しているような目で私を見てから、ハルキの手を引いて出ていった。
静かになった。
私はコーヒーカップを両手で持った。
「どこから話せばいいか——」
少し考えて、決めた。
「最初から話す」
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「この世界の崩壊は、今回が初めてじゃない」
誰も口を挟まなかった。
「私は一度、この崩壊を経験している。前の人生で」
蒼の目が、少し細くなった。
「崩壊前、私はカイトのパーティにいた。カイトは私の恋人だった。魔物の出現が増え始めて、社会が不安定になってきたころ——パーティにヒーラーが必要だと言われた。私は生活魔法しか使えなかったから、役に立てないと判断されて——外された」
「……捨てられたんだな」とゲンタが言った。
「そう。捨てられた。カイトも、パーティの誰も、引き止めなかった」
シノが黙ってメモを取り始めた。癖なのだろう。私はそれを見て、少し口元が緩んだ。
「崩壊が来た。私は一人だった。準備もなかった。仲間もなかった。逃げ場もなかった。どこかの廃ビルに追い詰められて——魔物に殺された」
テーブルに、重い沈黙が落ちた。
「オークだった。大型の魔物。前世の私は、そこで死んだ」
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ユリが小さく息を呑んだ。
「それで——気づいたら、崩壊の一ヶ月前に戻っていた」
「タイムリープ、か」とネロが静かに言った。
「そうとしか言いようがない。なぜそうなったのかは、今もわからない。ただ、気づいたら崩壊前の日常の中にいた。前世の記憶を全部持ったまま」
「だから」と蒼が言った。
低い声だった。
「だから最初から全部知ってたのか」
「そう。崩壊の日付も、ダンジョンの出現も、ライフラインが止まることも——全部知っていた。だからここを買った。だから備えた。だから——」
私は少し間を置いた。
「みんなを集めた」
「俺たちを巻き込んだわけだ」とゲンタが言った。
「そうなる」
「後悔してるか」
「していない。みんなが来てくれたことに、後悔はない」
ゲンタが少し目を細めた。それから「そうか」と言って、腕を組んだ。
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「一つ聞いていい?」とシノが顔を上げた。
「どうぞ」
「前世での死に方——オークに殺されたって言ったけど、今世でそのことを活かして防衛の設計をしたの?」
「そう。前世で一番怖かったのが魔物だったから。だから城壁を高くした。堀を作った。シノに罠を研究してもらった」
「なるほど。前世の恐怖が、設計の根拠になってたのね」
シノがメモに何かを書き込んだ。「それなら、前世で経験した魔物の特性を教えてくれれば、対策をさらに強化できるわ。後でちゃんと聞かせて」
「……シノ」
「何?」
「驚かないの?」
「驚いてるわよ。でも、驚いてる場合じゃないじゃない。有用な情報があるなら、活かした方がいい」
それが、シノだった。
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「カイトに言ったセリフ、覚えてるか」とネロが言った。
「どれ?」
「『あなたが私を捨てた日、私は死んだの』」
私は少し頷いた。
「あれは——本当のことだったのね」
「そう。文字通りの意味だった」
ネロが「そうか」と言って、目を伏せた。珍しく、少しだけ——何か、感情のようなものが顔に出た。
「ユリを引き受けてくれたのも、前世の経験があったから?」
「一人でいるのが、どれだけ危ないか知ってたから」
ネロが少し間を置いて、「ありがとう」と言った。聞いたことのないトーンだった。
ユリが顔を伏せていた。肩が少し震えていた。
「ユリ」
「……ごめんなさい」とユリが言った。「ごめんなさい、違くて。なんか、その、マナさんが一人でそんな大変なことを——」
「泣かなくていい」
「でも——」
「泣かなくていい」
私の声は、自分でも驚くほど穏やかだった。
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「モグには、言わなくていいのか?」とゲンタが聞いた。
「後で私から話す。モグはたぶん——何となく気づいてる気がするから」
「精霊だしな」
「そう」
ゲンタが少し間を置いた。
それから立ち上がった。
「……飯、食うか」
「え?」
「昼飯の時間だろ。腹が減った」
「……今が何時か、わかってる?」
「腹が減ったと言った」
サヤカが「あ、私、何か作ります」と立ち上がった。
蒼が「俺も手伝う」と言った。蒼が料理を手伝うと申し出たのは、初めてだった。
シノが「野菜、切るわ」と言った。
ネロが「俺はいい」と言ったが、結局立ち上がってコーヒーを淹れ始めた。
全員が、何かをし始めた。
私は椅子に座ったまま、その光景を見ていた。
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目が、熱くなった。
涙が出た。
自分でも驚いた。崩壊後、一度も泣いていなかった。前世で死んだことも、カイトに捨てられたことも、崩壊当日も——一度も泣かなかった。
ゲンタの「飯、食うか」という一言が、何かを溶かした。
謝らなかった。慰めなかった。大変だったな、とも言わなかった。
ただ、腹が減ったから飯を食う。それだけだった。
それが——ゲンタの答えだった。
「マナさん」
サヤカが隣に来て、ハンカチを差し出した。
「ありがとう」
受け取って、目を押さえた。
泣き止もうとしたが、うまくいかなかった。
「泣いていいんじゃないですか」とサヤカが静かに言った。「ずっと、一人で抱えてたんでしょう」
「……そうね」
「私も、ここに来てから何度か泣きました。それでもみんなが普通にしてくれてたから——泣いていい場所なんだなって、わかりました」
私は少しの間、泣いた。
声を上げるほどではなかった。ただ、目から、ずっと我慢していたものが出ていった。
ゲンタが台所から「マナ、味噌汁の具は何がいい」と声をかけてきた。
「……なんでもいい」
「なんでもいいは困る。豆腐か、なめこか」
「豆腐」
「わかった」
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昼食は、全員で食べた。
ゲンタの作った味噌汁は少し塩辛かったが、誰も文句を言わなかった。
ハルキが「おかわり!」と言った。モグが「モグも!」と言った。
蒼が無言でお玉を持って、二人の椀に注いだ。
いつもと同じ昼だった。
でも、何かが変わっていた。
みんなが知っている。
私が一度死んだことを。前世を生きたことを。一人だったことを。
それでも——ここにいる。
「一つだけ言っていいか」
ゲンタが箸を置いた。
「なんでも」
「よく二周目を一人で走ったな」
「走るしかなかったから」
「そうだな」とゲンタが言った。「でも今回は、一人じゃなかっただろ」
私は少し間を置いた。
「そう。一人じゃなかった」
窓の外で、モグとハルキが昼食を食べながら何かを話していた。食堂に光が差し込んでいた。
二周目は、一人じゃなかった。
それだけで、十分だった。
【世界崩壊から20日目。マナが、初めて話した。星降る森に、秘密がなくなった。】




